社外研修ごときに緊張してしまう自分にうんざり 〜不幸の石を拾い集める人生?〜
自分という人間の生きづらさを感じてしまった日常のワンシーンについて。
とある社外研修に参加することとなった。オンラインで二日間の日程だが、半分以上がグループディスカッションという形式である。
こうしたディスカッション多めのオンライン研修に参加するのは初めてではないのだが、過去受講したものは全て社内開催で参加者は全員同期。そのため、あまり気負いする必要が無かった。
今回は私にとっては初めての社外研修。参加者の会社や職種が異なるのはもちろん、年齢もバラバラ。「初対面の人たちとディスカッションなんてできるだろうか…自分より年上の人ばかりだったらどうしよう…意識高い系の人ばかりだったら嫌だな、逆にみんな喋らないタイプの人だらけだったらどうしよう…積極的にちゃんと発言しないと…」そんな不安で頭がいっぱいになり、前日の夜から緊張して憂鬱だった。
当日も緊張しまくりだったが、緊張しすぎてもう疲れてしまった。
そうしてある考えにたどり着いた。
「ただの研修なんだから別に失敗したっていいんだ。そのための研修なんだ。こんなよくある普通の研修ごときにいちいち緊張して心が乱されて、自分は何て不自由な生き方をしてしまうんだろう。生きづらくしているのは真面目で完璧主義な自分自身なんだよな。」
行き過ぎた緊張で自分をいたずらに苦しめるのはもうやめよう。悩まなくてもいいことにいちいち気を病むのは無駄なことだ。
こんな事を考えていると、以前仲の良い友人たちから言われた事を思い出した。
「○○(筆者)ってさ、道に転がっている不幸の石を拾っては吟味しちゃってるよね〜。うちらなら気にも留めずに通り過ぎて行くのに、自ら進んで不幸の石を拾いにいっちゃってる感じ。拾わなくていい石まで全部拾ってチェックしないと気が済まないみたいな。」
要はもっと気楽に生きたらーという彼女らなりのアドバイスだと思うが、当時はかなりショックを受けた。よく言えば“用心深くて慎重な性格”かもしれないが、度が過ぎて不自由に見えていたのだろう。自分の抱えていた生きづらさを的確に言い当てられてしまった感じがした。不幸の石をわざわざ拾い集めているなんていう自覚は無かったが、時々自分の真面目さから来る生きづらさに嫌気が差す(生きづらさの原因が自分自身の真面目さにあると気づく)瞬間に、この発言を思い出しては「あぁ、まだ私は懲りずに不幸の石を拾っている…」と思い知らされる。今回の社外研修の件もまさにそうだった。
拾う必要のない石はスルーできるようになりたいものだ。悩まなくていいことに気を取られずに、もっと楽に生きて、幸せの石コレクションを増やしていけるようになりたい。。
自分で自分にかかった生きづらさの呪いを解くのは案外難しいようだ。
焦らずにこの呪いを解く人生の長旅をゆっくりと歩んでいこうと思う。
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