日本トップ法律事務所の弁護士→MIT卒業後、ボストンで起業。ピボットを重ね国家規模のインフラビジネスに挑む。アメリカで戦う挑戦者 Vol.3
自己紹介をお願いします
伊豆明彦(いずあきひこ)です。Multitude Insightsというスタートアップをボストンで立ち上げ、共同創業者として活動しています。
ボストンに来たのは、MITのビジネススクールに留学したことがきっかけです。2020年の9月に入学し、2022年の5月に卒業しました。留学のきっかけは、西村あさひという法律事務所で働いており、留学制度が提供されていたことです。法律事務所からの留学だとロースクールに留学することが一般的なのですが、ビジネス全般について学び、その学びを起業というかたちで実践したかったためビジネススクールに入学しました。
起業されたビジネスの概要を教えてください
アメリカの警察向けに、犯罪に関連する情報の共有や分析をするプラットフォームを作っています。日本だと警察庁の下に都道府県警がそれぞれ紐付いているという組織構造があり、1つの大きい国家レベルの警察組織が存在します。しかし、アメリカの場合は約1万8,000の警察組織が独立して存在しており、例えばFBIもその1つになります。ですので、FBIの下に全ての組織が紐付いているわけではなく、連邦警察、州警察に加えて各都市にも警察が存在し、また、多くの大学がそれぞれ警察組織を持っています。このようにアメリカではたくさんの警察組織が独立して存在し、警察組織間での連携がほとんどされていないという現状があるため、この課題を解決するビジネスをしています。
(この課題を特定したきっかけは何か、という問いに対して)
元々、衛星データを活用したビジネスをできないかと考えていたのが始まりです。例えば金融や農業のような産業での衛星データの活用可能性を考えていたのですが、そのうちの一つが警察への衛星データ提供でした。
具体的には衛星データを活用しパトロールを代替できないか、犯罪捜査時に衛星データを活用できないか、のような仮説で実際に警察へインタビューに伺ったのですが、その際に警察の課題全般についても詳しくヒアリングも実施しました。インタビューの中で、衛星データはあまり活用できず、それならパトロールの人数や回数を増やしたほうが効率的という意見をいただき、衛星データという手段の部分は一旦切り捨てて、警察が抱えている課題を解決するためにどのようなソリューションを提供したらよいかという方向から、再度ビジネスアイディアを考え直し、今のビジネスにたどり着きました。
そもそも衛星データに着目したのはなぜですか
時系列を辿りながらご説明します。
元々日本からアメリカのビジネススクールに留学した理由としては、ビジネス全般について学び、その学びを本場のアメリカで起業というかたちで実践したかったからでした。しかし、2020年9月の入学当初は特にアイデアもなく、どちらかというと誰かのアイディアに参画できたらいいなと考えていました。特にMITには起業に興味がある学生が多く、入学直後の9月には起業関連のいろいろなイベントがあったため、共同創業者探しのマッチングイベントに参加してみました。ですが、そもそも日本人の弁護士を共同創業者として組みたい人はほぼいないことに気付かされました。ビジネス経験やエンジニアのバックグラウンドがあるとおそらく少しは参画しやすかったとは思いますが、ビジネス経験のない弁護士を、しかも英語がネイティブでない日本人弁護士を、共同創業者として組みたいと思う人があまりおらず、誰かのアイディアに参画するのは属性的に難しいと早々に実感しました。
そこで、自分でアイディアを掲げて人を集める方向に考え直し、ビジネスアイディアを練り始めました。元々弁護士として働いていたため、リーガルテックも考えましたが、法律や弁護士業務自体は好きだったものの、それをテクノロジーで改善するところにあまり興味を持てませんでした。いろいろとアイディアを考えていく中で、弁護士時代によく携わっていた宇宙産業で起業をすることができないか考えるに至り、宇宙関連のアイディアでビジネスパートナーを見つけることにしました。当初のアイディアは、壮大すぎるのですが、宇宙空間でタンパク質を生成するビジネスアイディアでした。国際宇宙ステーションでそのような研究がされているのは元々知っており、簡単に言えば無重力空間だとタンパク質が大きく綺麗に生成ができるので、それを創薬ビジネスとして活かすことができるのではと考えました。国際宇宙ステーションが数年以内には廃止されるかもしれないという話もあり、国際宇宙ステーションで行われていた実験を商業化できないかというアイディアでした。このアイディアを掲げて共同創業者探しをした結果、見つかったのが今のビジネスパートナーです。
「実現可能かわからないが、まずはアイデアを持って人を集めないと」と思い走り出したのですが、検討を進めていく中でこのビジネスを私たちが実現させるのは難しいという考えに至り、他に宇宙関連のビジネスで可能性がありそうなものはないかということで、衛星データを利用したビジネスを検討し始めました。
最初のアイデアを諦めたのは、具体的にはどのような背景があったのですか?
