
🚃JR身延線ワンマンに揺られて①
甲府行き普通電車が富士駅を10:20分発に乗車しました。10:15発の特急「富士川」号もいいけど、たまにはワンマンで出発👉🏻
🚃静鉄や岳南鉄道🚃なら見慣れているワンマン電車ですが、JRでは珍しい車内風景です。

🚪ドアは降りる際には車内の🔘ボタンを押して開閉し、降りることになりますが、見慣れないためか、新鮮です。

🚉富士駅から三つ目、🚉入山瀬駅には、🗻富士山と紅白梅が撮れる絶景スポットの岩本公園や近くには武田信玄の軍師・山本勘助の生家があったとされる勘助坂があります。

勘助の生家に纏わる話しは諸説あり、ここはその一つ。
右脇の下を第二東名が東西に走ります。
入山瀬駅からとぼとぼと歩いて45分。途中からずっと上りが続き、ゴルフ練習場を過ぎると岩本山公園です。新春のわずか一時期に、紅白梅と富士山が撮影できますがここは、構図が難しくなかなか良い写真が撮れません。

入山瀬駅から晴れていると、ご覧のように富士山の裾野まではっきりと見えます。
欧州のように、観光立国を真剣に目指すなら、せめて電柱は地下の共同溝にして欲しいものです🤔
入山瀬から三つ目、🚉富士宮駅です。

駅舎2階からペデストリアンデッキが四方に広がります。
駅から北西に伸びる道があります。
富士宮駅は⛩富士山本宮浅間大社の玄関口。駅のペデストリアンデッキを渡り、👣徒歩で15分ほど。
⛩大鳥居が目印です。
参道を静々と歩き、楼門へ。

見事な楼門です。

素人の私でも解り易い解説付きでした。
ありがたいです🙇🏻♂️
この楼門を潜る前に東西に延びる「🌸桜の馬場」は、源頼朝が富士の巻狩りという軍事演習を兼ねた🦌鹿狩りの際に、浅間大社に神事として流鏑馬を披露し奉納したとのこと。

🌸桜の馬場前にある流鏑馬の像がありました。
勇壮な流鏑馬を披露したことでしょう。
富士山本宮浅間大社では、しおりによると、川祓いなど前夜祭の後の5月5日に毎年、流鏑馬神事が奉納されるようです。
鶴岡八幡宮での流鏑馬を観覧したことがありますが、勇壮な佇まいの中に、優雅さも身に纏い、中世武士の所作を垣間見た気がします。
楼門を潜れば、拝殿と本殿。

拝殿から先は神域ですので、本殿や奥宮の撮影は控えさせていただきました🙏🏻
拝殿の右脇にある枝垂れ桜は武田信玄手植えの🌸桜だそうで、「信玄桜」とも呼ばれています。⛩富士山本宮浅間大社は武将たちも心の拠り所として、深く崇拝していたのでしょう。

見事な枝垂れ桜ですね。桜のシーズンにまた、参詣したくなります。
武田信玄と来れば、もう一人のビックネーム🧙🏻♂️織田信長のことも触れなければなりません。
桜の馬場の西端にある⛩、「西鳥居」。

この⛩鳥居に道を挟んで富士宮中央図書館があります。

この左側が中央図書館です。
この中央図書館の前にあるのが「🪨富士見石」。
信長は武田勝頼よりを滅ぼした後、東国の戦後処理を済ませて甲府を出発。
信長の資料📖『信長公記』には旧暦4月10日 戊戌(新暦1582年5月2日 水曜日)に、甲府を出立した旨が記されています。

新人物文庫 刊
4月11日 早朝、左右口を出立
4月12日 本栖を未明に出発
井出野で🐎馬を乗り廻し、浅間大社の神官等が途中まで出迎え来て、信長に挨拶。
頼朝の狩り宿、白糸の滝を観て辺りのことを詳しく尋ねた、とあります。
4月13日早朝に、浅間大社を出発し、浮島ヶ原、田子の浦を観て富士川を渡河。
由比、清見ヶ関、興津、三保の松原の羽衣の松を鑑賞して、この日は江尻城に投宿とあります。

この白糸の滝のすぐ近くに、音止めの滝があります。「白糸の滝」と「音止めの滝」は、セットで昭和11年に国指定の名勝となり、2013年には世界遺産「富士山」の構成資産となりました。
白糸の滝は、🗻富士山の湧水が幅150mにわたってまさに白糸のように流れ、高さ20mの馬蹄形の滝です。
源頼朝はこの地で巻狩りを開催したことが📖『吾妻鏡』にも記されています。

