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永田希『積読こそが完全な読書術である』読んだ
積んでいたわけではないが、前からずっと読もうと思ってたこれをやっと読んだ。
表紙も背表紙も、積んだときにわかりやすいよう、タイトルが横書きと縦書きになっているのがいいよね。
本書の内容はおおむね以下のとおり。
まず大前提として、完全な読書など不可能ということだ。どんなに丁寧に読み込んでも完璧にはなりえない。できるだけ丹念に読む場合から、目次くらい読んでいないというほぼ未読状態までさまざまであろう。
であれば積んでいるだけだからといって、さほど罪悪感を覚えることはないのである。
そもそも書籍の目的は知を保存することであり、あなたが読まずに積んでいるから、その書籍は目的を果たしていないということにはならない。
そもそも論になるが、現代人は積読的環境にすでにおかれている。紙の本を積んでいなくても、パンパンになったAmazonの欲しい物リスト、図書館の予約リスト、Youtubeの後で見る欄、Webブラウザのブックマークなど、情報の濁流に巻き込まれてしまっている。
だから自律的な積読が必要になる。著者はそれをビオトープ的積読環境と呼んでいる。書庫をあなた自身の生態系に作り変えるのだ。そこではたとえよまれていないとしても、本と本に関係性があるから良い、、、らしい。
以上のようなことが、『本で床は抜けるのか』、『読んでいない本について堂々と語る方法』など有名な読書論を引用して語られているわけである。
とはいえ、本の目的は読まれることでもあるから、積むことに対する罪悪感は、私は無くすことができない。だからここ2,3年は書籍を大量に処分したのだ。
処分するときもなるべく目を通すようにしている。積んである本は「どうして読まないんだ?」と語りかけてくるように感じられるのである。だったら読まないでさっさとブックオフに持っていって視界から消してしまえばいいんだけどね。
というわけでいかに速く読むかについて少し書いておこう。
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