「たけのこ」から多様性を考える

先日、一人旅で旅館に泊ったのですが、晩御飯にたけのこを炊いたものにあんがっかかった小鉢がでてきて、ふと思ってしまいました。

もう亡くなってしまいましたが、母親がよくたけのこを炊いてくれたのですが、温かさとたけのこの苦味がなんともいえず、また食べたいなぁと。
当方、バツイチ独り身なので、そういう料理を作れる人がいれば良かったなぁと考えしまったのですが、これって女性に料理を作るという役割を求めているんだと気がついて、こいういう考えが良いのか悪いのかと、たけのこを食べつつグルグル思考が回ってしまいました。

最近ネットで見た記事だと、婚活女性って年収600万の男性を希望することが多いそうですね。これって、男性に一定の稼ぎを求めるという役割を求めてることになりますよね。これっていけない事でしょうか。

自分が思うに、理想をもつ事は自由だと思います。
たけのこを吹いてくれる女性を求めるのも、600万稼いでくる男性を求めるのも、そういう理想、願望を持つことは悪いことではなく、個人の自由だと思います。

ただ、現実はそう簡単にはいきません。
自分が望む相手がみつかるかどうかは分かりません。これはどうしようもない事です。だって相手ありきの話だからです。世界は自分の思うようには動いていません。

ここで、どうするかではないでしょうか。
現実に合わせて、理想とは違うけど求めるものを変えてみる。自分でなんとかしてみる。つまり、相手のせいにしないで自分を変えてみる。

ながながと書いてしまいましたが、多様性とはこういう事じゃないかと思うのです。
それぞれの人がいろんな理想や願望、主義主張考えを持つことは決して悪いことじゃない。そう思って良いんだ。ただ、残念ながら現実は思い通りにはいかない。
だからといって相手を非難しない。人のせいにしない。必要なら自分で現実とすり合わせる。

いろんな考えを認めるという事は、実は認められ自分の考えをどう現実とすり合わせるかという、自分の問題だと思うのです。

どうでしょうか。

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