神護寺に伝わる頼朝像ですが最近、頼朝像も諸説が現れ始めましたね。
頼朝は軍事演習も兼ねて富士の巻狩りをこの地で三日間に渡り、開催しました。
白糸の滝を観て、感激した頼朝が
「 この上に いかなる姫や おはすらん
おだまき流す 白糸の滝」
と、和歌を詠んだことが伝わっています。
中日にあたる建久4年5月27日は☔️小雨降る日は疲れも溜まっていたのか🤔
中止になり、その夜に遊女も呼んでドンチャカ騒ぎをした深夜、頼朝の寵臣・工藤祐経が曽我兄弟に親の仇として仇討ちで討ち取られてしまいます。
日本三大仇討ちの一つ「曽我の仇討ち」です。歌舞伎の演目にもなっていますね。

その曽我兄弟が凶行の当日に潜んでいた巨石が巨石跡として、白糸の滝駐車場のそばにあります。
曽我兄弟がここで凶行の相談していた際に、滝壺に落ちる瀑音に声が遮られ兄・十郎が
「心無い滝よ」と嘆いたら、
瀑音が静かになったとことから、「音止めの滝」と呼ばれる落差25mの滝が迎えてくれます。

白糸の滝を見学する際に先ず、目に入るのがこの「音止めの滝」です。
巻狩りの際に激しく動き回っていたのか頼朝は、髪が乱れ鬢のほつれを白糸の滝の崖上にある「お鬢水」《おびんみず》で整えたという鏡面のような池もあります。

お鬢水は別名、「鬢撫水」《びんなでみず》とも呼ばれています。
白糸の滝周辺は歴史的エピソードの宝庫です。
音止めの滝・白糸の滝から🚗車で5分。
上井出地区に、狩宿の🌸下馬桜があります。富士の巻狩りの際、頼朝がこの枝垂れ桜を見染めて、🐎馬から降り、その幹に愛馬を繋いで見入ったと伝わる「狩宿の下馬桜」です。

狩宿から県道76号線を🚗車で10分ほど南下すると、柚野《ゆの》の水田が広がります。

📖『信長公記』によれば、信長は🐴愛馬と共にしばし柚野の大地を疾走したと記されています。
この柚野にも豊富な湧水があり、この湧水で仕込んで🍶お酒が「富士錦」さんの地酒です。

キリッとした飲みやすい日本酒です😋
柚野のどの辺りを愛馬と共に疾走したかまでの詳細の記録がないためここだ、断定はできませんが信長は安土城在城の際にも毎夕刻前に愛馬と共に疾走していた記録が残っていることから、愛馬の鍛錬と共に自身の健康維持にも気を配るセルフコントロール出来た武将だったようです。
その信長が甲州征伐の帰路、白糸の滝や狩宿の下馬桜などを見物しながら柚野で乗馬を楽しんだ後、ここ富士山本宮浅間大社で腰掛けて🗻富士山を眺めたことから、この🪨石を「富士見石」と、呼ばれています。

背景にあるのが、中央図書館です。

図書館の中も覗いてみましたが、関連資料は見当たりませんでした。

信長公が腰掛けた巨石には、畏れ多く腰掛けることは遠慮致しました😅
📀DVDにもなって、県立図書館で見かけたNHKの番組『歴史秘話ヒストリア』。
この🪨富士見岩の存在を知ったのは、📺NHK『歴史秘話ヒストリア』の中で、MCの黒田あゆみアナウンサーが披露したからです。
📖『信長公記』には記されていませんでしたので前回、コロナ禍前の正月の参詣の時には見落としていました。
未だ未だ勉強不足です🥲
ここまで見物して🕦正午近く。お昼になると混みますので早めに昼食にします。
富士宮と言えば、「富士宮焼きそば」❣️
浅間大社前のバルに有名店があるようなので、行ってみると、富士宮焼きそばあり、🍢おでんあり、🍙天むすあり。
やはり、富士宮焼きそばを実食😋

鰹節が掛かっていて美味しさを引き立てます😋
並み一皿500円。大盛りは650円でしたが、🍙天むすも食べたかったので、並みにしました👍🏻

🍤大きなエビ天むすびです❣️
🍺によく合う😋
二つは多かったので、一つは家に持って帰って夜食にしましたが、冷めていても美味しかったです。
お土産は「御くじ餅」。
紅白饅頭の中に、お神籤があり開ける楽しみもあります。

私は、中吉でした。
ここには、🗻富士山からの湧水がコンコンと湧き、紙コップもあり湧水は無料です。

この湧水で☕️コーヒーを淹れてみたかったです。
富士宮駅に戻り、JR見延線の旅、続きます。

