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三浦義村はどうして和田合戦の時北条に寝返ったんですか?
あー、うん。寝返りねー。うん。
まずは、和田合戦は何故起こったか。
目的はなんだったのかというとな……端的に言うと「労働条件の向上の抗議」だな。
義盛……というか和田一族を始め、この頃の御家人勢は官位……具体的には「国司」が欲しい! っていう声が高まっていたんだ
でも当時、御家人の身分では貰える官位じゃなかった。例外は、頼朝様の外戚となっていた北条氏と、頼朝様の猶子だった結城朝光殿のみ。
んでも、御家人勢の中で一番国司に近いっつったら、おそらく義盛だったんだろうな。
年齢実績ともに、鎌倉御家人の代表として受領したいと何度も実朝様にお願いしてたんだ。自分が受領できれば、若い衆も受領できるようになるってな。が、北条氏がその度にダメって言ってなぁ……。
で、和田の若い衆にフラストレーションが溜まっていく。そんな時に起こったのが、「泉親衡の乱」。
まぁ乱の詳細は省くけど、これで一気に和田の若い衆に火がついた。義盛の一喝でも止まらない。「打倒北条」に動いていく。
ここで、チェックしておきたいのが、「打倒北条」だって事。あくまで狙うのは「義時の首」だ。
しかし……いざ作戦会議したらどうだ?オレと兄上に持ち場は「御所の北側」。北条の屋敷ではない。将軍の御所だ。
和田の若い衆は、明らかに実朝様も狙っていた。
源氏累代の家人である三浦が、将軍を攻める……? んな事はできねぇよ。
だから、兄上とオレは、北条の屋敷へと走った。実朝様を守るためだ。
和田合戦は、和田の若い衆暴走。義盛は最後まで止めようとしたが、止められなかった。止める力もなかった。歳とったなぁって思ってたよ。
そしてオレと兄上は実朝様を守るために走った。それが善か悪かなんて後世の暇人が考えればいい。
と、そんな感じで2012年にやったのが、これだよ!
和田義盛botがいないから、思いっきり幕府方目線だがな!!