Miho

編集者&ライター。3児の母。

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最近の記事

未亡人日記72⚫︎「ナミビアの砂漠」

ナミビアの砂漠というタイトルで、鼻ピアスのヒロインの写っているポスターを見て、草原で牛飼いみたいな人たちが(出てこないだろうけど)出てくるような印象を持っていた。  私はノーインフォメーションで、映画館の一番前で、一人で映画を見る派なのだが、この日は友人と一緒で、連休の映画館も後ろはそれなりの入りだけど、前の方はガラガラで、快適だった。  映画の冒頭○1○1(丸井です)の見えるロングショットがいいなあ、と思って見ているとすぐに友人の友人ぐらいの距離の友達が死んだ話になり、

    • 未亡人日記71●人生のご褒美

      人生にはご褒美が必要だ。 めちゃくちゃ仕事が忙しかった時。 残業100時間ぐらいしてて、家庭も自分ももう少しで壊れそうだった時に、営業が海外取材の仕事を持ってきた。そこで、一息ついたのだった。 30歳の誕生日を迎えるひと月ほど前。私はフランスの取材ツアーにいた。 ブランデーのメーカーやワインのシャトーを巡った。 ワイナリーで、自分の生まれ年のワインを買ってお土産にした。 あの旅は私にとって人生の句読点になった。 で、このままじゃいけない、と色々なものを見直した時

      • 未亡人日記70⚫️天空都市にて

        川沿いに電車は走っていた。 どっちが川上なのか、意識してみていなかったが、だいぶやまの深いところに来ているような風景だ。たっぷり流れている川。 知らない路線に乗るとドキドキする。でもそれは嫌ではない。線路はどこかに続いていて、日本はどこにでも人が住んでいるから。多分。 西日がきついホームに降りると、大きな天狗の面が真っ赤な顔で出迎えてくれた。 お城までバスで行けるかな? そばまで行ければ、歩いて行こうと思って、路線バスに乗るとき運転手に聞いた。市役所前で降りてください

        • 未亡人日記69●「蝋人形の館」

          がん患者のオフ会と聞いて、がんに関係ない人たちはギョッとするんじゃないだろうか。 私ががんなのではなく、夫ががんなのであるが、私はその会に参加することにした。 当時ブログを書いていて(最初はただの趣味のブログだったのだが、そのうち夫ががんになってしまい、必然的に闘病に並走するブログになった)、数々のがん患者のブログをフォローして読み漁っていた。「どこかに夫を救う方法があるのではないか」と、思ってあらゆるものを読んでいたのだが、どのブログも、たいてい主人公の死で終わっていた

          未亡人日記68●鐘

          窓からはお堀が見下ろせた。 丸の内線が地上に出てホームに止まっている。その前にグラウンド。やや中景にビルがふたつみつ、固まって、広々とした空の中の目印になっている。 もう夕方だった。 私がいるホワイエというのかなんというのか、教室前のゆったりしたスペースへ、ドアを開けてある教室から講義の声が流れてくる。東南アジアの国や地名。近現代史なのか、政治経済なのか、おそらく一般教養の授業で、女性の教授の声だった。 (同じぐらいの年かもしれないな) と、聞くともなしに聞いていた

          未亡人日記68●鐘

          未亡人日記67●赤提灯で会いましょう

            湘南新宿ラインに乗って都心から遠ざかって行く夜。 窓の外の明かりが減っていく。文明は光であり、文明は電気でできているのだなあ、といつもと同じようなことを思っている。 ターミナル駅で乗り換える。夕方のラッシュは地方の駅にもあって、子供と私は大きな荷物を持ちながら、帰宅する乗客たちと一緒に階段を駆け上がる。ここでローカル線に乗る。 初めて乗る路線では、いつも、目的地がどっちにあるのか不安になる。行き先を見ても降りる駅が含まれているかどうか分からないので不安だ。もう夜だ

          未亡人日記67●赤提灯で会いましょう

          未亡人日記66●京都の夜の話

          私の京都には思い出がバウムクーヘンの層のように重なっていて、新京極、行き止まりの蛸薬師の前を、子どもたちが小さい頃ここで撮った映像が残っているなあと思いながら、歩いている。 昔、有次の包丁を買って、柄のところに名前を入れてもらった。あの包丁はペティナイフとしてうちで大活躍していたが、いつの間にかなくなってしまった。思うに、新聞紙の上で何かの皮を剥いてそれと一緒に捨ててしまったんではないだろうか。 包丁を買ったのは00年代のことだ。 それを今思い出したので、有次で包丁を買

          未亡人日記66●京都の夜の話

          未亡人日記65●墓場の運動会

          入院しているから行動に制限があるのは当たり前で、この病院だと入院患者が階下のコンビニに行けるのは朝の7時から8時までと、夕方5時から消灯まで。外部から来る人との接触を避けるためなので、多分これはコロナ以前はなかった規則なんじゃないだろうか。 普通の人の活動時間には、コンビニに行くことは禁じられている。 そう思ったとき、私の中に流れた風景は、やや「ゲゲゲの鬼太郎」的、朝は寝床でぐうぐう寝て、夜は墓場で運動会するお揃いのパジャマたちの姿。 皆でお揃いのしましまのパジャマを着

