見出し画像

マイノリティのセールス戦略。モリチさんが教える、成果を出し続けた行動の正体

「私の未達時代」では第一線で活躍するセールスパーソンを訪ね、失敗をしていた過去から売れるようになった現在までのストーリーを紹介している。第二回目は株式会社morich 代表取締役 森本千賀子(モリチ)さんにお話を伺った。

本記事ではまず彼女の過去に遡り、そもそもなぜ営業を選んだのか、またどのような新人時代を過ごしてきたのかを紐解いていく。驚くべきことに、彼女の未達の回数を伺うと人生の中でたったの1回。ここまで成果を出し続け、彼女を達成に導いてきた主な要因とは一体何なのだろうか。

画像1


プロフィール
森本千賀子。周りからは「モリチ」の相性で呼ばれている。1970年生まれ。獨協大学外国語学部英語学科卒。1993年リクルート人材センター(現リクルート)に入社。転職エージェントとして、大手からベンチャーまで幅広い企業に対する人材戦略コンサルティング、採用支援サポート全般を手がけ、主にCxO(経営幹部)・管理職クラスを求めるさまざまな企業ニーズに応じて人材コーディネートに携わる。
25年在籍していたリクルートを2017年9月で卒業し、株式会社morich設立、代表取締役として就任。NPO理事や社外取締役、顧問など20数近くの名刺を持ちながらパラレルキャリアを体現。本業(転職エージェント)を軸にオールラウンダーエージェントとしてTV、雑誌、新聞など各メディアを賑わし、2012年には、カリスマ転職エージェントとしてNHK「プロフェッショナル~仕事の流儀~」に出演。『成功する転職』『無敵の転職』など著書多数、、日経電子版の連載など各種メディアにも執筆。その傍ら全国の経営者や人事、自治体、教育機関など講演・セミナーで日々登壇している現代のスーパーウーマン。2男の母の顔も持つ。

自分が一番になれる場所を探し、営業として就職

——現在のお仕事について教えてください。

株式会社morich(以下、morich)の代表取締役をしています。morichは主に人材紹介事業をメインミッションに、企業顧客の採用・組織創りの支援、ビジネスパーソンのキャリア開発などを行っています。また他に、株式会社morichーTo(もりちと)という会社で、社外取締役・顧問・NPO理事としてスタートアップを中心とした組織での成長支援、TV、雑誌、新聞など各メディアへの出演・出稿、書籍の執筆なども行っています。

様々な肩書き・ミッションを担いながら、20枚近くの名刺を持ち歩いていまして。いわゆる「パラレルキャリア」を実践しています。

——人材業界の営業になった経緯は?

大学3年生のちょうど就活を始める頃、自分が何をやりたいのか考えていた時にたまたま図書館に行ったのですが、そこで出会った1冊の本が私の運命を変えました。

その本には「アメリカでは人は転職をしながら、自分のマーケットバリューをあげていく」と。しかし日本においてはまだまだ終身雇用が当たり前の時代。「いつか日本もこういう日が来るのかもしれない」そう直感し、人材業界に興味を持ち始めたんです。

営業を志望した理由は、簡潔に言うとマイノリティであることに価値を感じたためです。当時は、どの業界も女性を営業職として喜んで受け入れてくれる企業は少なかった時代でした。その中で私が新卒で入社したリクルートは、男性・女性関係なくフェアに評価される環境がありありました。そしてほとんどが営業職からのスタート。「私のやりたいことができるのはここしかない」と思い、入社しましたね。

——なぜマイノリティを望まれたのでしょうか。

常に私自身が価値を発揮できる場所・1番になれる可能性のある場所を探していたんです。それには今でも心に刻まれている母親のある言葉があって。

小さい頃から家を出る際には「行ってらっしゃい」とともに、「一番になりなさい」という言葉をかけられてきました。そこである時疑問に思った私は「なんで一番じゃなきゃいけないの?」と聞いたことがあります。そしたら逆に母から質問されたんです。

母「日本で一番高い山は?」
私「富士山」
母「じゃあ日本で二番目に高い山は?」
私「・・・」

母「日本で一番大きい湖は?」
私「琵琶湖」
母「じゃあ日本で二番目に大きい湖は?」
私「・・・」

私は答えに詰まってしまいました。母が続けたのは「要するに一番じゃないと人の記憶には残らない。一番と二番には雲泥の差がある。Olympicでも金メダリストと銀メダリストでは見える世界が違う」と。つまり人の記憶に残すには1番にならなくてはいけないということです。この母の言葉は良い意味で私の価値観を大きく変えてくれたように思います。

舐めていた新卒時代。転機は上司からの誕生日プレゼント

画像2

——モリチさんは新卒時代はどのような営業でしたか?

新卒時代を振り返ると正直舐めていたと思います。「営業は楽勝だ」と思っていましたから。

相手が社長だろうが、初めてのお客様だろうが、とにかく馴れ馴れしくして。いわば「キャバクラ営業」という言葉があるように・・。当時は、新入社員だったこともあり社長もある程度大目に見てくれていてノリで相手をしてくれ、簡単に新規のアポも取れました。

ところが1年目の7月の誕生日、仲良くしていたあるオーナー社長さんがそんな私に警鐘を鳴らしてくれました。

——警鐘…ですか?

