本当は心理か英語の学部に行きたかったけども
今日、家の近くにある図書館の自習室に勉強をしに行った。
大学四年生にもなり、就職先もなんとか決まり、論文も提出した。そんな状態であるのに、まだ2月にある国家資格の勉強をしてしまっている。卒業にも、就職にも必要のない資格。
さて、なんのために勉強をしているのだろうかとたまに思う。
それで自習室にいる周りの人をボーッと見ていたら、共通テストの赤本をやっている人がいた。
そうか。もうセンターの時期かと思う。センターという単語はもう死語なのかもしれない。いつからか、共通テストなんていう名前に変わっていた。
今年はどんな不正をする人がいるのだろうかと想像する。チャット型AIなんかを使う人が出てきたりするのであろうか。
その人はカリカリ赤本を勉強していた。
顔はわりと切羽詰まっていた。当時の僕そっくりである。でも、今日の彼にも、当時の僕にも受験で失敗しても案外に社会は優しいよと教えたくなる。自分が負けたと思うかどうか。本当にそれだけだったと思う。第一、図書館まで勉強しに来ている時点で、自分に対しての真剣さと誠実さがあり、もし落ちても、負けたと思わなくてもいいくらいだと思うけども。でも、渦中の人間には伝わらないこともまた分っているので、心の内だけに留めておく。
今日の彼には行きたい大学があって、学びたいことがあるのだろうか。
その彼の真剣そのものの顔が単純なおもしろそうとか、なんとなく学んでみたいなとかから来る表情だといいなと僕は思った。
高校三年生の僕は心理学部か、英語系の学部に行きたかった。
なんでそこに行ってみたいかは漫然としたものであったし、とても言語化できるものではなかった。でも、なんとなく僕に合ってそうとか、なんとなく勉強したいという思いだった。
特に将来カウンセラーになりたいからとか、海外で働きたいからとかではなくて、単純なおもしろそうだけで行きたいと感じていた。
でも、親は僕のその”なんとなく”という曖昧さを嫌った。
進学の話になる度に「それをなんで学びたいの?」「卒業したあとに何になるの?」と聞かれていた。
けども、直感的に率直に”なんとなく”行きたいと思ってしまったというほかない。でもそれだけで「はい、どうぞ」となる母親ではなかったし、それを許容するだけの精神的な余裕のある家庭でもなかった。
それで、結局受けた大学は全て社会福祉の学部にした。
デイサービスで働いている母親。有資格にて卒業。社会から漏れることのない人材。社会に悪害のない貢献的なイメージ。人の役に立つ仕事。
きっと、全てが揃いすぎていたから、心理や英語なんかの”なんとなく”な曖昧さよりもわかりやすく、堅実だったのだと思う。
(一応断っておくと、当時の僕の家庭は経済的には恐らく困っていなかったし、母親も過保護な人間ではなかったと思う。ただ、大学進学に際しての僕の”なんとなく”の曖昧さが腑に落ちなかったという意見の相違があっただけだと思う。もっと大変な家庭の子どもと比較すると、僕の悩みは贅沢なのかもしれないことも承知している。)
社会福祉の学部を選んだことが全て失敗だとは思わない。実習などでは貴重な経験をしたし、就職活動においても有利に作用したと思う。
でも、それと同時にそれは結果論でしかないなとも思う。
大変な家庭の子どもがそうであるように、僕の家庭にも僕の家庭なりの事情が常に横たわっているから、僕はその曖昧さの否定に対して抵抗できなかった。
でも僕は今でもその曖昧さが否定されたことに対しての折り合いがつけられていない。結果ではなく、それまでのプロセスが大事だと僕は母親から教わっていたから、なぜあのとき僕が納得した上で進路を決定できなかったのだろうとたまに思い返す。
当時の僕は僕なりに18年間生きてきたつもりであった。心理や英語を学びたいと思った当時の僕も18年間地続きに繋がっているものの中で生きていて、一貫性のある人間として生きているはずである。
18の僕は確かに将来を想像する力は弱かったかもしれない。確かに言語化する力は限りなくゼロに近かったかもしれない。
その気持ちは確かに曖昧であり、”なんとなく”ではあった。けども、18年間生きてきた中で、そのときの僕は本能的、そして素直に真剣に、心理か英語を学びたいと思っていた。それは、ワクワクするなどの欲動に近いものだった。
そういう曖昧で”なんとなく”の選択肢だけども、そのときの自分がやってみたいという道にシフトを変えることが自分の人生を実感して生きられる一歩になると今なら思う。
そして、昔は未分化であった思いや考えが時間が経てば、凝縮された自分の気持ちに固まることもあると思う。もしかしたら、大失敗であったと後悔するかもしれないけども、そのときに僕はやりくりするくらいの機転はあると思う。
就職活動で僕は母親に全く相談することなく進めていった。
事後報告にしようと決めていたけども、ひょんなことからバレてしまった。けども、母親はもう僕に「なんでその職業になりたいの?」「将来的にはどうなりたいの?」と聞いてくることはなかった。
そもそも、就職面接においては母親のそんなありきたりな質問に答えられなかったら、その職業にはなれないというフィールドである。
自分の言葉でそのなぜを埋められる人であれば通ると知った。
ある意味で、心理や英語を学びたい理由を曖昧で”なんとなく”にしか言語化できなかった僕に母親が言いたいことも少しだけわかった気がした。
そういう自分の言葉で自分のことについて語れる人間であるべきだという理想は確かにその人の強みではあると学んだ。
でも、僕はそれでも高校三年生の僕の中にあった曖昧で”なんとなく”の気持ちを今でも否定したくない。
なにかを学びたい、してみたいという自分の中から出てくる欲動に言葉を付さなくても僕は良いと思う。
大人になって少しばかり賢くなった僕は、就活という場においては必要に駆られて、その欲動に言葉で肉付けして面接官の前に差し出すことはできた。
けども、もっと本質的に言えば、自分の中のその曖昧で”なんとなく”の欲動を感じたならそれをわざわざ言葉で飾ったり、変換したりしなくてもいいと僕は思う。
そしてフロイト的に言えば、僕らの意識できている感情なんてたかだか氷山の一角なのだから。そのもっと言葉が届かない奥の欲動を見るとき、僕らは曖昧で”なんとなく”になるのではないかと思う。
僕は今日も、明日も呪われたように、不必要な資格の勉強をする。
意味はない。けども、僕はもう子どもではなく大人になって、自分の気持ちや欲動を言葉で言いくるめることができてしまうようになった。言葉のもっと奥にある欲動を言葉で押さえつけて自制できてしまう。
今日の真剣な表情で赤本を解いていた彼には、曖昧で”なんとなく”、でも確実に自分が今行きたいと選んでみた学部にぜひ入ってほしい。
それは言葉で飾ることのできない、ワクワクだと思うから。その時の曖昧で"なんとなく"を語っている君の顔もまた真剣そのものだと思うから。
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