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【️家庭環境】超絶自責人間の私が唯一他責にしたいこと。

毎日を生きるうえで、「誰かのせいにしたいこと」ありますか?

なにかひとつ自分以外のせいにしてもいいなら、私は「家庭環境」のせいにしたい。潜在意識下の思考と人格形成について、100%自分のせいだとは思えないし、ひとりで抱えるには重たすぎて潰れちゃうから。もちろん100%他責にするつもりもなくて、常に葛藤しながら折り合いをつけて生きている。

「過去と他人は変えられない」
「アンコントロールなことを考えても時間の無駄」
「家族なんだから話し合えば分かるはず」
「結局は自分次第なんだから家庭環境のせいにするのは間違い」
「家族の悪口言うなんて人としてありえない」

上記のようなことは承知しきっています。潜在意識下に呪いのようにこびりついていて、ふとした瞬間にフラッシュバックする人間もいるということを分かってほしい。とはいえ、常に憎しみだけを抱えているわけでもない。一層のこと大嫌いって突き放せたら楽なのにね。だからこそ、葛藤しながら生きている。

リアルではほとんど話したことないテーマを匿名なのをいいことに、そして自分の中で蓋して押さえ続けることがあまりにもしんどいので、どろどろの感情を吐き出させてください。目に見える「言葉」にすることで頭の中にある感情と距離を置きたい。でも、決して同情してほしいわけじゃないし、私が可哀想なわけでもない。まるごと共感してもらえるとも思っていない。むしろやばいねwwwって笑い飛ばしてほしい。

似たような境遇の方に寄り添えるような何かがあればありがたい話ですが、家族関係・家庭環境というデリケートなテーマなので読みたくない方は読まないことをおすすめします。

過去に書いたライト目な記事👇

認知症の祖母の近況👇

両親との関係性がわかる記事(※前半部分)👇

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さて、本題に入りますが、いつでも引き返してくださいね。

自分用に言語化したメモを見てほしい

いつかネットの海に放流しようと思って、自分用にメモしておいたもの(原文まま)がこちら。帰省中の日々が地獄すぎて、むしろ言語化しないとやってられん!って感じで書き殴った。当時、毛色は違うけど同じように家庭環境に悩む友達に送ったところ、「言語化能力が高すぎて感情が迷子www」と返信をもらったくらいです。皆さん、このメモは私の言語化能力の高さを笑うシーンですよ~~(?)とはいえ事実に基づいておりますので(ゔっ…)。

登場人物は、①祖母(母方)、②母、③父、そして私です。

・諸悪の根源は祖母(毒親)
・祖母と母のバチバチ
・祖母と母と私の三角関係
・元おばあちゃん子の弊害(私)
・結果論、祖母が両親から私の子育てを奪う
・父、家を出る
・固定観念、安心安定保守派の父
・暴言暴力、罵声怒声(祖母と母)
・親離れ子離れできない共依存と支配と情(祖母と母)
・自分が絶対正しいという王様気質(祖母)
・死んでやるというメンヘラ脅し(祖母)
・悪化しまくる認知症(祖母)
・実は統合失調症(祖母)
・否定され続けて失った自己肯定感(私)
・アメムチではなくモラハラDV気質(祖母)
・過保護、過干渉(祖母)
・「あなたのため」は呪いの言葉(祖母)
・損得勘定で見返りありきの恩着せがましさ(祖母)
・自己犠牲がこびりついてる
・空気が読める人間観察大好きマン爆誕
・褒められると騙されてるようで人間不信
・無駄に傷つきたくないから言わない本音
・どうせ味方してもらえないという諦め
・反面教師で生きるしんどさ

2022年の年末帰省中に書いたもの

言語化メモを読んでみて、特に気になった内容はありますか?該当部分も適宜引用しながら書いていきます。

重複する内容もあるし、私の主観や憶測も含まれているけれど、おおむね本当のこと。ただ当時、感情的に書き殴ったメモだから、自分を悲劇のヒロインみたく仕立てていて、ちょっと気持ち悪い。

