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『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』読んだ

続き。

ラテン語を学ぶのはいいが、名詞の格変化とかいうもののせいで強烈にめんどくさい。冠詞がないのを喜んでいる場合ではなかったのである。

ドイツ語の冠詞の格変化めんどくせーと思ってたが、冠詞が変化してくれるおかげで名詞がほとんど変化しなくてよかったんだね。。。しかもドイツ語は4格までしかないが、ラテン語は6個もあるやん、、、2個増えるだけで記憶の干渉が甚だしくなるのである。

だからモチベーションの維持が大切になってくる。

そういうわけで意識高まる本を読んだ。

著者は法制史、ローマ法などを専門としている韓国人で、韓国の大学でのラテン語講義をまとめたのが本書である。随所で、現代の韓国は、、、とやってくれるので、日本も韓国も出羽守はいっしょだなと笑顔になる。

ラテン語の文法について細々書いている本ではなく(そんなことをしたらほとんどの学生は逃げ出してしまう)、ラテン語やイタリアの歴史、ラテン語の名言解説なんかが主体であり、モチベーションを高めるのに最適である。

著者が学生から得たアンケートによると、ラテン語を学ぶ動機として「なんかかっこいい」というものが多いらしい。この程度の動機の人が多いと知って安心した。

そりゃラテン語で書いてあったらなんか高尚な感じするもんね。

私は知らなかったのだが、有名なCogito ergo sum(われ思う故にわれあり)は、もともとはフランス語だったらしい。おそらくはデカルトが中世の人であることを強調するためにラテン語に訳されたのだろうが、いつのまにかラテン語のほうが人口に膾炙するようになった。フランス語ではJe pense donc je suisらしいが、ラテン語のほうがなんとなく格調高い感じするよね。

動機は不純でよいとして、ではラテン語を学ぶ効用はなにか。

それはこのクソ面倒な格変化や活用を覚えることを通じて勉強の仕方を学べることである。さらにはこんな面倒なことを学んだことは自信にもなる。

私のようなおっさんがそんな自信をつけてもしかたないかもしれないが、今まで身につけた勉強テクを総動員して覚えていくのは楽しいと感じなくもない。

そんなわけで、ラテン語を学習することはPC自作以上におすすめできないが、本書を読んでラテン語を学ぶ意味を知るのはいいのではないだろうか。

以下備忘録。

例えばむかし『いまを生きる』という映画があったね。ださい邦題だが、原題のDead poet's society(死せる詩人の会)もたいがいである。
しかし原題のもとになったのはCarpe diem(今日を楽しめ)という詩で、本書を読めば、邦題つけた人はかっこいいラテン語の雰囲気を伝えようとしたんだなと理解できるのである。


2世紀ギリシャの著名な医師クラウディウス・ガレヌスはPost coitum omne animal triste est(すべての動物は性交後に憂鬱になる)と言ったそうな。いわゆる賢者モードだが、ラテン語だとさらに賢者感が出るね。
母校の近くにpost coitusというバーがあったのだが、postは対格支配の前置詞なので文法的にはpost coitumが正しいなあとどうでもいいことを考えてしまった。

 

2002年ワールドカップのとき著者はローマにいて、イタリアが韓国に負けた後、指導教官に部屋から出て行けと怒鳴られるなどの嫌がらせを受けた模様。とても気の毒だが、結果だけでなく試合内容に世界中が激怒していたのは知らなかったのかな、、、

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はむっち@ケンブリッジ英検
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