『華厳経』睡魔・雑念 格闘中47
「入法界品」 ⑥ 方便命婆羅門、弥多羅尼(女)、善現比丘 ― 信じること、如来への道/一念一切のイメージ ―
今回取り上げる、3人は、これまでとは違い、3人に共通した部分がある訳ではないのだが、それぞれに気になる個所があり、それを中心に確認して行きたい。
では、善財童子の旅の続きを見ていこう。
■ 方便命婆羅門 ― 信じることとは ―
毘目多羅仙人に言われ、更に善財童子は南へと足を進め、進求国の、方便命婆羅門の下へとたどり着いたのである。
その善財童子の目の前には、燃えたぎる炎がまるで山のように高く周りを囲み、そうしてその中に刀からなる山がそびえているのであった。見ていると、方便命婆羅門は、苦行として、その刀の山から、炎の中へと飛び降りて行ったのである。
菩薩の行の何であるかについて、尋ねる善財童子に対し、方便命婆羅門はそれについて答えず、こう告げるのである。
釈尊は、苦行を排して、仏教を確立したはずであるのだが、なぜここで善財童子に苦行、しかも燃え盛る炎に飛び込むような行を勧めているのであろうか。
以降の場面展開などから、その答えと思える点を挙げてみると以下となる。
梵天や様々な天部の神々が、方便命婆羅門を礼賛しているほか、魔に属するものまでも、様々な違った立場の者が礼賛している点
方便命婆羅門は、自身の解脱の為の行というより、衆生の為の行である点
婆羅門の名前が”方便命”とあり、”方便”を連想させる点
まず、重要な点は、方便命婆羅門が自ら、「自身の行が正しく、自分の言うと通りにすればよい」と、一方的に伝えてはいない点であろう。善財は、天部の神や、魔に属する様々な意見を参考に、妄信ではなく、自分の自由意志で決めることが出来るのである。
また、”方便命”という名から類推される”方便”ということからすると、菩薩行の目的である、衆生を救うという目的であれば、”方便”として、釈尊が排した、苦行も菩薩行となりうるということが示されていると言えよう。
■ 弥多羅尼(女) ― 如来への道のイメージ ―
方便命婆羅門の言葉に従い、刀山より、炎に飛び込んだ善財童子は、菩薩の安住三昧を得るのであるが、方便命菩薩は、自身が知らない菩薩行を行っている者として、さらに南の、師子奮迅国に居る、弥多羅尼に会うと良いと勧めるのであった。〔注:六十華厳では、最初に”弥多羅尼”の漢訳がされているが、その後、”弥多羅女”との漢訳となっている。〕
弥多羅女は、善財童子に、自身は”般若波羅蜜普荘厳法門”を修するのみであることを告げ、善財に以下のようなイメージを見せ、数多くの様々な教え(陀羅尼門)が有ることを示すである。
卑近な例であるが、逆上がりが出来ない子供に、かつてオリンピックに出場されたことがある方が教えている場面をテレビで見たことがある。
その方は、その子供に、一連の動きの流れを分解して、①蹴りだして体を前方上方に向かわせる動作、②上に挙がった瞬間、鉄棒からお腹が離れないようにする動作、③身体が鉄棒を中心に回った瞬間の感覚の3つを徹底的に練習し、最後に全体動きの流れの一連を、補助しながら行わせていた。
やれないということは、自身がどのような状態になるのかが、イメージ出来ていなかったいう要因もあったのだろう。教えられた子供は、そのテレビ番組の中では、数時間のうちに逆上がりができるようになったのである。
仏道もそうであろう、苦しみながら歩み続けてはいるものの、達成するところまでのイメージが無ければやはり苦しみだけが先行してしまい、脱落してしまう者も少なくないのではないだろうか。
弥多羅女は、善財童子に如来が初発心から、最終的に涅槃に到るところまでのイメージを見せることで、如来への道の全体の見通しを善財童子に与えたと言えよう。
■ 善現比丘 ― 一念一切のイメージ ―
弥多羅女は、自身が知らない菩薩行を行っている者として、さらに南の、救度国に居る、善現比丘に会うと良いと勧めるのであった。
善現比丘の下へとたどり着いた善財童子は、善現比丘に、自身は”随順菩薩燈明の法門”を知るのみであると伝えられるのであった。
ここでは、『華厳経』の特徴のひとつともいえる、一つに、一切が含まれているということが、イメージとして、現わされたと言える。
中村元先生は、華厳の思想に関して、「ひとつひとつが一切のものをもち、一切であり、一切のものとともにある」と西洋の哲学者プローティノスとの類似性を示唆した文章の中で、上記のように述べている。(中村元,『中村元選集〔決定版〕第21巻 大乗仏教の思想 大乗仏教Ⅱ』,春秋社,1978,p.832)
弥多羅女が、如来の道のイメージを表したのに対し、善現比丘においては、華厳経での特徴的なイメージを現したと言えよう。