この先はなるべく事実・解釈・主観的に思う感情・俯瞰してみる全体像などがわかりやすいように、基本的な語り手の主語は私(こつぽん)で書き進めていくつもりです。時系列についても、当時の視点と、いま振り返ってみての視点がわかりやすいように書けたらと思っています。でも全体的にまどろっこしくなりそう…ご了承ください🙏

<登場人物のおさらい>
「家族」としては、①祖母(母方)、②母、③父、私の4人暮らし。祖母は母が幼い頃に離婚しているので、私は祖父(母方)の存在を知らない。事故で亡くなったと小さい頃に嘘をつかれていて、割と大人になるまで信じていた無邪気な私(笑)。余談はさておき、母は祖母とふたり母子家庭で育ってきたことになり、その後、父とお見合い結婚をする。


「おばあちゃん子」の弊害、幼少期~高校時代の私。

私が子どもの頃にタイムスリップしたとして、外から見えている我が家は全然普通だったと思う。私が「おばあちゃん子」だったことを除いては。田舎に住んでいて、両親が共働きで、祖父母と暮らしている事実は、全然違和感のない話なんだけど。「おばあちゃん子」だった生活の裏にある事実を知るのは、私が高校生になってからで、さらに大人になっていろんな家族の話を聞いて、異常さに気づいた。

・元おばあちゃん子の弊害(私)
・結果論、祖母が両親から私の子育てを奪う
・過保護、過干渉(祖母)

言語化メモの該当部分

本来は、母や父が担う役割を祖母が担ったことによる弊害が、知らず知らずのうちに大きくなった。とっても手遅れだった。子どもは純粋なもので、祖母の支配に気づけなかったし、その裏で母が(父も?)悲しい思いをしていたなんて、知る由もなかった。想像できなかった。

祖母は、私が生まれる前後で早期退職をしている。両親から私の子育てを「奪う」つもりはなかったと思うけれど、祖母は私にとっての一番になりたがった。とにかく私が「両親ではなく祖母」を選ぶように仕向けていた(と振り返って思う)。思い出せる幼少期の記憶では、両親の部屋ではなく、祖母の部屋で寝ていた。祖母に「どっちの部屋で寝たい?(※もちろん祖母を選ぶよね?の意)」と問われて、選んだ結果だ。純粋に祖母のことが好きで、祖母と一緒に寝たくて、そうしていた時期もあったのは事実。でも、徐々に、祖母の機嫌を損なわないための行動に変わっていった。


私自身の自我がもっと強くなってきた年頃、私の意志で母の味方をすると(敵とか味方とかの概念もそもそもおかしい話なんだけど)、必ずと言っていいほど祖母がよく思わなくて、ひどいと罵詈雑言を浴びせられて、早くこの時間終わってくれよと思いながら謝って、その場はなんとか収まるみたいなことが日常茶飯事だった。母も私も、絶対的な権力でねじ伏せようとする祖母に振り回されてきた。

・祖母と母と私の三角関係
・自分が絶対正しいという王様気質(祖母)
・死んでやるというメンヘラ脅し(祖母)
・アメムチではなくモラハラDV気質(祖母)
・「あなたのため」は呪いの言葉(祖母)
・損得勘定で見返りありきの恩着せがましさ(祖母)

言語化メモの該当部分

言い合いになる度に、「死んでやる」ってよく言われてたなあ。実際に刃物出してきたり、ヤケ酒してたり、よくわからん薬を大量に飲んでたり。大人になったいまだからこそ、お酒や薬でそんな簡単に死なないのもわかるけど、子どもの頃ってそんなのわからないじゃん?そもそも酔っ払って目が虚ろで呂律回らなくなってる大人って、子どもからしたら怖くない?楽しい雰囲気のときならともかく、手に負えないじゃん。刃物出されるのは論外なんだけど、祖母の性格上かまってちゃんで自分が一番大好きだから、絶対に自殺なんてできないと思ってるけど、それでも怖いよね。恐怖心で支配するのほんっっっとに最悪だと思う。

