
キューピーさん、たすけて
ユカちゃんは10才になっても、まだキューピー人形をまくらもとにおいてねます。10才といえば小学校5年生です。おかあさんが、いいかげんにそのくせをやめるようにいってもききません。
キューピー人形は、ユカちゃんがまだとてもちっちゃかったころからこの家にいます。だれが買ってくれたものかもしりません。なぜならユカちゃんがものごころついたときには、もうキューピー人形はいつもそばにいたからです。
そのキューピー人形はやわらかいプラスティックでできており、20センチくらいの身長です。ユカちゃんはそれをとてもだいじにしているのです。だけどよごれてまっくろになっています。それもそうでしょう。毎晩、ユカちゃんがだいてねるのです。よだれやあせやらで、どうしたってよごれてしまいます。
しかもその人形の頭のてっぺんにある、キューピーの特徴ともいうべき髪の毛のとんがりは、いつだったかユカちゃんがまだちいさいとき、ねていてかじってしまい、つぶれてあながあいています。だいじにしているわりにはかわいそうなことをするものですね。
おかあさんはそんなキューピー人形をみるとユカちゃんにこういいます。
「そんなきたない人形、はやくすててしまいなさい」
だけどユカちゃんはそのたび、おおきく首を横にふって
「やだ」
とこたえます。
ユカちゃんが、このキューピー人形をだいじにし、いつもだいてねるのは、じつはわけがあるのです。いつだったかははっきりしないけれど、3才か4才ぐらいだったと思います。
ある晩、ユカちゃんは夢をみたのでした。それはとてもこわい夢だったのです。ユカちゃんがみなれない家のろうかをあるいていると、その壁面にあるいくつものドアから、ドラキュラやおおかみ男、魔女やフランケンシュタインがでてきて、ユカちゃんをおそおうとするのです。ユカちゃんはけんめいになってにげます。だけど妖怪たちはどこまでもおいかけてくるのです。
そのとき、ユカちゃんはまっくらな自分の部屋の自分のベッドの上で目がさめました。あせびっしょりです。それはきがえればいいとしても(ユカちゃんは3才のころから、ひとりでちゃんときがえができます)そのままねたら、また妖怪がでてきそうです。ユカちゃんはねるのがこわくなりました。だけどこのままおきているわけにもいきません。
そこで目についたのが、おもちゃ箱のいちばん上においてあったキューピー人形です。
ユカちゃんはキューピー人形に
「どうかわたしを妖怪からたすけて」
とおねがいしました。そしてそのキューピー人形をだいてねることにしました。
するとどうでしょう。夢の中でふたたび妖怪たちにおいかけられているユカちゃんの前に、キューピー人形があらわれたのです。そしてユカちゃんをすくうべく、妖怪たちにたたかいをいどみました。
キューピー人形はそのひろげた両手から光線を妖怪たちにむけ発射しました。すると妖怪たちはくるしみだして、みなにげていきます。ユカちゃんはおおよろこびです。こわい夢が一変して正義の味方のでてくるかっこいいストーリーになったのですから。
それいらいキューピー人形はユカちゃんにとってただの人形ではなくなったのです。
こんな夢もみました。ユカちゃんが自分の部屋でねていると、とてもおおきなハエの大群がはいってきてユカちゃんをおそおうとするのです。しかしユカちゃんはもうこわさのあまり夢からさめてしまうことはありません。夢の中でさけべばいいのです。
「キューピーさん、たすけて」
するとどこからかともなくキューピー人形はあらわれ、こんどはユカちゃんがかじってあなをあけてしまった頭のてっぺんから光線を出してハエたちを部屋の外へおっぱらってしまいました。
キューピーはそのハエたちをおいます。そして夜空の下の大決闘、キューピーはハエたちをつぎつぎにやっつけていくのです。ユカちゃんは夢の中でそのありさまをしっかりみています。ユカちゃんのキューピー人形はほんとうにつよいのです。そのたたかいぶりにユカちゃんはすっかりみとれてしまいました。
