先崎彰容『高山樗牛 美とナショナリズム』読んだ
先日のこの記事の続き。明治後期の若い思想家たちは国家と個の確立にどう折り合いをつけたか。
『明治思想家論』で取り上げられた思想家のうち何人かが気になったのだが、そのうちの一人が明治中期に活躍した美学者高山樗牛で、だいぶ前に樗牛についての本を買って放置していたのを思い出したのであった。
著者の先崎彰容氏は保守よりの文芸批評家で、ナショナリズムと美学の間で揺れ動いた高山樗牛を論じるのに最適な人物といえよう。氏がメディアへの露出を増やしていくのは東日本大震災以降であるが、本書はその直前の2010年8月刊行である。
樗牛は1871年(明治四)庄内に生まれる。生後まもなく叔父の家に養子に出されている。以後、叔父の転勤のため各地を転々とするのであるが、これが終生つきまとった故郷喪失感に関連しているといわれる。同世代の夏目漱石みたいである。なお同年代には西田幾多郎、北村透谷らがいる。
まず著者は補助線として一世代前の福沢諭吉を導入する。明治初期から活躍した福沢らは、旧来の儒教的価値観の否定と新国家構築を軸に自己形成ができた。
さらに山路愛山を紹介する。山路は旧幕臣の子弟であり、明治政府で立身出世の望みはなくキリスト教に活路を見出した。
日清戦争前後に世に出た高山樗牛らの世代にとっては、どちらの道も安心立命とは思われなかった。
樗牛は、日清戦争後に活況を呈する帝都において当時東洋で最大発行部数を誇った『太陽』の主筆として腕をふるった。この間に森鴎外、坪内逍遥との論争を経験し名前を上げている。
富国強兵殖産興業というなりふりかまわぬ政策が自己喪失感や脱落者を生み出していた時代であり、これへの対処が急務であった。樗牛は個人主義を肯定しつつも、個人は国家を支えるべきものとして位置づける。国家に厭世主義を超克する契機を見出したのである。また過剰な自由、欲望も国家という社会を介することで健全な欲求へと変革していける。
明治新体制を象徴するものとして教育勅語があるが、樗牛はいったんはこれに人心の安定場所を見出している。恩師の井上哲次郎が教育勅語をもとにキリスト教を排撃し、仏教は諸派も井上の尻馬に乗ってキリスト教を攻撃したが、樗牛はキリスト教も仏教も同じことであるとして、宗教を否定している。宗教文学は肯定しているのであるが。
ここで樗牛はナショナリズムというか日本主義を唱える。これは国粋主義とは異なっていて、どちらかというとアジア主義に近いものであった。これは日清戦争後に欧米に巻き起こった黄禍論の影響である。樗牛にとってナショナリズムは人種問題だったのである。
明治三四年ころを境に、都市部インテリ層を取り込んでキリスト教が勢力を回復するにいたる。物質的豊かさばかりを追求することに疑問をもった若者たちにうまく訴求したのである。彼らは、ナショナリズムを意識していた山路や内村鑑三とは異なっていた。明治三六年の藤村操の投身自殺に共鳴したのもこの層であった。
樗牛は再び自己に積極的な意味付けを与える理論を構築せねばならなくなった。それが日本主義だった。宗教は厭世主義におちいるとして否定したのである。
アジア主義的なナショナリズムは、社会契約論のような国内で完結するナショナリズムとは違う。国際関係から要請されたものであり、そこにはまだ幼い明治国家があった。それは若者が感情移入しうる等身大の国家だったのではないかと著者は指摘している。
またそれは歴史的なものであり、樗牛は歴史に美を見出すことができ、ひとときの安心立命をえたのであった。
しかし結核を患い留学が挫折、弟良太を病で失っていたこともあり、死の影にとらわれるようになる。
そうしたおり、本来留学するはずであったドイツの哲人ニーチェに深い関心を寄せる。ニーチェはドイツが工業国家、中央集権国家として勃興し、普仏戦争勝利に沸くドイツで活躍した哲学者だ。日清戦争後の日本と情況が似ている。樗牛はその闊達とした個人主義に惹かれていき、それは主著「美的生活を論ず」へと結実していく。
また宗教をかつては否定していたが、ナショナリストとしての日蓮に惹かれ、日蓮宗や田中智学に接近していくのであった。
樗牛と同時代に活躍した宗教者で、同じく夭逝した清沢満之は精神主義と題して自己の内面に沈潜していった。しかし樗牛は日蓮を手がかりに社会参加を模索するも、明治35年12月24日永眠。
その後、日本は日露戦争に勝利し、帝国主義国家としての立場を確固たるものとする。田中智学は大逆事件を契機に日蓮主義からより明確に国粋主義に転じ、井上日召、石原莞爾らに影響を与えていくのだった。
昨年は個人と国家、自由主義と国家主義といったことを考えざるをえない年だった。今年も引き続きそうだろう。本書を読んで、明治期の国家はまだ幼若であり、いかようにも変わりうる可能性があった、そこにこそ自己を投影する意義があったのだという想いを強くした。高山樗牛が活躍した時期は、まさにその可能性、国家の可塑性が明確に失われつつある時代だったのだ。
それに比べると現代の国家は強大に思えるし、選挙に行くのも虚しいことのように感じる。だがもしかしたら、意外と現代の国家もまだまだ幼いという可能性は?と一瞬だけ思った。