「死んでやる」って激おこモードのときもあれば、泣き落とし茶番劇のときもあって、そのときは「あなたのため」という言葉がセットになる。そして和解(?)後は奇妙なくらい優しくなる、DVの無限ループと同じじゃん。言語化メモにも書いたけど、「あなたのため」はかなり強力な呪いの言葉だと思う。言葉そのものの強さもさることながら、「私はあなたのためにこんなに尽くしてるのに、あなたからはこれっぽちも感謝されない!なんで!」と見返りを求める恩着せがましい思考が爆誕してしまう。この思考+感情爆発の祖母のせいで、感謝を強要されることが無理になってしまったし、損得勘定で動いていたり見返りを求めている人にも敏感になってしまった。脊髄反射レベルの拒絶。

家族関係を語るうえで肝になる「祖母と母と私の三角関係」について、祖母目線(私の解釈による)で整理するとこのような感じ👇

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📝祖母⇒私
・祖母が絶対正しいという洗脳
・外から見てもおばあちゃん子に見える(※近所の人は私がおばあちゃん子なことを疑わないし、両親よりおばあちゃんに似てると言われていた)
・母(父含む)vs祖母という対立構造を作り出したうえで、意図的に祖母を選ばせるやり口
・私に向かって母の悪口、否定するようなことを言ってくる(※祖母⇒母は実の娘なのに、よくそんな言い方するなって呆れるし、自分の親の愚痴を聞かされる私の気持ち考えて?と思っている)

📝祖母⇒母
・祖母抜きで、母と私が楽しそうに喋ってると機嫌が悪くなる
・母を私(や父)に取られたくない+私を母に取られたくないという、両方への依存体質(※祖母はとにかく自分が一番でいたい)
・母子家庭で祖母と母のふたりきり生活が長すぎて(母も一人暮らし未経験、父が結婚後に同居)、母への支配が当たり前になりすぎてる

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なんて厄介なんだ(笑)!とにかく、祖母が私宛と母宛とで言動が異なるから、そのたびに振り回されて。表面上は祖母の味方をしないといけないので、母と二人になれるときにフォローする(というか母から祖母の愚痴を聞かされる)流れまでが一連のセット。

全然登場しない父について触れておくと、深夜までの残業・単身赴任・遠方出張とほぼ家にいなかったので、ガッツリ巻き込まれることはなかった。ただ、上述の通り、祖母からすると「母を奪った人」のポジションになり、もちろん祖母からよく思われていない。一番居心地が悪かったのは父だと思う。

・父、家を出る

言語化メモの該当部分

結果的に、私が大学進学後に実家を出て少し経ってから、父は家を出て行った。祖母と母の絶え間ないやりとりに耐えられなかったこと、会社ではいろいろ積み重なった結果、鬱病の診断を受けて休職したことが要因だった。休職していたことは数年前に知ったばかりなので、当時はただ祖母のいる環境から逃げるためだと思っていた。父からすると大事な人(母)が、祖母から暴言を浴びせられて暴力を振るわれてるの耐えられないよなと思うし、一方でその度に豹変する母の姿も怖かっただろうなと(私が現に母に対しても恐怖の感情を抱くことがあるので、憶測だけど…)。

実家を出て「毒親」という言葉を知った後、大学時代~現在の私。

とにかく実家を出たかったから、県外の大学に進学できたこと、そして現在まで実家に戻ることなく社会人生活を送れていること、物理的に距離を取れたことは心底よかった。

帰省のたびに、上述の環境に連れ戻されるんですけどね…。言語化メモを見せたときに友達が言ってくれた言葉「心を核シェルターに封印」を心がけて帰省するんだけど、あっという間に破壊されて、剥き出しになるもんだから、傷だらけになる(笑)。