はい、その社長から大きなダンボールが一つ届いたんです。そこには経営書・ビジネス書だけでなく歴史小説など本が20冊入っていました。手紙も同封されていて、てっきり「モリチ頑張れ」など励ましのメッセージが書いてあると思いきや、パッと開けて読んでみたんです。するとそこにはかなり辛辣な言葉が書いてありました。

「薄っぺらい営業していたら、すぐに化けの皮が剥がされるよ。あなたはもっと勉強しなきゃ駄目だ」と。

その手紙を読んで愕然としました。「本当にその通りだ」と。ものすごく悔しくてトイレに駆け込み号泣したのを覚えています。そこから暇さえあれば本を読むようになり、週末も誰にも内緒で朝から晩まで学校に通って、財務やマーケティング、組織戦略などの勉強を始めました。

——他にも何か失敗談はございますか?

お客さまの品定めをしていたこともあります。相手を社格で判断し、自分の中で会社の優先順位を決めてしまっていた時期があります。これも新人時代です。ドラッグストアのお客さまでのエピソードがあります。

そこは先輩から引き継ぐ予定の会社だったのですが、商談で行かなければ一生行くこともないだろと思うほど閑散とした駅にあって、かつ本社は倉庫の一角がオフィス。これを見た私は「絶対こんなところに人材紹介は無理だ」と思い、非常に舐めた態度で商談に挑んだんです。

すると引き継ぎの商談に行ったその日の夕方、社長の右腕として同席されていた女性の専務から電話がかかってきて「森本さんあなたうちの営業担当から外れてもらえますか?」と。「え…」と私が言葉を失うと「うちの会社のこと全く興味ないでしょう?この案件に会社の未来がかかっているんです。本気で向き合ってくださる営業の方に替えてください。」と言われてしまったんです。

もう速攻で次の日、始発の電車で本社まで行って謝りました。生意気な態度をとってしまっていたのは自分でも分かっていました。なのでそこからの3ヶ月はその会社に本気で向き合いました。

向き合った結果、3ヶ月後には無事に素晴らしい幹部人材が決まったんです。電話の主のカウンターパートの専務からは「あなたには期待していたからこそ、あんな風に怒鳴ったのよ」と言ってもらい、お礼にとランチに連れて行ってもらいました。更に、専務が大切にされていたものをプレゼントとしていただくなど、本当に良くしていただきました。

何か営業の真髄を見たようで、私にとっても忘れられないエピソードの1つです。

画像4

※モリチさんのこれまでの「営業失敗エピソード3選」を書いていただいた

自分にしかできない業界を攻めて、成果を出す

——営業時代にも「1番になる」ことは意識されていたのでしょうか。

もちろんです。当時はまるで戦国時代のようで、先輩がアポ取れなかったら次に自分がかける。誰よりも一番早く会社に行き、日経新聞を読んで。そこにある大手上場企業が「海外展開を強化する」といったような記事が出ていた時には、「きっと人材ニーズが出てくるはず」と速攻電話をかけていましたね。

また流通業や不動産など、人材紹介の立場からすると紹介しづらい「3K(きつい・厳しい・給与が安い)」と呼ばれている業界にも積極的にアプローチしていました。当時、まだ先輩たちが営業しきれてなかったコンビニ業界も全部攻めました。

簡単に言うと「逆張り」の戦法ですよね。1番になるために、営業としては他の人がやりたがらない、避けている業界をあえて選び、そこを開拓していきました。

——テレアポや商談スキルはどのように伸ばしていったのでしょうか。

テレアポに関しては、とにかく実践を重ねながらオリジナルのトークスクリプトを作っていました。営業中にうまく言葉が返せなかったら、あとで自分で振り返ったり先輩に質問したりしながらアップデートしていきました。

商談でいうと、まず私がやってたのはトップセールスやMVPをとっている先輩に同行させてもらうことです。同行中は、先輩たちが「どういう質問をお客様にしたか」を事細かくメモしてました。

ほとんどの新入社員は「お客様が話した内容」をメモをとるんですが、私は逆で先輩が質問する内容を記録する。トップセールスの方の振る舞いを記録して、自分の商談に活かすことが大切だと思ったのです。

売れる営業組織は「心理的安全性」がつくる

——最後にモリチさんが思う、売れる組織について教えてください。

成功するのは営業1人ひとりが主体的に動ける組織です。どんなにマネージャーや社長が優秀でも、トップダウンの組織では、その管理者がいなくなったら崩壊します。理想は、メンバー各自が主体的にモチベーションを上げて、問題意識を持ち自発的に動ける組織であることが大事だと思っています。

——では、どのようにしたら売れ続ける組織を作れますか?

実装できるような組織を作るには「心理的安全性」がキーワードにあります。

心理的安全性がある状態とは、組織のメンバー同士、チーム全員での受容と許容そして共感があり、相互の信頼関係を作れている状態のことを指します。どんな発言をしても受け止めてもらえる組織。失敗しても大丈夫、「やってみよう」というチャレンジする人を賞賛できる組織。そのためには、各人の価値観を創る過程も含めての、人生を共有することが大事です。生まれてからどのような環境の中で育ってきたのか、どんなことで楽しい、嬉しいと思うのかなど、お互いに分かり合うことが必要です。

——心理的安全性がある組織になったらどのような状態になるのでしょうか。

例えば誰かが失敗したときにもチームがそれを許容できるようになります。人間は誰しもが潜勢力を持っています。潜勢力とはよりよく生きたい、より成長したい、より何か改革したいというマインドセットを醸成するチカラです。

「失敗しても大丈夫だ」と思うと人はチャレンジします。つまりその力を引き出してあげる環境を作ることこそが、チームや組織が成果を出すために一番大事なことではないでしょうか。

●YouTubeにて、対談中の音声を配信中●
取材音声データはYouTubeで配信中です!
記事には書けなかったマル秘話も公開されておりますので、是非通勤の合間などにお聞きください!

ライター:フジカワハルカ

いいなと思ったら応援しよう!