正しくやるべきことを正しく行う。アメリカの医療会社を急成長させた日本人CEOが大切にしていること。挑戦者 Vol.14
どのような事業をされているのでしょうか?
Baylor GeneticsのCEOを務めている瀧嶋健吾と申します。
我々の事業内容は遺伝子検査です。遺伝子検査はいわゆるコロナ検査と同じようなプロセスで行います。コロナ検査の遺伝子版だと考えてもらえればイメージしやすいかもしれません。患者から検体を摂取し、コロナ検査の場合ならコロナが陽性か陰性か分かりますが、我々の検査の場合は遺伝子に変異があるのかないのかということを検査します。
具体的にはがんや希少性疾患、そして出生前検査における遺伝子検査などを行っています。例えば出生前検査は、先天性異常の有無を調べるための遺伝子検査になります。希少性疾患の場合は、例えばお子さんの外観や行動に異常が見られる場合に、遺伝子の変異によってそうした症状が発生しているのかということを遺伝子検査で調べます。検査で陽性が出た場合、その処方薬がある場合はその薬をリコメンデーションします。ない場合は、薬の治験が行われている場合は治験側に繋ぎますし、治験がない場合は症例を製薬会社に提供して薬の開発の検討を促します。
会社はどのようにスタートされたのですか?
日本の医療系企業で、グローバル市場におけるビジネスディベロップメントやM&Aの業務に携わっていました。
業務を進めていく中で、遺伝子検査のBaylorの話が出てきたのです。会社としては将来的に面白い医療技術をリサーチしていて、その中の一つとして遺伝子に着目していました。さらに以前にアメリカ企業の買収をしていたこともあり、アメリカで追加で買収できる案件がないかを探していたところ、Baylorの話をキャッチしました。ここは大学に所属する遺伝子検査ラボでした。我々の会社がこのラボに出資して、大学からのスピンオフを実行し、その独立を助けるというプランを立て、社内の経営陣の決裁をもらい、実行していくことになりました。
私自身はアメリカで経営経験があったわけでもなかったので、私の役割は買収後の会社の立ち上げサポートがメインでした。そして実際の経営は、現地で社長を雇ってやってもらうことにしました。ただ、その社長がすぐに辞めてしまったのでした。やはりスピンオフの案件は簡単ではありませんし、アカデミックな文化を営利企業の体制へとトランジションしてポストマージャーを進めていける人というのはなかなかいないものです。
この事態をリカバーする必要がありました。同時に私が元々携わりたいと思っていた経営の仕事に就けるチャンスだとも考えました。そこで、私が経営をやっていきますと社内に提案したのでした。会社の了承を得て、私が当時担っていた業務の後任の手配などを済ませ、現地ヒューストンに赴任しました。もしかしたら会社はこの時、私には投資先がおかしくならないようにする程度の期待しかしていなかったかもしれません。しかし私自身はその様には考えていませんでした。この会社のポテンシャルを最大限に生かしながら、将来的にしっかりと成長していける形にしたいと思っていました。
これまでのキャリアを教えていただけますか?
大学卒業後まず銀行に入行し、そこで中小企業向けの融資を担当しました。その頃から色々な会社を経営している方々と接する機会がありました。最初は小規模の企業さまを担当していましたが、中堅規模の企業さまたちと接するようになり、経営の仕事に興味を持ち始めました。その頃は支店に在籍していましたが、その後本部に異動し、会社の買収やマネジメント・バイアウト(MBO)といったことに関わるようになり、企業規模の大小問わず様々なステージにおける多くの経営者の方々とお会いするようになりました。彼らの相続問題や会社の売却、MBO、大企業からの独立といったご相談について、お手伝いをさせていただきました。
その過程でこうした案件をサポートするプライベートエクイティ会社とも協業するようになりました。彼らと共に働く中で、経営者とより近い距離に立って、一緒に会社を育てていくという意味では、銀行よりもプライベートエクイティの方が、より経営をサポートする仕事に携わることができると感じ、銀行を退職してプライベートエクイティへ転職することにしました。
プライベートエクイティに移る際に、経営者に対してハンズオンでサポートすることを念頭に置いているような会社を選びたいと思い、カレイド・ホールディングスに入社しました。日系のプライベートエクイティの老舗のMKSパートナーズの代表取締役を務めていらした川島さんが立ち上げられたファンドです。川島さんはそれまで福助やベンカンなどの会社をいくつも再生されてきていて、再生のやり方も、自ら一緒に経営者と会社の再生をしていくスタンスで仕事をされていたので、この方と仕事をしたら面白そうだと考えてカレイドに移りました。
入社後例えばアパレルのレナウンや、内海造船、大新東などの企業再生に携わりました。内海造船の場合は広島の造船工場に行って再生プランと成長プランを作って会社の方々と一緒に実行していきましたし、大新東の場合は本業の自家用自動車管理事業とは別に展開していた日光江戸村が経営の重しになってしまっていたため、日光江戸村を切り離して本業にフォーカスする再生プランを実行しました。どの仕事もまずは企業の経営状況を見て経営戦略を提案し、それを着実に実行していくということです。会社の人たちと一緒にチームを組んでやっていく、会社の人たちと一緒に会社を良くしていくことに取り組んでいました。
