有名人
”飛行機の距離”にある寮つきの会社に就職してしばらく後、自分には何の関係もない親戚の用事で故郷に呼び出された。行かない選択もあったが、しばらく会っていない友人と合う約束もできたので、友人のすすめで密かにホテルの予約もしておいた。
「ちょっとこれ行ってきてよ。お父さんもお母さんも最近膝が悪くて、車に乗るのも辛いから」
”実家”に着くやいなや、私は”母”から必要書類のメモと2000円を渡され、役所の本庁に行くよう命令された。「そういえば…アンタ、着替えの荷物は?アンタに貸すタオルも何もないからね」私の荷物が小さいことに気づいた”母”が、私に問う。
「トモダチトアウヨテイガデキテ ヨルオソクナルトイケナイカラ ホテルヲトリマシタ」私はここぞとばかりに、頭の中で何度か演習を重ねたセリフを、棒読み調で口にした。
「働いてお給料もらってると、いい気なもんだね。せっかく育った家にも泊まらないんだ」”母”はわざとらしく右膝をさする。貸すタオルもないくせに泊まってほしいのか。笑っちゃうわ。
免許がないので、バスを乗り継ぎ役所へ向かう。役所に着くと、まず最初に案内係を尋ねることにした。
「すみません、この◯◯係というのは…」少々噛みつつ、慣れない部署名を声に出しながら案内係に視線を向けると、案内係の女性は一拍置いて、目を丸くした。
「あれ~!クソクソ町の大工さんのお嬢さんでしょ~?昔、お宅のお祖父ちゃんにお世話になったのよお。お父さんもお母さんも元気~?」
(誰…?)
女性は、矢継ぎ早に驚きと再会の感動を口にする。
「あら~ビックリしたわよねえ。あなた、お母さんにそっくりだもん。すぐ判るわよ。小さいころから頭も良くて、看板指さして、『アルミサッシ!』って読んでくれたわよ~」
職務逸脱のハイトーンボイスに驚いた通行人の視線が痛い。田舎の中核都市のほんの片隅で、どうしてこんな偶然が起こらにゃならんのだ。
「今日は何しに来たのお?…はー…なるほど…あなたのおうちも大変なのねえ…うちの台所のリフォームでお宅に来たとき、ちょうどあなたが大学に入るってときだったわ。国立のコケコケ大だったっけ?もう何年生だっけ?どうするの?お婿さん取っておうち継ぐの?」
「え…あ……」
「お父さんとお母さんに色々してもらったから、今度は親孝行する番よお」
来るんじゃなかった。田舎の身バレは怖い。さっさと用事を済ませて…
(バタッ)