だけど、とうとうユカちゃんはキューピー人形と永遠のお別れをすることになってしまいました。おかあさんがユカちゃんがいないあいだに、キューピー人形をすててしまったのです。ユカちゃんは泣いておこりました。だけどおかあさんは平気です。
「あんなきたない、カビのはえたような人形をだいていたら病気になってしまうでしょう」
「病気になってもいいもん」
ユカちゃんは目に涙をいっぱいためてさけびました。そして家じゅうのゴミ箱の中から、町内のゴミ捨て場まであさってキューピー人形をさがそうとしました。
おかあさんはあきれてしまいました。
「あんた、そんなみっともないことやめなさい」
「みつかるまでやる」
ユカちゃんはガンとしてききません。
「あたらしいのを買ってあげるから」
そうおかあさんがいっても「あのキューピーさんでなきゃいや」
とつっぱねます。それもそうでしょう。あのキューピー人形でなければ心はつうじないのです。ユカちゃんが夢の中でこわい目にあってもたすけてくれません。
「あの人形はもうゴミ屋さんがもっていったわよ」おかあさんがいいました。だけどユかちゃんには聞こえません。
「すきにしなさい」
とうとうおかあさんはおこって家にもどっていきました。
ユカちゃんは泣きながら、そしてゴミにうもれて体中をよごしながら、けんめいにキューピー人形をさがしました。
だけどみつかりません。
おかあさんのいったとおり、ゴミ屋さんがすでにもっていったあとだったのです。ここにあるゴミはみな、食べ物のカスとか紙くずとか、そういったたぐいのものばかりです。
キューピー人形をすてるなら、ふつう燃えないゴミのところへすてるのです。ユカちゃんのおかあさんもそうしました。そしてそのゴミ屋さんはもうすでにきて、あつめられたゴミをもっていってしまったのでした。だけどそんなこと、あまり家のお手伝いをしていないユカちゃんにはわかるはずもなかったのです。
とうとうユカちゃんはゴミをあさるのをやめてしまいました。ここにはもうない、とわかったのです。そしていそいで家にもどり、おかあさんに
「ゴミ屋さんがもっていったゴミはどこにいくの」
とききました。
それをきいたおかあさんは、まだ人形をさがすのをあきらめていないユカちゃんにびっくりしてしまいました。
「あんた、まださがす気なの」
ユカちゃんはだまってうなずきました。
「市内のゴミは一か所にあつめられて、そこで処分するの、いい、市内のゴミがみんなあつまるのよ。さがせるわけないでしょう」
おかあさんはあきれ顔で、ユカちゃんにさとすようにいいました。
そこでユカちゃんも、さがすことの不可能さをしり、ついにあきらめざるをえなかったのです。
その晩、おとうさんが前のキューピー人形より、少し大きめのくまのぬいぐるみをおみやげに買ってきてくれました。おそらくおかあさんから連絡がいき、帰りに買ってくるようたのまれたのでしょう。おかあさんもユカちゃんのキューピー人形をだまってすてたことを気にしてたにちがいありません。
だけどユカちゃんはぜんぜんうれしくありません。そんなことでごまかされるような年令じゃないのです。ユカちゃんはその新しいくまのぬいぐるみを自分の部屋におくことさえこばんだのです。
おとうさんもおかあさんもこれにはまいりました。ユカちゃんが自分の部屋でひとりでいると、ふたりがけんかしているのがきこえてきます。原因は今日のことみたいです。ユカちゃんは聞き耳をたてました。どうやらキューピー人形をおかあさんがユカちゃんにだまってすてたことにたいし、おとうさんがおかあさんをしかっているようです。おとうさんはこういうとき、いつもユカちゃんの味方になってくれます。だけど「おとうさん、がんばれ」そう心の中でつぶやいたところでキューピー人形はもうもどってきません。
