未亡人日記26●「おわりのはじまり」


どこからが終わりの始まりだったんだろうか?

「鉄のたまに打ち砕かれる夢を見た」
と、うたたねから目覚めた夫がいつになくおびえた様子で言うので、落ち着かせようと話を始めたら私も泣いてしまって、手を取り合ってなにか言い合っていたんだけど、もう何を言っていたか自分の言葉は思い出せない。
夫が言う。
「俺は死の影を見た」。
人は自分の終わりの時期を予感できるのだろうか?

「でもまだがんばるから」と最後には自分に言い聞かせるように。
夜の7時半頃だった。父と母が手を取り合って泣いているのに、子どもたちはわりと平然としてテレビの前にいた。
あれは1月の終わり頃だったか。10回目の入院はそのあとすぐだった。

夫の主治医が変わる直前に、主治医と相談して、腹水を処置してくれる専門の病院に問い合わせてみた。抗がん剤ができなくても、どんどんたまっていく腹水を抜きながら栄養だけ戻すのだ。
そのころにはもう何リットルも抜くようになっていた。抜くとすっきりするんだという。お腹も軽くなり、ものが食べられるようになる。
ベッドの脇に下げてある透明な容器には抜いている途中の腹水がたまっている。その中にチラチラと舞っているたくさんの白いものがあって、見たときはぎょっとした。一体これは何?
新しい主治医の説明は「これは髄液です」というものだった。でもそれが何を意味するのか? 本来はここにあるべきでないものがここにある、ということの意味を私も夫もわかっていなかった。夫は新しい主治医が「暗いからこっちまで気が滅入る」。私も、前の主治医が恋しかった。しかし新しい主治医が暗いのは理由があったのだと今思う。主治医にはすでに終わりが始まっていることがわかっていたのだろう。

夫本人が入院中で来られないので、私は代理受診で腹水の病院に行くことにした。待合室に、ある女優がここで治療を受けていたことがわかる記事が貼ってあった。彼女はもうすでに亡くなっていて、夫は同じ部位のがんだった。イヤだな、と思った。

院長先生から入院についての簡単な説明を受け、日程を予約した。混んでいるので2月の連休のあたりに入院することにした。今の病院から、うちに戻らず直接転院してもいいそうだ。
治るための治療というのはすでにはじめから放棄されていたのだが、ここにきていよいよ時間稼ぎみたいになってきた。そのことだけはぼんやりと私にもわかっていた。でも突き詰めてそれを考えることなど、到底できなかった。

この日は、東京には珍しい大雪の日だった。
病院の外に出ると、灰色の空から、白い雪が舞い降りている。夫の体内から取り出した腹水の中をチラチラ舞う髄液を連想した。本来、雪が好きなのに、見るのがイヤな感じだった。
雪のせいで明るい空だが、風景はまるで東京ではない。灰色の空から途切れずに雪が激しく舞い降りている。あたり一面白い。フカフカした雪が、足を踏み入れると遭難しそうなぐらい道路端に積もっている。交差点で地下鉄の入り口がどっちかわからず迷った。毎日の習慣のとおり、夫の病院に行こうと思ったが、今日はひどい疲れを感じた。いくのがおっくうだった。こんなことめったにない

「遭難しそうなので今日は病院にいかなくていい?」と冗談めかして夫に連絡を取ると
「あのさ、今日はこなくてもいいんだけど、すごいんだよ、お見舞いが。生肉はやめてっていったから、それはないからいいんだけど。明日来たら持てる分持って帰ってくれる?」
夫の大学の同級生たちがお見舞いに来てくれたのだ。
「子どもたちに食べさせてくれって。ハム、ベーコン類とか大量にあるよ。ありがたい。米まで持って来やがった」
雪だから無理しないでくれと夫はいったらしいが、むしろ雪だからこそあえて来たのだろう。
「ハム、ベーコン、ふかひれスープ。この雪の中、そういう心遣いがありがたい。まるでかさじぞうだな」と、夫のメッセージが返ってきた。

暮れかけてきた雪の空の中に「かさじぞう」の言葉がぱっと光を灯した。
空のそりを曳いた病院帰りのかさじぞうたちは、どこかで熱燗でいっぱいやっているだろうか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?