重なるということ 〜ちっちゃな ちっちゃな ちっちゃな ちっちゃな 我が人生〜
ある頃から、私の日常は「重なる」タイミングが押し寄せると気づき始めた。
平凡な日々が続くのが私のフツーの日常である。ちょっと忙しいときもあるが。
それが、あれあれ?と思い始めている頃には、いろんな事が「重なる」。
同じ日の同じ時間帯の調整で大変になる時もある。あるいは数日間にどひゃっといろんなタスクが詰まる時もある。
「重なる」時、気を抜くと、それらのタスクよりも上位にある大事なことを蔑ろにしかねない。いや、実際、そういう事態になることもあった。直後にものすごく反省する。
どんなに忙しくても、これだけは最上位で優先したい事というのがある。ということを後で気づく。人生の勉強である。
取り返しのつかない失敗を繰り返す。
同時に、多くのタスクをやりこなす人生の実力もついてくる。それらも人生の大事な事なんだけど。
この両面がある。
もう一点。もし、1時間でも早く、Aの連絡を開封していたら、Bの次の段階が良い方にかわったかもしれない。という禍根というか、未熟さというか。自分を責めなくても、タイミングについて後悔する事があるのだけど、これはもう、受け入れるしか無いという諦めを学んでいるのかもしれない。
どうして、いっときにいろんなことが「重なる」のだろう。とっても不思議だ。
人生のいくつかの箇所で、「重なる」体験が多い。
きょうも「重なる」日だった。
重い思いが今わたしの中にいっぱい詰まってしまった。
生き延びよう。なんとか逃げのびよう。
それとも真正面から激突するのか。
いや、どうだろう。
今この時の重みを感じている自分を味わうことは大切である。
そして、逃げ延びることは、生きる力であることを、私はこの流れの中で、実践して、その先の現実を啓く、見に行くのだと気づいている。