ガン治療に取組むハーバード出身の研究者はどのように世界で通用する強みを築いたのか。アメリカで戦う挑戦者 Vol.6
自己紹介をお願いします
New Wind Therapeutics L3Cの向井です。簡単にこれまでのキャリアを話しますと、私は京都大学で有機合成化学の分野で学士と修士を修了した後、Ph.D.取得のために西オーストラリア大学パース校に行きました。日本人が少ないということと、研究の質とサポートが優れていると聞いたからです。オーストラリアには8年間滞在しました。そこでは主に有機合成化学と生物化学を学びました。その後日本に戻り、慶應義塾大学医学部で博士研究員として4年間働きました。ここでは生物学の研究をしていました。動物実験や他の製薬会社が作った薬のテストなどを行っていました。国際的な舞台で活躍することを目指すのと同時に、日本で働くことも経験しておきたかったからです。そして2018年にボストンに移り、ハーバードメディカルスクールで博士研究員として働き始めました。イギリス、カナダ、アメリカなどの様々な大学の研究室に応募したところ、結果的にハーバードに縁があったという形です。こちらでは心臓病の薬などに応用できる免疫細胞マクロファージの活性化について研究をしていました。ただ起業を見据えていたので、これまでアカデミックな経験ばかりを積んできたこともあり、製薬業界での経験を積むためにハーバードメディカルスクールを離れてボストンの製薬会社で働くことにしました。ボストンは医療分野において優れた場所だと思います。世界的にも医療分野のトップクラスの場所で、製薬会社が多く、スタートアップも盛んです。それを踏まえて、ボストンの会社で1年半ほど働くことにしました。そこでは生物学、免疫学に関する研究を進め、様々な免疫細胞を扱いました。例えばアトピーなどの皮膚炎に対する治療薬を作る仕事をしました。もともと1年半から2年くらいで起業に本腰を入れると決めていましたので、少しずつ起業の準備を始めていきました。そして2023年の8月にこれ以上待つのは良くないと思い、本腰を入れて起業に取り組むことにしました。
起業されたビジネスの概要を教えてください
私たちは副作用の少ない新しい抗がん剤を開発し、そして次世代のサイエンティストを育成することにより世界を変えることを目標にしています。がんの中でも膵臓がんの治療に注力しています。膵臓がんは5年生存率が約10%という特に治療が難しい病気です。そのがん治療に対して、私たちは経口投与できる治療薬を開発したいと考えています。最近は注射投与される抗体薬がありますが、患者さんによっては注射に抵抗を感じられる方がいますし、経口薬の方が開発コストも低く抑えられます。ただし、経口投与薬は現状ではまだまだ副作用が大きくなってしまうというデメリットがありますので、そうした問題をなくしていきたいと考えています。
私の専門分野は有機合成化学、生物学、免疫学です。これらの組み合わせが私の最大の強みだと思っています。学生時代に父ががんで亡くなったことがきっかけで、新しいがん治療薬の開発に挑戦したいと思うようになりました。がんの薬を作りたいという想いから有機合成化学の世界に入りました。有機合成化学とは簡単に言うと、様々な化合物を作る学問です。例えば、アスピリンなど、経口投与薬の多くは有機合成で作られます。デザインした化合物を多段階合成で作ります。有機合成化学を学び続けるうちに、私の専門分野は生物学、免疫学へと広がっていきました。有機合成化学を活用するためには免疫学や生物学についても知る必要があると感じたためです。製薬業界には、薬を作る人とその薬をテストしたり、病気のメカニズムを解明する人など、異なる分野の専門家がいます。これらの分野は通常は別々に存在し、交わることはほとんどありません。例えば、生物学を研究する人は薬の製造に携わらないため、その分野については分からないといったことになります。その逆も同じです。しかし、薬のデザインと、薬のテストの両分野を理解し、統合して考えていかなければ、新しい治療薬の開発をスピーディーに進めることはできません。一連のプロセスを理解していることが、製薬を進めるリーダーシップポジションに立つ者にとって求められるのです。
そうしたことを考えていくうちに、薬をデザインし、生産する有機合成化学だけでなく、薬のテストや病態の解明に求められる生物学も免疫学も学ぶようになっていきました。この両方ができるということが私の特殊な部分であり、強みだといえます。両方の実験を経験しているので、両分野の研究員の視点を理解できます。例えば「この実験がなぜ遅れているのか」や「何が難しいのか」など、異なる分野の人々には理解が難しいことも、私には説明ができます。製薬において、このコラボレーションはとても大切です。有機合成化学、生物学、免疫学の全てにおいて研究を行い、論文を出してきた人というのはなかなか世界的にも少ないので、自分自身がユニークな存在であると自覚しています。この自分にしかできないことがあるということが、起業を進める上で大きな支えになっています。
L3Cとは何なのでしょうか?