ユカちゃんはその夜、夢をみました。おかあさんによくにた魔女が、ユカちゃんをおそおうとするのです。ユカちゃんはいつものように夢の中でキューピー人形にたすけをもとめようとしました。だけどもうキューピー人形はいないのです。魔女がわらいました。
「キューピー人形にたすけをもとめてもむだだよ。わたしが昼間すててしまったからね」
絶体絶命です。あぁ、いままでわたしをまもってくれたキューピーさんは、もうこないんだ、わたしはもうおしまいだわ。
魔女の長くつめたい、そしてつめの異常なまでにのびた手が、ユカちゃんの頭をつかみました。ユカちゃんは恐怖の中で、もう一度さけびました。
「キューピーさん、たすけて」
そのときです。カミナリのおちる音がする前のせん光をごぞんじですか。ピカッというやつです。それが今、この時、おこったのです。そしてその光の中から、あのキューピー人形があらわれたのです。ゴミにうもれていたので、前よりましてきたない姿です。
ユカちゃんはおおよろこびです。魔女は、まさか、というような顔をしています。
キューピー人形はユカちゃんをかばい、魔女の前にたちはだかると、両手とあなのあいている頭のトンガリから光線を発射しました。
魔女はその光線をまともにうけ、くるしみだしました。そしてつぎの瞬間、魔女はあのいつものやさしいおかあさんの姿になったのです。
「おかあさん」
ユカちゃんはそのおかあさんにだきつきました。おかあさんはなにがなんだかわからないようです。
ついでユカちゃんはキューピー人形のほうをむきました。
「キューピーさん、ほんとうにありがとう」
キューピー人形はうなづきました。そして
「ユカちゃん、今日でぼくはユカちゃんと永遠にお別れしなければいけません」
といいました。
「なんで、いかないで」
ユカちゃんは泣きそうになりました。
「おかあさんがあなたをすてたから」
ユカちゃんがそうきくと、キューピー人形は首を横にふりました。
「そうではありません。ぼくのこの地上における寿命がつきたからです」
「それじゃあ、もうわたしをたすけてくれないのね」
ユカちゃんは泣きながらききました。キューピー人形はしずかにうなずきました。そして「これから先は、ぼくの弟がユカちゃんをまもります」
とこたえました。
「おとうと」
ユカちゃんは不審そうにそういうと、キューピー人形はまたうなずき
「そう、今日おとうさんがつれてきてくれたでしょう」
とこたえました。そこでユカちゃんは合点がいき、さっそく目がさめたら、あのぬいぐるみを自分の部屋へ招待しなければならないな、と思ったのでした。
キューピー人形はいいました。
「それじゃあぼくはいきます。もうぼくはユカちゃんをまもってあげることはできないけど、どうかお元気で」
そのとき、天にむかって雲の階段ができあがり、キューピー人形はその階段を一歩一歩のぼっていきました。一段のぼるにつれ、キューピー人形のよごれたすがたはきれいになり、10段ものぼると、ユカちゃんはおぼえてないけれど、そのキューピー人形を買ったときとおなじくらい、またそれ以上にきれいになってしまいました。
そこでキューピー人形はふりかえり、大きくユカちゃんにむかって手をふりました。ユカちゃんもそれにこたえ手をふりました。これが長年いっしょにすごしてきたキューピーさんとのお別れです。ユカちゃんは両目に涙をいっぱいためながらキューピー人形をみおくりました。
よく朝、ユカちゃんはあらためて新しいくまのぬいぐるをうけとることにしました。だけどおかあさんは内心、10才にもなってまだ人形をだいてねるユカちゃんが不満なようではあります。
だけどユカちゃんはくまさんの頭をなでながら、この子を今夜からだいてねよう、と思うのです。
だってこのぬいぐるみはユカちゃんにとって、新しい正義の味方、キューピー人形二世になってくれるのですから。