1号目のファンドがすごくうまく進み、次のファンドを立ち上げようかというタイミングでリーマン・ショックが起きました。タイミングとしてはファンドを立ち上げるのが難しくなりました。ちょうどその頃私が感じていたことが、これまで日本でずっと仕事をしてきたのですが、川島さん始め一緒に働いた方々は米国MBAなどの海外経験を持たれている方ばかりだったので、私も国内の仕事だけでなく、海外を舞台とした仕事にも携わっていきたいと自然に興味を持つようになりました。又、プライベートエクイティで経営の仕事を見よう見まねでやってきましたが、実際それをしっかり学んだこともなかったこともあり、海外に行ってみよう、海外のMBAに行ってみようと思うようになりました。
ただ今から改めて経営の基礎を2年間きっちりやることには抵抗がありましたので、他の人と違うことを違う形で取り組んでみたいと思っていました。川島さんからも、もう経営の仕事はずいぶんやっているから、ビジネス以外の、例えば国際政治なども勉強できるところの方が面白いのではないかとも助言されました。そこで短期間でMBAが修了できて、ヨーロッパとアメリカの両方を見ることのできる、スペインのIEとアメリカのタフツのダブルディグリーを取得できるMBAプログラムに行くことにしました。これなら自分に不足していた海外での経験をヨーロッパでもアメリカでも積めると思ったのでした。
MBA卒業後、次のステップとして国際的な仕事をしていきたい、特に今までの経験を生かして国際的な投資の仕事を考えて、当時GEが海外展開に力を入れていたこともあり、GEに行けばその様な仕事ができると考えてGEに入社しました。実際に国際的なプロジェクトをいくつも担当させてもらいましたが、元々行員時代から抱いていた経営の仕事に取り組みたい気持ちが強くなっていきました。ただし、今自分が持っているものを考えた時に、特定の業界経験などなんらかのドメインに対する専門性がないことに気づきました。やはり専門性がないと役にたたないだろうと考え、自分の中で強化していくことを見据えてヘルスケアの分野で自分の専門性を高めていくことにしました。元々銀行時代から医療系の企業さまを担当することもあって知見があったということと、医療や健康に興味があったこと、そして人の役に立つ仕事だということで、このドメインを選択し医療系の会社に移りました。
CEOとしてどのようなことに取り組まれていますか?
最初はCEOではなくCFOとして会社の基盤作りに携わりました。大学に所属していたラボでしたので、インフラは全て大学に依拠していました。例えばHRやIT、会計といった機能は全て大学のシステムを使っていたわけです。そのため大学から独立したと言っても何もありません。あったのはラボにいた研究者や技術者たちだけです。ですので、会社の仕組みを全て作っていきました。ある程度その土台ができたところで、新しい社長を雇い、その人に引き継いだわけですが、その人がそれをうまく引き継ぐことができずに退職してしまったわけです。
そして私がまた戻ってきて、基盤作りをもう1度やり直しました。どんどんと基盤作りを進めて、この3、4年は事業として成長が実感できるようになってきました。研究者たちも最初は80人ぐらいでしたが、会社の急激な成長に伴い、現在は500人ぐらいにまで増えています。
どのような取り組みがうまくいったのでしょうか?
どこから手をつければいいか、優先順位をしっかりと見極めていくことを心がけていました。会社の駄目なところは挙げればいくつも出てくるものです。その中から、ここに手をつけてここを直していけば一番効果が出そうだなと自信が持てるところに取り組んできたことが、会社の成長を実現できた点だと思います。
ただ、何か一つの取り組みで業績が改善するわけではありません。こうしたことは本当に日々の行動の積み重ねだと思っています。長期的に見て何をやれば会社が一番成長できるのかを、マーケット環境に振り回されることなく、顧客に集中して行ないます。顧客に対して最大の価値を提供していくために、できることを日々積み重ねていくことに尽きると思います。そのために私の役割は、社内で止まってしまっているボールを押し続けることと言えるでしょう。押し続けて、押し続けて、組織が動き出して、勢いが少しずつついてきて、ようやく自分たちで進んでいくようなイメージです。ぐぅっと押すのに4、5年はかかりましたが、そこからはある程度会社が自走できるようになったと思います。
最後に、組織を立て直す上で大切にしていることを押してください。
やはり環境が変わったとしても、正しくやるべきことは正しくやっていくという強い意志で取り組む必要があると思います。例えば前のCEOは社内で駄目な人がいたとしても、その人を入れ替えたりすることができなかった。周りから嫌われることを避けてしまうところがありました。私はあまりそうしたしがらみに捉われないで、やるべきことをしっかりとやってきたことが大きかったと思います。
そしてもう一つ挙げるなら、会社を短期的に立て直せばいい、日本の本社に迷惑が掛からない程度に立て直せばいい、といった風に考えないことです。長期的にこの会社を本当に業界トップの会社として業績を伸ばしていこうと最初から考えていました。長期プランを持って取り組んでいたので、結果的に周りがついてきてくれたのだと思います。アメリカと日本では、たしかにカルチャー、人の考え方、人の取り組み方に違いはあります。しかしビジネスの基本は一緒だと思っています。もちろん相手に伝わるコミュニケーション方法にアジャストしていかなくてはいけないし、そのために私も学ばなければならないのですが、ビジネスの基本は大きく変わらないと思いますので、粛々と基本に忠実に取り組んでいくことが大切だと思います。
如何だったでしょうか。本サイトでは、「私も一歩踏み出してみよう」と思える。挑戦者の行動を後押しする記事をご紹介しています。
次回の記事もお楽しみに!
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