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『華厳経』睡魔・雑念 格闘中45

「入法界品」 ⑤ 海幢比丘、体捨優婆夷、毘目多羅仙人
          (観るということ:観仏について)


残念ながら、現代に生きる私たちは、現実の世界では釈尊にお会いすることがは出来ない。だからこそ、お会いしてみたいという気もするのである。実際にお会いすると、どのようなお方であったであろうかと。

さて、善財童子が次に出会う3人は、いずれも、”観る” 特に、仏の姿を見るという”観仏(念仏)”の修行である点が共通しているのである。

 ※現代は、浄土系の方々の影響からか、念仏というと、仏の名を唱える行
  (特に阿弥陀仏)を指すことがほとんどであるが、仏を思う(観想)
  することも念仏と呼ばれる。

では、善財童子の旅の続きを読んで行こう。

― 海幢(かいどう)比丘 ―

解脱長者が、自身の菩薩の行について説き終わると、より南の荘厳閻浮提頂(そうごんえんぶだいちょう)国には、海幢比丘という者がおり、そこに行って、別の菩薩の行について、聞いてみてはどうかと、善財童子に告げるのであった。

善財童子が、海幢比丘の下にたどり着くと、海幢比丘は、結跏趺坐の状態で、三昧の最中であった。

 「其の両脇より不可思議の龍と、不可思議の龍女を出(い)だし、不可思
 議なる諸の龍の自在を顕現して、衆生を摂取し、不可思議なる香(こう)
 の荘厳雲(しょうごんうん)、華(け)の荘厳雲(しょうごんうん)
 〔中略〕是(かく)の如き等の雲(うん)を雨ふらし〔中略〕
  其の眉間より百千阿僧祇の天主帝釈を出だせり〔中略〕
  其の額上(がくじょう)より無量の梵天を出だせり〔中略〕
  其の頭上より阿僧祇の諸の菩薩衆を出だせり」

  〔旧字体を新字体に改めた。〕

『国訳大蔵経』,経部第七巻,第一書房,2006,p.209

それにしても、自身の中で、上記のようなイメージを抱くならともかく、海幢比丘がいうところの、”普眼捨徳三昧(ふげんしゃとくざんまい)又は、清浄光明般若波羅蜜三昧”は、善財童子にも、同じものを見せるような力があるというのであろうか。

海幢比丘によると、この三昧によって、更には十方の世界に入り、仏法を観察し、十方の仏を見たてまつるというのである。

NHKのEテレで、放映された”こころの時代”(仏教学者で、僧侶でもある、箕輪顕量先生と、元陸上選手であった為末大さんが出演)のテキストである、『NHKこころの時代 ―宗教・人生― 瞑想でたどる仏教 心と身体を観察する』,NHK出版,2021,pp.63-65に於いて、『般舟三昧経』が挙げられ、そのお経では、仏が修行者の目の前に現れると説いていることが示されている。

今回『般舟三昧経』にまで踏み込むこともできず、また、自分自身そのような経験もしたことが無い為、「そのようなこともあろうか」としか言えないのが、残念である。

― 休捨(ぐしゃ/くしゃ)優婆夷(うばい) ―

海幢比丘が、自身の菩薩の行について説き終わると、より南の海潮国の普荘厳園林(ふしょうごんおんりん)には、休捨優婆夷という者がおり、そこに行って、別の菩薩の行について、聞いてみてはどうかと、善財童子に告げるのであった。(優婆夷:出家せず在家にて仏道修行をする女性)

善財童子が、休捨優婆夷の下にたどり着くと、休捨優婆夷は、自身の菩薩の行について、以下のように述べている。

 「善男子よ、若し衆生有りて、善根を種(う)えず、善知識に親近(しん
 ごん)せず、諸仏の為に護念せられざる者は、彼の諸(もろもろ)の衆
 生、我を見ること能(あた)はじ。善男子よ、若し衆生有りて、能(よ)
 く我を見ん者は、則ち阿耨多羅三藐三菩提に於いて不退転を得ん。東方の 
 諸仏は常に我が所に来たり、宝師子の座に処して我がために法を説きたま
 えり、南西北方四維上下の一切の諸仏も、悉く我が所に来たり、宝師子の
 座に処して、我がために法を説きたまえり。」
 
  〔旧仮名遣いを新仮名遣いに改めた他、旧字体を新字体に改めた。〕

『国訳大蔵経』,経部第七巻,第一書房,2006,p.221

休捨優婆夷が行じている”離憂安隠幢(りうあんおんどう)”という法門は、先程の海幢比丘よりも、更に一歩進んでおり、諸仏がありありと法を目の前で説くと、休捨優婆夷は、言っているのである。

― 毘目多羅(びもくたら)仙人 ―

休捨優婆夷が、自身の菩薩の行について説き終わると、より南の海潮国(注)には、毘目多羅という仙人がおり、そこに行って、別の菩薩の行について、聞いてみてはどうかと、善財童子に告げるのであった。

 ※注:国の名前が、休捨優婆夷が居るところと同じ名前である、奇妙では
    あるが、『国訳大蔵経』経部第七巻の漢文を確認したところ、やは
    り国の名前は”海潮”となっていたため、ここでも、”海潮国”とし
    た。但し、別の資料などでは、”那羅素国”となっている。

善財童子が、毘目多羅仙人の下にたどり着き、修習した菩薩の行の事を尋ねると、毘目多羅仙人は、自身の菩薩の行は、”無壊幢智慧(むえどうちえ)の法門”というものであることを、告げ、善財童子の頭をなで、その手を取ると、次のような景色が、善財童子の目の前に現れたのである。

 「即時に善財自ら其の身を見るに、十方の十仏世界の微塵に等しき仏の所
 (みもと)に在り。彼の諸仏の相好荘厳を見たてまつるに、阿僧祇の宝珍
 玩(ほうちんがん)の具を以てその刹を荘厳せり。〔中略〕爾(そ)の
 時に善財は、無壊幢智慧の法門の為に照らさるるが故に、明浄蔵三昧を得 
 〔中略〕般若波羅蜜の精進に照らさるるが故に、仏の虚空蔵三昧の光明を
 得。一切諸仏の法輪三昧の光明の相に照らさるるが故に、三世円満智無尽
 の光明を得たり。」

  〔旧字体を新字体に改めた。〕

『国訳大蔵経』,経部第七巻,第一書房,2006,pp.228-229

それからして、毘目多羅仙人が善財童子の手を放すと、善財童子は、元居た場所に自分が居ることに気が付くのであった。

休捨優婆夷の離憂安隠幢の法門の場合は、善財童子は第三者のように、目の前に現れる世界を見ているだけであったのだが、この毘目多羅仙人の無壊幢智慧の法門の場合は、善財童子の身の上に起こったかのように、直接的に体験させられてしまったのである。

今でこそ、テレビや映画などの世界で、様々な技術により、別な時空や次元の体験をするような映像というものがあるが、この『華厳経』が成立した時代はどうであったろう。この文章を読んだ者たちは驚きはしなかったのであろうか。

あるいは、現代人の悪い癖で、現代が過去の世代よりも勝手に進んでいると勘違いして、昔の人はそんなことは分からなかっただろうと、勝手な決めつけであろうか。

いずれにしても、海幢比丘、体捨優婆夷、毘目多羅仙人の三人の得た力によって、善財童子は仏にまみえることが出来たと言えよう。

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