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終戦の日
終戦の日。玉音放送を聞いてどうだったか、その時の感想を、かつて両親や祖父母に訊いたことがある。お袋だったか、「何を言ってんだかさっぱりわからなかった」といっていたのを思い出す。
あのラジオ放送を聞いて「ああ戦争が終ったんだ」と喜んだ人が本当は何人いたのだろうか。
戦争で負けてショックを受けた人、これから連合軍がやってきて、占領されるのを心配する人が大半だったのではないだろうか。
日本人は粛々と事態を受け入れた。そうする以外にどうするというのだ。
終戦の詔があったからといって、戦地から家族が戻ってきているわけでもないし、心配ばかりの日々だったであろう。
幸い僕の家族は父方も母方も誰も戦地にいっていない。戦争で死んだ家族もいない。空襲で追われたり、黒い雨を浴びたりしたことはあるが。
それから日本はこれまで聞いたこともないような発展の仕方をした。経済大国になった。そして今に至る。
戦争を知らない世代がほとんどになった。僕も勿論知らない。戦争をしらない僕たちはこの日をどのよう迎えたらいいのだろう。
今憲法改正の論議が始まろうとしている。自衛隊は国防軍になり、国民の自由も制限されるらしい。あくまで専守防衛であろうが、戦争になったら、これまでとは違って積極的に攻撃に討ってでることができるようになる。
自分の国は自分で守ることは正しいことではあるが、そのために死んでいくのはいたたまれない。どうして戦争を起こそうとする国がいるのか。権威主義的国家の指導者たちは何を考えているのか。僕らにはわからないところで、世界は動いている。ウクライナの情勢を見ていれば明日のわが身かもしれない。これからのロシア、中国、北朝鮮の動きに注視していかねばならない。
できれば靖国神社に祀られる人々を増やすことだけはなければいいのだが。それは甘い感傷的な考えなのであろうか。
敗戦の日に新たな火種を感じざるを得ない。