          未亡人日記65●墓場の運動会

          未亡人日記64●熊本の夜

           新幹線さくらを降りてすぐ、ホテルにチェックインした。 ポツポツと降り出していた雨は、部屋からロビーに戻ってくる間に篠をつく大雨になっていた。線状降水帯が発生する恐れがあります、と、ロビーのテレビが言っている。  午前中、新幹線に乗る前にお墓参りをした時は、雲が厚くて蒸し暑いけれど、雨が降る予感はなかった。広い霊園で雨だったらアウトだった。 こんなに激変する天気に、「私、持ってるな」と心の中で自分を讃える。(もっとも、新幹線で100キロ以上移動しているけど)。 いつも一

          未亡人日記64●熊本の夜

          未亡人日記63●「あの素晴らしい愛をもう一度」

            映画館では一番前の真ん中で映画を見ると決めている。 今日の席は車椅子スペースの隣の席から一つ空けて座った。 夫が生きていたら多分一緒に見にきてる映画。右側は空席だけど、ここに夫がいるつもり。 (いや、普通なら私は夫の右側にいるはずだなあ。もう長いこと時間が経ったので夫がどっち側が咄嗟には忘れてるんだな。) 音楽はいつも思い出をつれてくる。 私たちにまだ子供が一人しかいなかった頃だろうか。日曜日の夕方、ラジオをつけながら夕食の支度をして、そのまま食事をとっていた

          未亡人日記63●「あの素晴らしい愛をもう一度」

          未亡人日記62●沈黙の海

          「沈黙」の舞台の一つだから「沈黙の海」と名付けてもいいかもしれないけれど、そうでなくて、そもそも海自体が沈黙している印象だった。  海辺で育っていればその人だけの海のイメージがある。その海は私の知るどの海にも似ていなかった。断崖に大きな岩の塊が危うく乗っかっていて、その重力を受け止めるように海は広がり、淡いミントブルーのような淡い色合いで静まり返っている。潮騒は聞こえない。文学館の駐車場に車を停めて、私たちは車を降りた。  ずっと遠くに平たい島が見えた。  「あれ、軍艦

          未亡人日記62●沈黙の海

          未亡人日記61●銀座の歩行者天国で、愛を叫ぶ

           自分で着物を着て、銀座まで来られるようになったけど、だからといって褒めてくれるあなたはもういません。  と、そういう短歌か、俳句がふっとできればいいんだけど、思いつかないので頭の中でも沈黙したまま、母の大島紬に道行き姿の私は地下鉄から銀座通りへの階段を上がっていった。  この草履は銀座の小松やで買った。25年は前だと思う。まだ子供がいなかったから。小松やはもう銀座通りにはないかもしれない。当時20代、着物ブームの私は勇敢にも「志ま亀」を攻めに行き、お茶を出されてびっくりし

          未亡人日記61●銀座の歩行者天国で、愛を叫ぶ

          未亡人日記60●FIRE! 荷風

            電車に乗るのが好きなのだ。できればいろんな電車に乗りたいのだ。   今日は息子を迎えに成田まで行くのであるが、新宿からどうやって行こうかな? と行き方を調べていて、成田エクスプレスは結構高いなあ、山手線で日暮里から京成もあるけど、こっちの方が良さそうかな、と、導き出したのが都営新宿線で本八幡まで行って京成線に乗り換える方法だった。1200円だから成田エクスプレスの三分の一の値段。   でも本八幡って何があるんだろう? へえ、八幡神社があったのが名称の由来か、そしてホーム

          未亡人日記60●FIRE! 荷風

          未亡人日記59●サン・レミに置いてきたもの

           「後期印象派のゴッホの足跡を訪ねる旅」に結果としてなったのは、アルルを訪ねたからである。私はビゼーが好きで、ビゼーと言えば「アルルの女」である。ファランドールやメヌエット。ファランドールは、大学生の時、退官前最後の授業で教授(フランス人)が、フランス語の歌詞で歌ったことをいつも思い出す。あれって歌詞があるんだ? とその時思った驚きと共に。フルートの出だしで有名なメヌエットの方は、でも実は本来「アルルの女」の中の曲ではない、という知識をフランスに行く前に得ていた。だからどうだ

          未亡人日記59●サン・レミに置いてきたもの

          未亡人日記58●エクサンプロヴァンスにて その2

           広場を四角く囲んでいるマーケットの中にある日本のブースに滞在中何回も行った私は、やはり一人旅で寂しかったんだろう。その日も私はフラフラとマーケットに向かったのだった。  そのブースの前に立っていた、赤いコートにサングラス、ボブカットの背筋の伸びた女性を「日本人だろうな」と思って見ていたら、「この前あなた忘れ物したでしょう」と日本語で話しかけられた。 「そうです」  初日にこのマーケットに来た時に、イスラエルのブースで買ったファラフェルのサンドイッチを食べながら、ドイツ

          未亡人日記58●エクサンプロヴァンスにて その2

          未亡人日記57●エクサンプロヴァンスにて

           悲しみはもう私の肌の中に潜り込んでなかなか出てこないようになったのに、不意に温泉のように噴き出すことがあって、それは体育館でやってきた。息子の試合を見ながら、あああ、夫はこの息子のジャパンをつけた試合をどんなに見たかったろうな、と思うと、私の目からじんわりと涙が出てきた。  息子のおかげで来れるはずもないところに、一人でやってきた。私はどこまで自分が行けるかやってみたかったのだろうか。そもそも5年半前に夫が亡くなってから「ここまで」きたんだよ。なんと遠くまで来たんだろう。

          未亡人日記57●エクサンプロヴァンスにて