最初は、タンパク質生成のアイディアが「テクノロジーの観点からそもそも実現可能か」を確かめるため、宇宙工学系の方々に多くのインタビューを実施し、テクノロジーとしてはこのアイディアを実現できるかもしれないという結論に至りました。
続いて、化学系・医学系の方々にタンパク質生成に関して伺ってみようということで、MITの化学系の教授に話を伺ったのですが、その方が言っていたことがとてもクリティカルでした。彼の意見は「1990年代や2000年代であれば、このアイデアはありえたかもしれない。しかし現在はマイクロデバイスで表面張力を作り、無重力空間のようなものを擬似的に地上で作ることができる」というものでした。そうなると、わざわざ私たちが実際にタンパク質を宇宙に打ち上げる必要はもうないんですよね。加えて、コンピュータシミュレーションの技術も現在は発展しており、その技術を活用して創薬をする方法でもよいのでは、という意見もいただきました。
もちろんこれは一意見に過ぎないので、宇宙空間でのタンパク質生成のアイディアがビジネスとして実現しないということではないのですが、このビジネスアイディアはソリューションやテクノロジーを中心に検討してしまい、解決すべき課題である創薬というニーズの部分を見ていなかったことに気づかされました。薬を作るという課題に対して、宇宙にわざわざタンパク質を打ち上げて実験するというのはほとんどのケースで最適なソリューションじゃないんですよね。最初のビジネスアイディアは、課題をしっかりと見ていなかったという反省とともに諦めることにしました。これが2020年12月のことでした。
その経験から、現在のビジネスモデルはどのように構築されたのでしょうか?
MITのビジネススクールには、New Enterprisesという授業があるのですが、起業のプロセスを、課題を発見するところからビジネスとして立ち上げるところまで24のステップに分け、授業中にそのステップを実際に追っていくという内容で、とても参考になりました。(参照図書リンク)
ほかにもMITのリソースを多く活用したのですが、例えばSandboxという制度がありました。スタートアップを実際に始める資金として、最大2万5000ドルの補助金をもらえるというプログラムです。持ち出しがなくアイディアを試せるプログラムとしてとてもありがたかったです。Sandboxでは起業家のメンターもついてくれるので、月に1回程度メンターにいろいろ伺いながら、自分たちのアイディアを進めていきました。また、卒業後は、Delta vというMITのアクセラレーターに3ヶ月間参加し、よりハンズオンでの指導を受け、実際にスタートアップとして本格的に始動しました。
顧客が警察組織ですので、特に“信頼”が重要視されていると推察しますが、どのように信頼獲得を得ているのでしょうか?
共同創業者が元軍人というところがかなり大きいです。彼はMITのビジネススクールの同級生ですが、ハーバード大学のケネディスクール(公共政策大学院)も修了していて、軍人ネットワークに加えて、政府関連のネットワークもあるのが強みです。
起業当初にボストン近郊の都市の警察署長と繋がりを作ることができ、「警察組織が抱えている課題を解決したい」ということを真摯に伝え、どういうソリューションであれば利用してもらえるかを実際の顧客候補と一緒に作れたのが非常に大きいと思います。売り込みの際も、最初から「買って」と言うのではなく、しっかりと顧客が抱えている課題を認識し、何回もミーティングを重ね、プロダクトを実際に作ってトライアルをしてもらい、フィードバックをもらい、というサイクルで作っていきました。これが信頼関係を構築していった最初のステップだったと思います。
一つの警察署と信頼関係ができてくると、警察同士の横の繋がりから徐々に他の警察署の警察官とも知り合いになり、サービスを利用してもらう、というサイクルができました。
アメリカ人のビジネスパートナーを見つけるまでの過程をもう少し教えてください
最初は、自分の当初のビジネスアイデアであった宇宙関連の事業に興味がありそうな人を探していました。MITのビジネススクールにはSpace Business Clubという学生クラブがあるのですが、そこに所属していた同級生に片っ端から声をかけていき、その中の1人が興味を示してくれました。それが現在の共同創業者です。
彼はアメリカ海軍のパイロットとしてインテリジェンス業務をしていた経験があり、防衛関連や宇宙関連の事業に興味を持っていました。2021年5月ごろ、衛星データを利用したビジネスをやめる決断をするまで約8ヶ月ビジネスパートナーとして活動していましたが、一緒に働きやすく、また、お互いの強みも補い合える関係性だったので、元のアイディアからは異なるけれど、一緒に事業を続けていこうという話をして、現在もその関係が続いています。
警察向けの事業を始めるという意思決定したときに、警察ビジネスにお互いがパッションを持って取り組めるかはもちろん確認しました。彼は元軍人というバックグラウンドからパブリックセーフティ(公共の安全)に関心があり、私もデータ利活用を通じたコミュニティへの貢献に関心があったので、お互いこのアイディアだったらパッションを持って取り組めるという結論に至りました。
2人の役割分担はあるのですか?
