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未亡人日記50●一筆書きの旅 その2
地図を見ながら夢想していたことが本当になるというのは不思議なことだ、とフェリーに乗船しながら私は思っていた。
コロナの外出禁止期間中、閉塞感を空想力のエンジンにして、私はずっと世界一周の船旅を夢想していた。そこにはすぐ、自分の推しである永井荷風や白洲正子の洋行の影が出てきてしまうのだけれど。(映画「タイタニック」のイメージは特にでてこなかった。)
言ってみれば飛行機のまだなかった時代の優雅な洋行のイメージへの憧れというか。また、武田百合子のエッセイ「犬が星見た」で百合子さんが夫の武田泰淳と、作家の竹内好と共にロシアに旅するのだが、そのオープニングが新潟からウラジオストック行きのフェリーなのだった。そもそも、私は高校時代にフェリー通学をしていたので船に関しては親しみを持っていることも大きい。(そしてその航路は、今は廃止されてしまったので、失われたものへの郷愁もある)
リアルで考えると、夫の死んでしまった今、夫婦単位が基本みたいな豪華客船の船旅は来世まであり得ないだろうし、何よりそんなお金もないわけであって、そんな私の身の丈にあっているマイクイーンエリザベスⅡ世号が、このフェリーの旅なのだった。22時半出発、朝5時5分到着、持ち物は手提げカバン一つだけの女の船旅。相当、あやしい。
待合室にいた人たちが全員乗り込んでも、船は大きくて閑散としていた。私はツインステートという2台のベッドのある個室部屋を九千百円で予約していた。もちろんフェリー代込みである。ビジネスホテルに泊まって、寝ている間に移動していると考えると安いのではないか! しかも、お風呂に入れるんだよ。
海の上で、大浴場に浸かるというのが愉快に思えて、この旅でやってみたかったことのひとつなので、だからチェックインするとすぐ大浴場に直行した。
乗船は21時半で、出発が22時半だった。
船はなかなか出ず、しかも港の灯りがそれほど多くないので、暗い。海の上なのかどうかもわからない。大浴場の窓ガラスにかかっている視線除けのブラインドの隙間を指で広げて、何回も出航したかどうか眺めて待ったが、その間、風呂場には誰も入ってこなかった。
お風呂から上がって、女性店員が一人いる売店を冷やかしてから、ロビーのところのマッサージ椅子に百円を入れて機械にマッサージされながら、暗い海を見ていた。すごく若くないが、私から見たらまあまあ若い男性が二人、少し離れたテーブル席で話している。多分北海道にツーリングに行くんだな、と私は見ている。
降り戻って、マッサージ椅子の視線の先、私のつま先の海は韓国の方角なんだろうか。暗くて何も見えない。
ロビーを横切って船の反対側に行くと、満月が船を追ってくる。
月というのは、太古から今まで一つなんだなあ、今まで生きてきた人は誰でも月を見てきたし、月は何でも見てきているから偉大だなあ、と、たまにそういう気持ちになるのだが今日もそう思った。(もちろん、そういう時は大抵、夫のことも同時に思い出しているのだ)。
そして、(私は一人だけれど、自由だ)、そういう少し寂しい気持ちと身軽でさっぱりした気持ちと半々で、フェリーの上から十五夜の月を見ている。
消灯は23時30分だったか。
明日もし起きられないと私は下船出来ず、そのまま北海道に行ってしまうんではないかと思うと、携帯で目覚ましをセットしたあとも、緊張する気持ちがあって眠りは浅かった。
ベッドの垂直、遥か下から船のエンジンの音が絶え間なく響いているようで、太平洋戦争の時、船で見も知らぬ南方に運ばれた若い日本兵たちはどんな気持ちだったのだろうか、などとうつらうつらしながら空想していた。
4時に館内アナウンスがなった。
なるほど、こうやって起こされるんだ、と納得した。車やバイクのお客への誘導があり、その後私の部屋がノックされて、クルーが鍵を回収に来た。
部屋に備え付けてあった湯沸かしポットで、湯を沸かし、これも備え付けの緑茶のティーバックで淹れた朝のお茶を飲んだ。船のデッキには出られないのだが、昨日いたロビーまで行ってみると、夜明け。
朝の港に入っていくのはいい気分だ。
朝日が港の周りの建物に反射して、遠い山並みが光っている。風力発電のプロペラが海の上にすっくと立って風に回っている。満月の名残がちょうどその羽の水平方向に白っぽく浮かんでいる。外へ出ると寒そうだ。
乗船の記念に何か写真を撮りたかったので、船長の白いジャケットを着て赤と白のしましまの浮き輪のそばで写真を撮れるコーナーで、ロビーにいたキャプテンに声をかけてスマホで撮影してもらったが、頼んだ後に(子供でもないのに、みんな忙しいのに)、と恥ずかしく思った。寝起きの変な顔だったので写真はすぐゴミ箱に捨てた。
徒歩で、朝5時過ぎ、船の出口を出たのはたった一人、私だけだった。乗り込んできた掃除のクルーのおじさんおばさんが「おはようございます」と挨拶してくれたけれど。
接岸している建物の4階から、たった一人トコトコと階段を降り、エレベーターに乗り替えて地上まで降りた。
そして、そこに待っていてくれた人がいた。
(つづく)