ドクトル・ジバゴとロシア
若い時に観た映画は記憶に強く残っているものだが、中でも鮮烈な印象を自分の脳裏に焼き付けたのが、「ドクトル・ジバゴ」である。
監督はデビット・リーン。他にも、「アラビアのロレンス」、「ライアンの娘」などを創り上げた並ぶものなき巨匠である。
物語の舞台は、19世紀末から20世紀初めにかけてのロシア。戦争と革命に見舞われた歴史の激流の中で翻弄されつつも、愛と真実を貫くジバゴとラーラの物語である。壮大な歴史の流れに沿って、20世紀初頭の絢爛な上流社会の暮らし、その中での人間関係、そして戦争と革命が描かれ、ウラルの大地を疾走する特急機関車、果てしのない雪原、氷に閉ざされた別荘など、息を呑む映像美に溢れ、「ラーラのテーマ」をはじめとするモーリス・ジャールの比類なき音楽が全編を貫いて流れる。
この映画は、勿論ラブストーリーの金字塔であるのだが、一方で旧ソビエト連邦の建国の成り立ちと、その体制の本質を描いたものでもある。
映画の原作は、詩人ボリス・パステルナークの小説なのだが、体制批判が随所に描かれているため、旧ソ連では出版することができなかった。
帝政ロシアの時代から第1次世界大戦、国内戦という歴史を通じて、人命軽視、官僚主義の社会が形成されていったことが、映画の中でも赤裸々に、容赦なく描かれている。親子の間でも当局への密告が奨励されていたという。
悪党ほど出世し、まともな良心のある人間は収容所へ送られる。悲しいけれど、それが旧ソ連の体制の本質だった。
ジバゴとラーラも、そんな世の中で孤立した。彼等は愛と真実を貫こうとする生き方を選んだが、やがて離別を余儀なくされ、ジバゴは数年後にモスクワの路上で倒れ、ラーラもやがて収容所へと消えていった。
悲しいかな、現代のロシアもプーチン政権下で旧ソ連の昔に戻ってしまっている。ウクライナへの侵略や、プリゴジンの事故死、ナワリヌイ氏の突然死を見れば、今この国が置かれている状況が誰にでもわかるだろう。
だが、一度はゴルバチョフ氏のようなリーダーが現れ、ペレストロイカと民主化を経験した。故ナワリヌイ氏の葬儀には、当局の禁止と警告にも関わらず数万人の市民が参列し、花を手向けたという。良心と勇気を持った人々は確かにこの国にいるのだ。
人命が尊重され、正しいことが通る社会となることを、ロシアの人々のために願わずにはいられない。