家族仲がめちゃくちゃよくて、会うたびに家族の話をしてくる同じ学科の友達がいた。悪気ないのがきつい。シンプルなカルチャーショックだった。中学時代には自分の家庭環境の違和感に気づき始めて、高校時代に確信に変わって、大学時代で自分の知らない世界線の家族像に出会って衝撃だった。大学は、県外かつ俗にお嬢様大学と言われるような、いろんな意味で育ちの良い人たちが集まっていたから、家族関係も家庭環境もどっちもギャップが激しかった。知らないほうが幸せだったとさえ思う、でも知らないまま死んでいくのも怖いから、これでよかったんだと思いたい。

明確な時期は覚えていないけど、「毒親」という言葉を初めて知ったのは大学生の頃だと思う。「毒親」や「親ガチャ」のような言葉が頻繁に言われ出したのって、2013年~2017年以降じゃない?どうなんだろう。古(いにしえ)のTwitterが盛んだった頃により広まっていったのかな?ともかく祖母が「毒親」の特徴に当てはまっていて、そのせいなんだ!って表面的な言葉で片付けようとした。母に「祖母は毒親だと思うよ」みたいなことを言ったのも大学時代の帰省中だったと思う。

ここ数年で悪化した祖母の認知症。介護の現実と、葛藤する感情。

数年前のGW帰省中、祖母が私に向かって、遠くに住む親族の名前で呼んできた。「○○ちゃんじゃないでしょ、△△(こつぽん)でしょ」と言っても、ピンと来ない様子でヘラヘラ。それから数ヵ月間がほんとうに地獄で、一気に症状が悪化して、仕事中なのに何回も携帯に着信が入っていたり、幻覚というか、とにかくやばくて(割愛します)。

結果的にガッツリ認知症、アルツハイマーの診断を受けて、さて、今後の生活を考えなくちゃというタイミングで、なぜか仙骨の骨折が発覚し入院することになった。リハビリも終えて退院してきたら、中途半端に認知症の症状が改善していた。入院中も、認知症に起因する行動があったから薬を飲んでいたらしく、その効果らしい。この症状の改善が厄介だった。

認知症の診断と同時に、実は統合失調症だったことも告げられたらしい。いままでの祖母の言動・行動があまりにも統合失調症の症状に当てはまっていて、愕然とした。「性格」だと思い込んで決めつけて、手に負えないから諦めていたのに、「精神障害」が原因だったなんて。え?いつから?母はかなりショックを受けていた。そして、統合失調症が発覚したことで、元の性格と病状と認知症の境目がますますわからなくなった。わかったところで、過去は変えられない、でも、もしかしたら、もっと早く食い止められたのでは?と思わざるを得ない。


時間軸を現在に進めると、祖母の海馬は70%がもう機能していないとのこと。薬も生活に支障がでない最大限で出してもらっていて、これ以上の治療は脳神経外科ではなく、(統合失調症の件もあるので)精神科の領域になるとのこと。

私個人の気持ちだけで言えば、母が一人きりで祖母の面倒を見るのは限界があるし、介護サービスに頼るべきだと思う。いや、お願いだから頼ってよという気持ち。でも、母が決断しない限りは私はなんにもできなくて、もどかしい。あと何年この生活続けるんですか?祖母が死ぬまでですか?じゃあ、あなた(母)の人生は、どうなるんですか?怒りにも似たトゲトゲの感情が湧いてしまう。

その理由は、母がこの生活を続けている限り、私への被害もあるからだ。母自身の人生を生きてほしいし、助け出したいという本音もありつつ、巡り巡って自分が救われたいから。わがままだなあとは思う。

・祖母と母のバチバチ
・暴言暴力、罵声怒声(祖母と母)
・親離れ子離れできない共依存と支配と情(祖母と母)

