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『華厳経』睡魔・雑念 格闘中54

「入法界品」 ⑬ 大天、道場安住地神、婆裟婆陀夜天

         ― 仏教の背景 ―


菩薩に出会って以降は、善財童子は、しばらくは、天や神のもとを訪ねることになる。今回は3名(果たして”名”という数え方が相応しいのであろうか?日本であれば、ひとはしら、ふた柱の言い方があるのだが・・・)に出会うこととなる。いずれも、仏教が起こって来た際の背景ともいえるのである。


では、善財童子の旅の続きを見て行こう。

■ 大天 ― バラモン・ヒンドゥーの神 ―

正趣しょうしゅ菩薩が、自身の菩薩行について述べた後、より南の婆羅波提ばらはだいという城には、大天と呼ばれる、”天”が居り、そこに行って、別の菩薩の行について、尋ねてみてはどうかと、善財童子に告げるのであった。

”天”と呼ばれるのは、バラモン・ヒンドゥーの神が仏教に取り入れられたものと言われているが、その特徴を示すように、「大天は四の長きひじいだして、四海の水を取り、其のおもて操洗そうせんしたまい」と表現されている。

バラモン・ヒンドゥーの神としては、ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァの三神が有名であるが、それぞれ代表的な外見的にて表現されることが多いようである。(下記の表現に捉われず、様々に描かれているものもある。)

ブラフマー・・・四つの顔と、四本の腕
ヴィシュヌ・・・青い肌、四本の腕
シヴァ  ・・・額の第三の目、首に巻かれた蛇

画像を載せられれば、良いのであるが、著作権等の問題があるので、割愛し、現時点で、2022年に”福岡アジア美術館”で行われた「ヒンドゥーの神々の物語」のHPに、神々の相関を含め、判りやすくまとまっていたので、ご覧頂きたい。

仮に大天が、もしブラフマーであれば、顔の特徴を示さない訳はないであろう、四本の腕のみ表現していることからすると、ヴィシュヌであるのか、あるいは、弁天様として知られる”サラスヴァティー”(ブラフマーの妻)である可能性が考えられる。(同じように四本の腕にて書かれることが多い)

弁財天は、水に関わりの深い神であるが、大天の登場の際に、わざわざ顔を洗う場面(水を印象付ける)を持ってくるということは、”サラスヴァティー”(弁天様)である可能性もあるのかも知れない。

注:画像は、国立文化財機構所蔵品統合検索システム
ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
葵岡渓栖筆,"弁財天",東京国立博物館 所蔵

いずれにしても、大天は、仏教が取り入れた、かつてのバラモン・ヒンドゥーの神であることは間違いないであろう。

善財童子が、大天に、菩薩の行につき、尋ねると、大天は以下のように答えるのであった。

 「善男子よ、我唯此の菩薩の雲網〔うんもう〕の法門を知るのみ。〔中
 略〕諸〔もろもろ〕の菩薩のは、煩悩の火を滅し。諸の菩薩のは、能
 く一切衆生の貪愛を焼き、諸の菩薩のは、能く一切諸の染著心を散じ。
 菩薩の金剛は、一切の吾我〔ごが〕摧滅〔さいめつ〕す。」

  〔旧字体を新字体に改めた。〕

『国訳大蔵経』,経部第七巻,第一書房,2006,p.314

水・火・風・金剛など、自然の現象を利用して示したこの部分の表現を読む限りは、その働きは、菩薩の行というよりも、それ以上のことを行っているように思える。まさに如来や、”神”の働きに近いといえよう。

■ 道場安住地神どうじょうあんじゅうぢしん ― 釈尊の比喩1 ―

大天が、自身の菩薩行について述べた後、この閻浮提の内に、摩竭提まかだという国には、道場安住と呼ばれる、”地神”が居り、そこに行って、別の菩薩の行について、尋ねてみてはどうかと、善財童子に告げるのであった。

善財童子が、道場安住地神の下にたどり着くと、地神は、善財童子に、以下の不思議なことを言うのである。

 「善く来〔きた〕れり、童子よ、汝自ら曽〔かつ〕て此の所に於いて
 植えし所の善根の果報を見んと欲するや否や。」(前掲書p.315)

