何事も、そこへ至った背景がある
こんにちは、いつもお読みくださりありがとうございます😊🙏
今日は、ふと目にして気になった問い
「なんで〇〇があるんだ」について考えていこうと思います。
この問いは、例えば(例えばですよ)
「なんで学校で古文漢文を勉強するの?」「なんで学校でそろばんを教えるの」
というような形で、私は目にしました。
ときに、このような問いかけでは、その根底に「〇〇は必要ない」という気持ちがあって発言されることがあるのでは、と推察します(すべてとは言いません。)
この問いかけが、今日のタイトルにつながっていきます。
さて
かくいう私も、さんざん「なんで〇〇があるの」という言葉を使ってきました。
子どもの頃から、割と最近まで
特に、私がこの問いを投げかけたかったのは、お便りを作成するときの「時候の挨拶」でした。
昨年度のお便りのデータから文章をまるまる写したものの、上司に写したことを気づかれ、よく直されたものでした。
正直なところ、当時の私はこう思っていました。
「必要なことは理解できるけど、なくてもいいのでは?他にやることがたくさんあるよ」
つまり
存在の理由はかろうじて頭で理解できるけど
心の奥で、それは必要ない(優先順位がかなり低い)と感じている
ということ。
この心理状態が私にとって、非常に厄介だったようで
当時の私から、時間を奪い、身体疲労も精神疲労も、もたらしました。
ここで、お伝えしたい私の意見は
時間を奪い、身体疲労と精神疲労をもたらしたのは
その仕事そのものではなく、葛藤を感じている心理状態
ということです。
なぜこれをお伝えしたいかというと
今の私は
どんな仕事、どんな物事にも、そこへ至った背景があると考えているからです。
必要ないように思える、仕事や単元、行事など
その始まりを辿っていけば、もとは政治的意図だったかもしれないですし、もしかしたらお金が絡むことがあったかもしれません。
私は、必要ないと感じても
それは、気づかず現代社会の大事な歯車になっている可能性もありますし、誰かの努力の上に存在するものかもしれません。
ただ、だからと言って、過去から続いてきた仕事や決まり、行事など、何も考えず、全てそのままでいいというわけでは、もちろんありません。
中にはすぐにでも改善が必要なものもあるでしょう。
ただ
いらないから、必要性を感じないから、身近な人にとって困るみたいだからなくそう!
ではなくて
・過去、その仕事や物事が何を意図されて、できたのか
・なくなったときに、どんな影響があるのか
過去を踏まえて、未来を見据えて改善案を考えることが必要ではないか?
ということです。
物事の始まりの意図と、それがもたらしてる現在の影響をしっかり理解すること
当時、この考え方は、私には遠回りに思ましたが
こう考えていくことで、世の中の仕組みも腑に落ちて
精神的な負担が少なくなりました。
「これはやる必要あるの?」と、過去の自分のように
もしもイライラすることがあったなら
自分の心にも問いかけてみてください。
「なんで必要ないと思うのだろう?」「なくなったらどうなるだろう?」
ここまでお読みくださりありがとうございました。
過去の自分と似た悩みを持つ方がいたなら
解決へのきっかけの一つになればと願っています🙏
私は、「個人の学び」にとって、これはとても大事な考え方の一つだと思うので、この投稿だけでなく、今後も少しでも多くの人に伝えられたら嬉しいです。
ーオマケー
仕事や制度の中身を改善しよう!として
論理的に「その仕事(〇〇)は必要ない」ということを伝えるには
その事に関して
逆に、深い深い勉強をすることになります。
勉強する過程で、やっぱり必要だと感じることもあるかもしれません。
私は、「勉強することの意義」の一つは、そういうもののためにあるのではないかな
と個人的に思うのです。