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Kindleを購入した。

結論から言うと、読書を習慣に出来そうだ。

既に持っている方の多いアイテムだと思うので改めて何が良いかの説明なんて野暮かもしれない、が
私は今回初めて知れたので語りたい。
これは読書からしばらく遠ざかっていた人間による久しぶりの読書体験記である。

「マルチに何でもこなせてしまうスマホを持っているのに
あえて読書しかできないツールがあることはその体験への没入感を深められる。」
と言う人も居るけど、実際の没入感で言えば図書館で物理書籍を読む方が圧倒的だ。

もちろんスマホと電子書籍リーダーとの比較に対して物理書籍で殴るのはおかしなことだとは思うが、
没入感は五感を刺激してこそなので、本の装丁、書籍のにおい、紙をめくる感覚は何物にも代えられないと思う。
静寂とした読書以外に何もない空間で本を読むことは本当に素晴らしい。

Kindle購入前にスマホのKindleアプリを利用したことはあるが、
スマホでのKindleアプリでの読書とKindle端末での読書は全くと言っていいほど異なる。
スマホは誘惑が多すぎるのだ。

通知が来てみたり、
文章の中にある内容を少し調べようとしてwebブラウジングをしたらその時点で終わり。
何もしていないのに時間が溶けてしまう。スマホは恐ろしい物質で、肝心の読書がはかどらない。
やはり読書ツールとして独立したアイテムを持つことの意味はあるのだなと感じる。

さて、手元にKindleが来た日の話をしよう。
当日嬉々としてライブラリにダウンロードをしたら、3時間ほどの読書体験しかできなかった。当日中に充電が切れたのだ。
さらにはライブラリを見る際のあのモッサリした動き。
これは・・・と思ったのだが、そのまま読み進めてみると案外悪くないなと思えてきた。

楽なのだ、とても。これに尽きる。

Kindleはイニシャルコストが掛かる。
物理書籍にはそのような概念すら存在しない。そして中古売買が盛ん。
中古書籍に全く抵抗がないので電子書籍の価格はコスパは非常に悪いとしか言いようがない。
何より、Amazonの電子書籍はあくまで利用権の購入をしているだけであって、所有しているわけではない。
Amazonに何かがあったり、アカウントに問題があれば、課金は即座に水の泡になってしまうのだ。(そんなことはないと思いたいが・・・)

Kindleを導入してから気付いたのだが、
私は物理書籍を汚したくない気持ちがあまりに強すぎたらしい。
それがストレスになっていたことを知らなかった。
マーカーを引くこともなかった。別にリセールに熱心なわけでもないのに。物理的にあるだけで、物質的にも情報的にも
「大事に扱わないと」「全部吸収しないと」という感覚になる。
なぜかは分からない。貧乏性か、図書館を利用してきたからか。

Kindleの利便性は「流し読みがしやすい」こと、それにより読める分量が増加すること。

実現不可能な理想で夢物語を空想するならば、
四次元ポケットに物理書籍を入れて、汚しながら読むのが一番だとは思う。
だが現実には出来ない。
外出時に持っている本の気分でなければ他の本は読めないし、
本が増えれば質量が増える。

Kindleを購入したのは他ならぬ英語の語彙力アップのためだ。
洋書が手に入れやすい。
だが思わぬ副産物で日本の小説なども楽しく読めてしまった。
ビジネス書はさくさくと読んで次にいける。
気分を変えるために別の本に手を出してみたり、と
気分によって行ったり来たりしやすくなったおかげで読書の時間が増えた。

本を読むということを楽しめるのは素晴らしいことだ。
だが、英語学習に宛てられる時間を圧迫しているようで本末転倒になりかねない。

本は面白い。
あらためて気づけて良かった。

だが、Kindleにはアマチュア作家の作品が乱立しすぎている印象がある。
Prime ReadingやKindle Unlimitedについては改めて記事にしたい。

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