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考え事#2コロナ後の世界の青春について
こんにちは。明日からGWがはじまりますね。
GWといえば僕にとっても色々な思い出があります。中高時代はとにかく部活に明け暮れていたし、その時間の隙間をなんとかひねり出して彼女とデートに行ったり、忙しいなかで必死にどこでどんな風に時間を過ごすか考えて、結果的に空回りしてしまったり。楽しかったなぁ。
おいお前喧嘩売ってんのか?
そうですよね。いま、まさにそんな時間を過ごすはずだったみなさん。別にみなさんに喧嘩を売りたくてこんな話を始めたわけではありません。今日は、上の話を読んでちょっとイラっとしたみなさん、ちょっとシュンとしたみなさんと、これからの青春について考えてみたいなぁ。というお話です。
青春とはなにか
さあ、質問です。あなたにとって青春とはなんですか。
好きな人に想いを伝えられないモヤモヤですか。
部活の引退試合で仲間と一緒に流した涙ですか。
必死になりすぎて中指に膨れ上がったペンだこですか。
学校をサボって友達と遊びに行った遊園地ですか。
好きなゲームをとことん遊びつくした夜中ですか。
難しいフレーズを格好よく演奏できたステージですか。
文化祭の準備で夜遅くまで学校に残ることですか。
大好きなアーティストに歓声を送ることですか。
友達とみんなで夏の海に行くことですか。
人それぞれの青春が、あると思います。
どれも素晴らしく、かけがえのない尊い経験ですよね。想像するだけで楽しいし、いままでにこういう経験をしたことがある人は「そうそう!そういうやつ!」って気持ちになりますよね。一人一人が自分の青春を想像し、時には発言して共感を得たり、驚かれたり。青春ってそういうとても幅の広い概念ですよね。何が正解でもなく、何が間違いでもない、とても曖昧なものです。でも、今年は多くの"青春"をあきらめないといけないですね。我慢しないといけない。ニュースで大人がパチンコ屋に行っているのを見てムカついても、自分一人で達成できない"青春"はなくなってしまった。ちなみに僕の個人的な意見だけど、法令で賭博ができないみなさんは等しくパチンコ屋にいく大人を批判する権利があるとおもいます。話を戻しましょう。そもそも、学校がどんどんWeb化されていったら青春ってなくなるんですかね。
青春の曖昧さのなかに埋もれた核はなにか
そんなことはないはずです。青春って実は若者たちだけのものでは無いんです。いや、みんなが若者という見方でもいいけれど。
今年、みなさんは取り上げられた青春を取り戻す必要があります。絶対に負けてはいけません。とはいえ、みなさんの”もともと”望んでいた形での青春は確かに厳しいかもしれない。でも、青春の曖昧さの中に埋もれた核となる部分さえみつければ、青春を取り戻すことは実は容易なことだと考えます。
青春の中にいる人に共通すること
何だと思いますか?ひとそれぞれ見方はあると思いますが、僕は「一生懸命さ」とか「没頭している」とか「本気で楽しんでいる」とか、そういう人たちを見るとあー、青春してるなぁ、って思います。だいたい、一生懸命何かに取り組んだことを未来の自分が振返ったときに「青春だったなぁ」と思うのだと思います。
実はその瞬間に青春をしていることは実感できないものなんじゃないかな。
青春がそこにあったんだ、と気づくのはいつも終わって少ししてから。だから「青春の仕方」を知らない大人は若者をみて羨ましいという。もう自分には来ないと悟ってしまっているから。
でも、「青春の核」=「その時の自分にとって大切なことをテーマに、自分ととことん向き合うこと」だと考えれば、何歳になってもいつでも青春はみなさんの傍にいます。
若者をみて「良いなぁ」と思う大人にならないで
もしかしたら今回こういうことになっていなかったら、みなさんは「青春とはなにか」なんて考えなかったかもしれない。若い人の特権だと思い生きていくことになったかもしれない。
でも、周りの大人の顔を思い浮かべて考えてみてほしいです。若者の青春を羨ましがっている大人ってカッコよいですか?そういう大人にみなさんはなりたいですか?
人は生きている限り、いつまでも青春できると僕は思います。この世界がこの先どんな形態になろうと、あなたの青春はあなたがあなたと本気で向き合って苦しんだ形跡として必ず現れます。
形式は諦めないといけないかもしれないけれど、青春は諦めないでほしいなぁ。そんな想いをこめて。皆さんどう思ったでしょうか?