未亡人日記71●人生のご褒美
人生にはご褒美が必要だ。
めちゃくちゃ仕事が忙しかった時。
残業100時間ぐらいしてて、家庭も自分ももう少しで壊れそうだった時に、営業が海外取材の仕事を持ってきた。そこで、一息ついたのだった。
30歳の誕生日を迎えるひと月ほど前。私はフランスの取材ツアーにいた。
ブランデーのメーカーやワインのシャトーを巡った。
ワイナリーで、自分の生まれ年のワインを買ってお土産にした。
あの旅は私にとって人生の句読点になった。
で、このままじゃいけない、と色々なものを見直した時期でもあったのだったな。仕事しすぎで死にかけてもいたし。
「君は家庭をどう思っているんだ?」と
連日の残業続きでヘロヘロしながら深夜タクシーで帰ってきた私に、ソファのところで夫が詰めたっけな。
「あの時からもう四半世紀以上経ってるんですね!」と自分に言う私(心の中で)。
私は今、ワイナリーの見学中なのだ。
ひんやりした地下の、ゴロゴロ樽が寝ているカーヴの空気の中にいる。
ガイド役の若者は、説明がうまく、10人程度の私たちツアー客は時間が一緒だけの寄せ集めなのだが反応もよく、質問の呼吸などもピッタリあっていて「こんなにノリの良いお客さんは珍しいです」と誉められている。
私の同行者はコーチである。うちの子どもも、コーチの子どもも幼い頃からともに剣を取ってきて、気がつくともう10年選手なのだ。最近はコンスタントに入賞するようになり、海外遠征も一緒に行った。私たち、子どものこともだけど、自分たちがよくやってきたことをお祝いしてもいいよね?
人生のご褒美。
ツアーのおまけでついている試飲のワインで、ママ友でもあるコーチと戦友の乾杯をした。フレンチブルーに塗られた壁をバックにして、ワイングラスを傾けているコーチは美しかった。
夫の話を少しした。
「お父さんも喜んでいると思いますよ」。
死ぬ前の夫、元気だった頃の夫を知っている人は今や私にとって貴重品、なのだ。
母子家庭の前、そうでなかった時代、「普通のうち」だった頃のことを覚えていてくれるから。
夫の「ブラボー」という会場に響きわたる声援を覚えていてくれるから。
人生の中のご褒美の午後。
もう一杯ずつ飲んでから店を出た。
入道雲がもくもくと湧いていた。どっちかの空が暗い。
「あ、ホテルに折りたたみ傘を置いてきてしまった」と私。
「私も。降りますかね?」と、コーチ。
★
他のグループの夕食に行くコーチと駅で別れて、私は行こうと思っていたフランス料理店に電話して予約をとった。
それから、蒸してモワンとする空気の中を駅から歩いて行った。
予想していたけど、私が一番の客。
地のワインを飲みながら美味しいものを食べたい、するとワインバーのつまみでは物足りない気がしたので、フランス料理やでワインを飲めば良いのだ、と思いついての店のセレクトだった。
そら豆の冷たいスープに、かすかにスパイスが香ったので、これは何で風味をつけているのですか? とギャルソンに聞くと、後から、カルダモンを小さな白い皿に入れて持ってきて、「聞かれたのは初めてです、とシェフが言っています」。
私はそら豆が好物なのだった。
一人でのご飯というのはなかなか大変なのだ。適当にワインがまわってくるまで、ちょっとだけど、間が持たない。黒板のおすすめを見たり、店内調度をぼーっと眺めたり、やることがないのでやることを探すのに忙しい。
黒いグランドピアノが置いてある。
ワインは三種飲み比べというのを頼んだ。自分で選べるシステム。
日本酒みたいだな、と思った。
一人でなかったら試してみたい料理も黒板にあった。メインにハンバーグを選んだらお腹がいっぱいで、もうご馳走様だった。
店の女性と話してわかったが、このハンバーグは東京のある洋食店と繋がりがある店主(オーナーで、彼女の父)の、おそらくスペシャリテだ。フランス料理やでハンバーグは多分、東京の小洒落たフレンチだとやらないだろうな。
(赤ワインとハンバーグ)
と、私は得したように思った。
地方都市の土曜日の夜は想像よりは賑わっていて、若者がやってるらしい小店にはガラス越しだけど人が結構入っているのが見える。目星をつけていたバーの開店時間が7時半だったので、7時20分ぐらいまでねばって店にいたのだ。
5分もしないで着く距離だったのに、道がよくわからない。狭い通りでスマホを手にして迷っていると、レストランの前でタバコを吸っていた男に声をかけられた。
「どこか探してるの?」
私はバーの名前を言った。
「ああ、知ってる、案内するよ。でもこっちの店の方がいいよ」と男は自分のいる店のことを言った。
赤と白の店の日除けがレストランに見えたので「もうご飯食べちゃったから」と私は言った。
男の先導で、歩いて1分もしないうちにバーのあるビルの前についた。
「終わったらこっちに飲みにおいでよ、デザートワインご馳走するよ」と言われたので
「はいはい」
と私は言って、バーへの階段を上がって行った。