おさがり

※本文中に機能不全家族や心理的虐待を想起させる場面があります。ご注意ください。


「ほら、神様からの”おさがり”よ」
朝の支度を終えて茶の間に行くと、母は、私に煎茶が入った湯呑みを差し出す。「神様が召し上がった後だから味はないと思うけど、残さないで飲むのよ」

このお茶、味がないどころか、わざと間違った葉の量だろ?と思うほど渋い。”儀式”を最初に受けさせられた小学校低学年のころ、私はその味に思わずお茶を吐き出してしまった。
とたんに母は激昂し「神様の前で何すんの!」と叫んで私を突き飛ばした。以来、母の形相が怖くて忘れられず、渋くて辛いのを堪えながら茶を飲むようにした。
父はといえば、毎朝、何も見なかったかのように新聞にかぶりついている。両親は私が物心つくころから関係が破綻しており、一度は私と兄を連れて家を出たそうだが、祖父に説得されて家に戻ったという。(それ以上のことは怖くて聞いていない。)

高学年のころお菓子づくりがマイブームになると、母は私に、作ったお菓子のうち出来の良いものを”神様”に供えよ、と指示するようになった。ある程度時間が経ったら”おさがり”として口にしても良い、という。
しかたなく祭壇に置きに行くが、いつまで経ってもお菓子は返してもらえない。そして、母の”奉納解除”の合図があるまでは、先に残りのお菓子を食べることも許されない。
母にお菓子を返してほしいと頼んでも、「神様は、アンタのお菓子をとても気に入って食べてくださっている。静かに待てないのか」と一蹴されて終わり。いよいよ翌日、私が帰ったのが判ってから、自分がキリのいいタイミングで、母は私にもったいぶった態度で、お菓子だったものと”奉納”しなかった分のお菓子を渡すのだ。
「アンタが作ったんだから、一人で全部食べなさいよ。その分おかずは減らしとくからね」


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