言語化メモの該当部分

母から電話がかかってきたと思ったら、祖母と母の怒鳴り合いを実況中継で聞かされるの。聞かせてから謝るなら最初からしないでくれよと思うけど、母も一人で抱えきれないんだろうね。帰省中も、「寝れないから睡眠薬くれ(※もうすでに飲んでるけど忘れてる)」って祖母が2階にのぼってくるんだけど、近づいてくる足音だけで嫌になっちゃって。母と私の部屋は別々だけど、すべての声と音は聞こえるわけで。引き金はたしかに祖母なんだけど、母の発狂スイッチ入るともうほんとに辛くて、バクバクうるさい心臓の鼓動で息が詰まって、胸が張り裂けそうになる。ちっちゃい子どもが毛布にくるまるように、ただただ暗闇に逃げる。怖いわ、悲しいわ、ムカつくわで情緒ぐちゃぐちゃになって声も手も震える。

しばらくトラウマになっているので、昔よりも物音に敏感になったし、大声出す人がまじで無理になった(笑)。

認知症当事者の祖母が一番可哀想で切ないのかもしれない、頭ではわかるけど感情が追いつかないんだよね。一番近くにいて、生まれたときからずっと一緒に住んでいる母(実の娘)のことを、一番最初に忘れちゃうの残酷すぎて、母が怒り狂う気持ちもわかる。元々の関係性のせいでなおさらね。怒りは二次感情と言われているので、私の憶測では、母の怒りの裏には愛されたかった悲しさと悔しさとやるせなさと、いろいろ詰まってるんだろうと考えている。あと、祖母が母よりも私のことを辛うじて覚えていることも拍車をかけている。

潜在意識下の思考回路と人格形成、こつぽんという人間の性(さが)

ここまでで思いのほか長くなってしまった~。上記のような家庭環境で育ってきた私が、どんな人間になったか、普段どんなことを考えているか、書いていきます。

・否定され続けて失った自己肯定感
・自己犠牲がこびりついてる
・空気が読める人間観察大好きマン爆誕
・褒められると騙されてるようで人間不信
・無駄に傷つきたくないから言わない本音
・どうせ味方してもらえないという諦め
・反面教師で生きるしんどさ

言語化メモの該当部分

因果関係は自分でも分析しきれていないけど、全体的に似たようなニュアンスだよね(笑)。

自己犠牲は酸素を吸うレベルで当たり前すぎて、無意識で自分のこと(表に出す意見なども含む)が後回しになっちゃう。だから、自分がやりたいと思える欲求が思いつかなかった(関わる方のおかげで、だいぶ改善されたと思っている)。そして「自己犠牲してる」ことを自覚すると、どうなるかというと、「なんで私ばっかりなの?こんなに頑張ってるのに…」というシンプル他責思考に発展するので、自己犠牲そのものがよくない性質だと感じてる。適量で尽くしたいよね!

詳述していない側面だけど、実はかなり否定されて生きてきました(笑)。田舎の狭いコミュニティも影響しているけど、とにかくあらゆる情報が筒抜けで、他人と比較されては否定され…。決定的なできごとは、高校受験と大学受験の挫折ですね、はいはい、お察し!振り返ったときに、大学では友達にも恵まれたので結果的によかったなと思えるけど、高校時代は学校にも家にも本当に落ち着ける居場所はなかったので、よく耐えたな~と我ながら思う。

人間観察が好きになった(好きだけど、そもそも無意識で相手の感情を読むようになってしまった)理由は、家族間の仲裁役になっていたことと、上記の他人と比較されていたゆえだと思っている。自己犠牲にも通ずるけど、ベクトル(?)が自分じゃなくて、他人に向いてばっかりだね。この性格は、ストレングスファインダーや昨今流行のMBTI(16personalities)にも表れていて、強みになるときもあるから悪くないだろう(笑)のお気持ち。

