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人生なんて理不尽なもんだ

最近「生きづらさ」を意識することが増えた。この生きづらさは己の真面目さ故なのだが、人はそう簡単に性格を変えることはできない。

昔読んだ本によると、人格形成は後天的な要素が多く、幼少期に育った環境に影響を受けるのだという。思い返せば、幼稚園・小学校のころから先生に言われた通りにすると褒められて、それを知って親がさらに褒めてくれたという印象が強い。真面目にやっていれば存在が認めてもらえる環境だったのだ。逆にいうと「真面目でいなくては認めてもらえない、愛されないのではないか」と知らぬ間に信じ込み、自分が安心して生きていくための術として真面目が染みついたのだろう。

なるほどたしかに私の生きづらさの原因である真面目さは、幼少期に起因するものらしい。だが、今更育った環境を変えて人生をやり直すことはできない。こちとら好きで真面目をやっているわけではないのに、私は自分の「真面目さ」と一生向き合わなくてはならないようである。

おいおい人生って結局理不尽かよ。(理不尽の意味や使い方がこれで正しいのかはさておき)この世に楽な人生なんて無いとはよく言ったものだ。

残念ながら、どうやらこればっかりは自分で乗り越えるしかないらしい。
自分の考え方を他人が変えることはできない。他人からはヒントやエッセンスとなるものを享受することしかできない。それらを頼りに最後に自分をこじ開けるのは自分でしかないのである。

そう思うと今の私にとっての人生における課題は過去の自分との向き合い方になりそうだ。今の自分を苦しめる真面目さを作り上げた過去の自分が憎たらしくて可哀そうで…なんだよ、過去の自分は味方じゃないのかよと突っ込みたくなる。いつか過去も現在も未来も全部ひっくるめて自分を愛せるようになれたらいいな。いつになるかは分からない。道のりは長い。ああ、人生は理不尽だ。

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