「君どう」業界関係者の感想戦
月刊アニメ雑誌「アニメージュ」(10月号)に、スタジオジブリの最新作「君たちはどう生きるか」にちなんだ特集が組まれていました。内容はアニメ監督や演出家、アニメーターなど業界関係者25人の感想文を掲載するものです。
その読書メモの一部を共有します。
◇映画全体の感想
・12歳の時に「千と千尋の神隠し」を見たときの衝撃と同じものを感じさせられた。
・宮﨑駿監督の見ている「夢」を追体験するかのような作品。
・前半は静かに展開、後半は翻弄され唐突に終わりを迎える。そのことで深い余韻が生まれる。
・映画タイトルにつながる重要な要素は、作中の展開に代替する観客自身の「物語」にあると感じた。
・この作品は、子どもが「良い」選択ができるように願い見守る「親」のような存在を志している。
・小学生の頃に夢中になって読んだ「岩波書店」の「児童文学」の数々の記憶が蘇った。
・「この世界があともう少し続いてほしい」という気持ちでいる自分がいた。
・フェリーニ監督(イタリア、1923~1993)の自伝的作品と違い、「悩める作家」を「メタ的主人公」として登場させないところが「良さ」「若さ」「矜持」なのだと思う。
◇表現についての感想
・いつもの「宮さん」のような画(え)ではないのは、作画監督の本田雄の画に手を入れなかったから。いい仕事をした。
・当時の日本の「所作描写」は、実写では再現不可能なもの。大変豊かな気持ちになった。
・戦時中の日本の様子がすごくリアルに描かれていて説得力があり、当時を知っている宮﨑さんだからこそのシーンだなと思った。
・切り口やモチーフが出尽くしたファンタジーの世界で、「門」「塔」「積み木」「隕石」を正面から描き切っていて清々しい。
・「ヒミ」がかわいい。あんな風にジャムを山盛りにしたパンを食べたい。
・「真人」がパンを食べるシーン。パンを持つ手がこれまでの作品にはない「観察的」「特徴的」「写実的」なアプローチだった。
・「自由」と「美」の象徴である鳥が、「不自由さ」と「醜さ」「滑稽さ」の象徴として登場する印象的な作品。
・「火のお母さん」は、「あの事件」の被害にあったアニメーターの人たちを思い起こさせた。
・「何かが動いているだけで面白い」というアニメーションが持つ「生命力」が、終盤に高まっていくのが印象的。
◇自己変容につながった感想
・物語というもの、世界というもの、人生というものの意味を考えながら生きていかなければならなくなった。
・「それでも私はこう生きていきたい」。そう思いたくなるような「石」を拾った。
・これまで何を考えて、どう生きてきたのか、培われてきた「感受性」が試された。
・「扉」の外側には「生きる力」の源泉がある。この映画は僕たち自身の「扉」の向こう側へ誘い出そうとしている。
◇批判的な感想
・期待していた近年の「表現過多」の作風ではなく、「抑えた表現」に徹していて寂しかった。
・今回もお客さんに「エンタメの感動や楽しさを提供する」という義務を放棄している。伝わらなくても「伝える努力」は必要だ。
・アニメの世界は宮﨑さんやジブリを中心に回っていない。アニメに正解はない。