ストレングスファインダーの上位資質は「人間関係構築力」が占めていて、MBTIは何回やっても永遠にINFP(仲介者)。「仲介者」って言葉がもうそのまんま私のポジションすぎる(笑)。ずっと人の顔色と機嫌を伺って、感情を察知して、言葉を選んでる。一生板挟みだし、そりゃイエスマンにもなるよって感じ。親から愚痴を聞かされ続けてきた人は「共感疲労」があるというSNS上の発信を見つけて、なるほどな~~(お察し)という感じで心当たりしかない!って叫んだ。

最後に、「反面教師」で生きるしんどさたるや。「〇〇しないように、△△する」という否定文で捉える癖がついていて、潜在的によくないことなんだろうなあと思う。家族という一番近くにいる大人を見て、あんな風になりたくない!ってずっと思って生きてきた。あまりにも強く思い過ぎて、自分もそっち側の思考や発言をしていると気づいたときのゾッとする感覚はいまでも覚えている。しかも、他人のことだけじゃなくて、自分のことも反面教師の対象に捉えてしまうときがあって、ネガティブループの沼に溺れる(笑)。

結局、私はどう生きていきたいのか?

全体的にネガティブなことばかり書いてきたけど、結局、私はどう生きていきたいのか?

「過去と他人は変えられない、未来と自分は変えられる」という言葉があるように、過去の事実は変えられないので、ちょっとずつ捉え直しをしつつ、いまや未来に意識を向けるしかないのかも。過去の傷をいつまでも嘆いていられないというか、もちろん現在進行形で抉られることもあるんだけど、なるべく未来に持ち込みたくないような。漠然と、後悔したくない気持ちが強いかも。

「自分らしく生きる」って言葉にするのは簡単でも、実践するのは私にはハードルが高くて。そもそも「自分らしく生きる」とは?状態なので迷子です(笑)。ちょっとずつでも自分への優先度を上げていきたいかなあ。いままではいろんなキャラを倒してボロボロになって、ようやく自分自身に辿り着いていたところから、ひょいと手を伸ばしたところに自分自身がいるイメージ。自分が二人いるみたいで日本語が気持ち悪い(笑)。

あと、こんな人間性でも好きでいてくれる方たちがいるので、その方たちを絶対に大切にしたい。過去の傷も含めて、全部自分だ~!ってまるっと包めたらいいなあ。ワンタンみたいにやわやわの皮がいいなあ(笑)。

最後に

最後まで読んでくださって、ありがとうございました!!

2022年の年末に下書きに入れて、書き上げるまでに1年半以上かかっちゃった。いままで味わってきた全部の感情を書き切れたとは思っていないけど、2024年7月末現在の私が言語化できる限りの思いの丈を昇華できたので、ひとまずよかった。

「もう理想の家族にはなれない(戻れない)」と悟ったときのショックな気持ちはいまも覚えていて、静けさと鈍い音が共存して脳内がぐわんぐわんするイメージ。ハッキリと思ったのは、たぶん高校生のときだった。たとえ家族だとしても、他人を変えるのは無理だと痛感した。自分の思い通りになんてならないんだと、変えられるかも、信じてくれるかも、そんな考えが甘かった。

まだ癒えない痛みはあるけど、こうして言葉にできる居場所があってよかった。限りある時間と文字数の中で、断片的に書いてしまったけど、祖母のことも、母と父のことも、悪者にしたいわけじゃないのでご理解ください。

また別の機会になりますが、父方の祖父母に対しての懺悔の気持ちや、認知症の日常など、家族関係・家庭環境に関するnoteも今後も書いていきます。マガジンもあるので、興味のある方はぜひぜひ👇

改めて、9,000文字超の長文を読んでくださり、ありがとうございました!

※創作大賞2024に間に合わせるために書き終えましたが、今後もしかしたら、非公開や有料にすることがあるかもしれません。

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