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瞑想とは判断しないこと、受け入れること、感覚の感じること

理想の瞑想の流れ

瞑想をする時、瞑想状態に入る大前提が存在します。
効果を期待するから瞑想状態に入ることが大事だと知っていますし、そうなりたいからわざわざ瞑想をやるわけです。


しかし、そこが大きな罠です。
常に自分の状況をチェックして、判断する心理が働いてしまうのです。
無理にやることで、心に緊張が走り、肉体にも緊張が拡大し、落ち着けなくなります。


一切を受け入れられない心身の状態になりながら、瞑想を続けるわけで、これでは超瞑想状態に行く前に雑念の海でのたうち回ることになりかねません。
雑念ほど苦しいものはありません。
雑念そのものに罪はありません。
雑念が苦しいのは消そうと頑張る割に、集中力がなくなり、雑念にもっと襲われるからです。


動と静 理想のリズムにはまった瞑想はとても気持ちいい


瞑想は判断するものではありません。
ただ起きたことを受け入れ、ひたすらどこまでも徹底して感じることです。
ありのままを受け止め、全感覚を研ぎ澄ませ、感覚のまま身を委ねることです。


これが理想の瞑想のリズムだと思います。
そこに動も静もありません。
静こそ瞑想だという誤解がありますが、超瞑想状態には動からでも作れます。
また静を追求して、動に至ることもありますし、動を追求してこその静のすごさがあります。


どちらもすごい感覚で、超瞑想状態に入ったとき、静と動が同時に究極に味わえます。
これはすごい体験です。
表裏一体なんだと心で理解できます。

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