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第十話『My small Dungeness』

前回までのあらすじ

 12月初頭、庭を訪れる。正面の奥に濃い紅色の花がいくつも開花している。芙蓉(フヨウ)学名はハイビスカス・ミュータブルというらしい。最初の水仙も咲いていた。



炭化した黒い木

第十話『My small Dungesess』


 
 ぼうぼうの庭にマイ・スモール・ダンジネスを作る。ダンジネスとはイギリス南東部にある土地で、砂ころの海岸と原子力発電所と自然公園が融合している。そして、『BLUE』という映画でも知られるデレク・ジャーマンが庭を作った場所。彼が近所の海岸へ足を運んで集めた流木や石やオブジェでその庭は飾られている。

 

黒い木



 濃いオレンジの太陽が真横へと速度を早めた12月の終わり。寒風に首をすくめながら海岸へ散歩へ出るのが、ぼうぼうの庭での日課になっていた。砂浜や磯を歩く度に波で揉まれて角のとれた木片や、丸みを帯びた石を片手間に拾った。庭へ適当に並べて小さな自分のダンジネスを作った。
 きっかけは一本の黒ずんだ木だ。どこかでバーベキューをしたか、それとも漁師さんがひじきを煮た名残が流れ着いたのだろう。真っ黒に燃え、焦げた木。劣化した鏃のようにも、魔女の杖のようにも見える。握りしめた手のひらを黒くしながら庭へ帰った。

  
  

バランの鉢

 

ハランバラン


 その日は地植えになっているバランを株分けした。密集した一角から根を掘り起こし、鉢に小分けにしたものを幾つか並べる。
 バランはWikipediaによれば元々中国語の馬蘭で、そこから日本へ伝わり葉蘭に。広まる過程で濁点もとれてハランとなったものだそう。(葉蘭、学名: Aspidistra elatior)また、ジョージ・オーウェルの小説に『葉蘭をそよがせよ』"Keep the Aspidistra Flying"という作品があるらしい。葉蘭は中産階級にまつわる象徴なのだそうだ。急に興味がわいてしまった。
出典:https://ja.wikipedia.org/

 
 オーウェルといえばすぐに『1984』が浮かぶ。『パリ・ロンドン放浪記』もある。特にパリの厨房で戦場のように働かされる場面は、実際に飲食業の裏方を経験したものでなければわからない描写。パリの道になぜ木屑が落ちているのかも読めばわかる。


 バランが順調に育てば、地植えも増やして庭に仕切りをつけたい。緑のすっと上へ伸びた程よい高さの葉が曲線を描きながら 所々を間仕切りしていく。



日に焼けた葉蘭


育つかな1


育つかな2


元々の群生していた葉蘭


  食べ終えた柿の種をプランターの土に放ってみた。でも下には以前埋めたパプリカと何かの種があるはずなんだ。スパルタというかぶっきらぼうなだけだ。

 ここ数日で庭にも厳しい寒さがきた。それでも小さな花がまだ咲いている。少しだけ。ぽつ、ぽっ、ぽつん、と。
 流木の滑らかさを思い出す。ある年齢と境地に達した人にのみ許された途方もなく穏やかな表情。


  作業を終えてギリギリの夕日を背後に海岸線を走った。師走の道をどこかへ進む車列。赤いテールランプ。月を望遠鏡でみたようなライト、潮が浜へたどり着く音。


 ぼうぼう日誌も十回目になった。当初より片付いて大分スッキリした。ゴミを減らし、植林のように所々へ苗や花、枝葉を植えたたことで、伐採されてしまった哀れな姿から人の手による姿になった。まだやるべきことと、訪れる季節がある。小さなダンジネスも続ける。


第十回 fine 執筆 12月終わりのほう。

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