役割分担は会社のステージによって変遷していますが、最初の顧客を獲得するまでは役割分担をあまりせずに、2人でビジネス全般をみていました。
その後、現在のCTOが参画し、顧客や事業提携が増加していく中で、セールスなどの顧客に近い対外的な側面は共同創業者が、プロダクト開発はCTOが、事業提携やファイナンスなどのコーポレートアクティビティは私が責任を持つかたちになっています。また、最近はアメリカ国外の顧客との関係もできてきたので、アメリカ国外の顧客は私が基本的に担当しています。
まだ十数名のチームなので、明確に役割分担がされているというよりは、緩やかな役割分担のもと、経営層の3名であらゆる意思決定をしているのが現状です。
日本人とアメリカ人の二人三脚で進める中で、何か困ることや、障壁になったことはありましたか?
現在は特にありませんが、私は帰国子女ではないので、最初の2年くらいは言語の壁を感じることも多かったです。ですが、これに関しては、自分の英語力が向上するにつれてあまり気にならなくなりました。
文化面に関しても、もちろん日本とアメリカでだいぶ異なりますが、そこはアメリカでビジネスしている以上、私が適応していかなくてはいけないところだと思っています。
(ビジネス上で文化面の違いを感じる時はあるか、という問いに対して)
やはり、メッセージの伝え方や表現の仕方、プレゼンテーションをする能力など、アウトプットに関してはとても重視します。MBAの授業でも、プレゼンテーションやコミュニケーションの授業などがカリキュラムに入っているぐらいですので、アメリカで教育を受けた人はプレゼンテーション能力が総じて高いと思います。弁護士として働いていたときは、どちらかというと文章やロジックを重視する仕事でしたので、自分の中では結構ストレッチされた部分ですね。
また、資料の分かりやすさだけでなく、自分の声のトーンや自信の示し方も大事で、謙遜するとそのまま額面通りに取られてしまうこともあり、日本人のマインドセットからは少し離れないといけないと思っています。
ほかには、アメリカというよりスタートアップ特有のものかもしれませんが、相手に関心がない場合には、メールを無視されたりすごくそっけなくされたりするので、どうやって相手の興味を引くかというのは結構工夫しています。営業はそういう仕事なんだと思いますが、特に私は法律の世界からスタートアップの世界に来て強く感じたところです。
うまくいかなかった時に起業自体を諦めずに、同じアイデアを続けるのではなく、ビジネスアイディアを変えた。この選択と過程で、不安はありませんでしたか?
不安というよりは、最初のアイデアを諦めたときには、3ヶ月ほど取り組んだ後だったのでかなり落ち込みました。ただ、アメリカでの起業を志してビジネススクールに来ていたので、これで起業自体を諦めるという選択肢はなかったです。「他のアイディアを考えないと」という焦りがむしろあり、冬休みを使って違うアイディアを考え始めました。
また、これは今だから言えるのかもしれませんが、最初に思い付いたアイディアがバチッとハマることはあまり多くない気がしています。顧客のニーズを探し、それに対するソリューションを考え、それをビジネスにしてスケールするというそれぞれの過程を試行錯誤しながら柔軟に進めていくのが、おそらく起業のプロセスだと思っています。私の場合も、うまくいかなかったアイデアからピボットすることも含め、起業の一環なのかなと思います。
最後に、これまでで一番苦労したことを教えてください。
苦労には事欠かないのですが、ぱっと思いつくのは2つで、1つはチーム集め、もう1つは資金調達ですね。
まずチーム集めですが、大きく2つあり、1つは共同創業者を見つけること、もう1つはある程度ビジネスのかたちが見えてきたときにエンジニアを探すことがすごく難しかったです。
私の場合、現在の共同創業者を見つけることは比較的スムーズに進みましたが、これは運が良かったのだと思います。実は立ち上げ当初、MITの博士課程に在籍していた3人目の共同創業者も入っていたのですが、博士課程を修了するとともに彼はチームから抜けることになったので、共同創業者とがっちり信頼関係がある状態でビジネスを続けることは難しいと思います。
また、まだ何も成し遂げていないスタートアップの初期段階で、最初にチームメンバーとして参画してくれるエンジニアを探すのもすごく難しかったです。私たちの場合は、ビジネスを軌道に乗せていく過程で徐々にエンジニアとして参画してくれる人が増えてきたのですが、エンジニアチームを組成するまでに少し時間はかかりました。
2点目の資金調達ですが、ビジネスとしての実績がない中でビジョンに共感してお金を投資していただくのはなかなか厳しいものでした。この辺りはまた次回詳しく話せればと思います。
如何だったでしょうか。本シリーズはこれから随時更新予定ですので、次回の記事もお楽しみに!
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