私たちは医薬品を開発し医療関係者に販売して利益を得ていくというよりは、社会貢献を目的としています。そのため、L3C (Low-Profit Limited Liability Company)という形態で会社を立ち上げました。L3Cというビジネスモデルは、大学などの研究機関と製薬会社をブレンドしたような存在です。例えばNPOは完全な非営利団体ですが、L3CはNon-ProfitとFor-Profitの特徴を併せ持つ会社です。
ビジョンが社会貢献ですので、それに沿う会社を設立したいとかねてより考えていました。ビジネスメインではなく、がんを倒したい、無くしたいという私自身の思いです。ただこの思いに共感してくれる仲間を見つけることが大変でした。ハーバードメディカルスクールに在籍していた時から、LinkedInに「がん治療と研究への関心、そして社会貢献を中心に据えた活動をしたい」という思いを公表してきたのですが、それが運良くアメリカ人の慈善活動家の方の目に留まったのです。彼は日本の東北地方で多くの慈善活動を行っており、東日本大震災の復興にも尽力していました。彼が私のビジョンを理解して協力してくれるということで、共に会社を立ち上げることになりました。その彼との相談の結果、企業形態をL3Cにすることにしました。お伝えしました通りL3CというビジネスモデルはNon-ProfitとFor-Profit特徴を併せ持つ存在です。事業拡大や利益のために事業を運営するのではなく、本当にがんを撲滅するために活動したい。そうした私の想いにL3Cはぴったりだと思いました。
ただこのL3Cという事業形態で起業することは大きなチャレンジでした。まだまだ新しい事業形態ということもあり、アメリカでも詳しい人は少なく、すべての州で登記ができる状態ではありません。まずはL3Cに詳しい弁護士を見つけることから始まりました。そして弁護士と相談した結果、ワイオミング州ならL3Cで会社の登記ができることがわかり、ワイオミングで登記。ただ事業活動自体は私が拠点を置いているボストンで行っています。
チームは私とCo-Founderの彼の2人です。会社を2023年2月に立ち上げてから今までは自己資金によって進めてきました。今は資金調達に挑戦しようという段階です。彼はテキサスに住んでいますが、オンラインMTGなどを使いながら、共に投資家の方に会っています。L3Cは寄付や研究助成金も受け取ることが可能です。ただ、これがあまり投資家の方の間で浸透していないこともあり、資金調達の上で課題になっています。しかしそれほど焦ってもいません。一番大切なことは、チームワークだと考えているからです。チームワークとビジョンとアイデアがあればうまくいくと信じているので、あせらずじっくりやっていきたいと思っています。
資金調達と並行して、がん治療にどのように取り組むかを決めています。がん幹細胞という、がんのもとになる細胞、それだけに発現するタンパク質をターゲットとしていくことにしています。このタンパク質の働きを阻害することによって、そのがん幹細胞の活動も制限され、がん自体が小さくなっていき、最終的には完全になくすことができます。現在、そのための化合物の開発を民間のContract Research Organization(契約研究機関)と共同で行っております。
海外生活が長いですが、日本と海外の違いを感じますか?
海外では新しいことに挑戦する土壌があります。日本は研究技術が進んでいると思いますが、新しいことを受け入れる姿勢が残念ながら足りないと感じています。これは学士修士時代にも感じていましたし、その後日本の病院で働いた経験からも痛感しました。新しいことに取組むべきだと声を上げても、なかなか受け入れてもらえないものですし、出る杭は打たれる様な印象を受けました。そのため、新しいがん治療薬に挑戦するなら、海外でやると決めました。
ただし、日本への貢献も続けていきます。日本を外側から刺激し、変えていきたいと思っています。日本、そして世界を変えるという情熱があり、志の高い若者がどんどん出てくることを願っております。日本の技術は世界トップクラスです。国際競争力が落ちてしまっているのは、姿勢の問題だと思っています。もう一度強い日本を取り戻したい。そのためには、若い世代がどんどん新しいことに挑戦していく必要があると思っています。
ハーバードメディカルスクールでは新しいものを取り入れる雰囲気がありました。ボストンの製薬会社も、ハーバードほどではないですが、新しいアイデアを受け入れる姿勢がありました。両者ともに、新しいことを提案すると、積極的に挑戦しようという反応が得られました。日本にいる時は、新しいアイデアを出しても、組織の方針に合わないと言われて進まないことが多かったです。こちらはプロセスよりも結果重視で非常に厳しい世界ですが、新しいことへの挑戦をサポートする姿勢があります。まずはやってみようというところが大きな違いです。
若い世代に向けて伝えたいことは何でしょうか?
日本の若い世代、特に次世代のリーダーには、諦めずに挑戦してほしいと思っています。私は起業活動とは別にUS-Japan Councilでリーダーとして活動し、日本とアメリカの関係強化や科学分野における研究の発展と次世代リーダーの育成に取り組んでいます。また、ハーバードのコミュニティでも、アントレプレナーサポートとして起業のサポートを行っています。日本の国際競争力を高めるためには、若い世代の活躍が非常に重要ですし、次世代の育成を進め、若い世代からの挑戦がどんどんと生み出せるような土壌を作っていきたいと思っています。
そのためにも、私としては起業したL3Cというビジネスモデルを通して、アカデミアと製薬業界を繋ぐ役割を担いたいと思っています。なぜなら次世代の育成という面において、利益追求型の会社よりL3Cという事業形態が取り組める部分は大きいと思っているからです。アメリカでもまだまだ知られていない社会貢献型の事業に引き続き挑戦していきたいです。
如何だったでしょうか。本サイトでは、「私も一歩踏み出してみよう」と思える。挑戦者の行動を後押しする記事をご紹介しています。
次回の記事もお楽しみに!
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