地神は、善財童子がかつて摩竭提において、善根を植えていて、それがどうなったのか(果報)を見てみるかと聞いているのである。

”摩竭提〔マガダ〕国”で、かつて善根を植えたという部分で、釈尊の事を思わない者はいないであろう。また、地神の名前である”道場安住”も、かつて、マガダ国のビンビサーラ王から寄進された、竹林精舎(道場)や、それを取り囲む、王舎城(ラージャグリハ:現ラージギル)を連想させられるのである。

 「善男子よ、我已〔すで〕に菩薩不可壊蔵〔ぼさつふかえぞう〕の法門を
 成就せり。我然灯仏〔ねんとうぶつ〕より来〔このかた〕、常に菩薩を護 
 〔まも〕り
、〔中略〕彼の諸の如来の道場に往詣〔おうけい〕したまう自
 在の神力を皆悉く奉勤〔ぶごん〕し、此の仏の所〔みもと〕に於いて善根
 を修習しき。」
  
  〔旧仮名遣いを新仮名遣いに改めた他、旧字体を新字体に改めた。〕

『国訳大蔵経』,経部第七巻,第一書房,2006,pp.315-316

日本でも、地域に根差した、その土地を守る神様というものがいらっしゃるが、それと同じように、過去の仏を表す”然灯仏より〔燃灯仏〕”というここでの道場安住地神は、仏教が育まれた場所・育んだ環境を象徴しているといえよう。

■ 婆裟婆陀夜天ばしゃばだ夜天 ― 釈尊の比喩2 ―

道場安住地神が、自身の菩薩行について述べた後、この閻浮提に迦毘羅婆かびらはという城があり、そこには婆裟婆陀と呼ばれる、”夜天”が居り、そこに行って、別の菩薩の行について、尋ねてみてはどうかと、善財童子に告げるのであった。

カビラの語は、釈尊が成道前に過ごしたカビラ城を必然的に思い起こさせる。仏教のインドでの衰退の影響もあり、カビラ城がどこにあったのか、今となっては、はっきりしないようである。現在、インド政府は、ピプラーワーという場所を、ネパール政府は、ティラウラコットという場所を主張しているようで、2国ともそれぞれが違った場所を主張しているようである。

※丸山勇,『カラー版 ブッダの旅』,岩波書店〔岩波新書 新赤版〕,2012  
 などを参照

善財童子が、婆裟婆陀夜天の下にたどり着くと、夜天は、善財童子に、自らのこれまでの過去(王の妻であったり、長者の娘であったりしたこと)を話すのであるが、自身の菩薩の行について、以下のように告げるである。

 「善男子よ、我已に菩薩の光明普く諸法を照らし、衆生の愚痴を壊散する
 法門を成就せり。〔中略〕方便をもって衆生の海の難を度脱せしめん。
 〔中略〕死を畏るるものをして、無畏〔むい〕の法を得せしめ、貧窮〔び
 んぐう〕の者をして皆富楽を得せしめ、〔中略〕諸の衆生をして此の山の
 難を免れしむ。〔中略〕飢渇を除滅せしめん。是〔かく〕の如き等の無量
 の難の中に於いて、衆生を救い
已〔おわ〕りて、〔後略〕」
 
   〔旧字体を新字体に改めた。〕

『国訳大蔵経』,経部第七巻,第一書房,2006,pp.318-319 

もはや、菩薩の行を超えた働きともいえることを為して来たとしているのである。

また、婆裟婆陀夜天は、次のようにも語っている。

 「此の林中に於いて、菩提樹有り、一切仏自在光明と名けぬ。爾の時
 に一切法雷王仏、此の樹下に坐して等正覚を成じ、大光明を放ちて、
 普く一切の世界を照らしたまいき。」
 
   〔旧字体を新字体に改めた。〕 

『国訳大蔵経』,経部第七巻,第一書房,2006,p.324

カビラ城 ― 菩提樹 ― 樹下に坐す となれば、釈尊の事を思わない仏教徒はいないであろう。

◆ 仏教の背景

今回出会った、天・神らの行は、既に菩薩のそれをはるかに凌駕しているようにも思えるのである。加えて、マガダやカビラなどの、釈尊の伝記を思わせる語が示されており、行そのものというよりも、仏教を育んできた、背景や環境を示したものといえよう。

最後までお読み頂き、有難う御座います。文末ではありますが、2025年の、年初に当たり、解決は難しいにしても、諸々の紛争が落ち着き、平安な年に成るよう願わざるをえません。
また、お読み頂きました、皆さまに多くの幸が訪れますよう。

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