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ジョッシュ・ウェイツキン『習得への情熱 チェスから武術へ――上達するための、僕の意識的学習法』かなり高尚だった


先日、感銘を受けた記事。

なにかを達成するときに、自分にネガティブにならない、他人に影響されないという大事なことがいくつか書いてあった。

うーむなるほどと思ったので、紹介されている書籍をどれか買ってみようと思ったのである。

超一流になるのは才能か努力か? も紹介されていた。これは読んだことがあって、同書ではチェスの達人に言及されていたので、なんとなくビビっと来て、これを買うことにした。

著者のジョッシュ・ウェイツキンは幼少時からチェスの達人として名を馳せ、やがて太極拳に転身して世界チャンピオンになったというすごい人である。原題”Art of Learning"で、チェスであれ太極拳であれ、卓越に到達するための考察といった内容である。

そんな超人の真似ができるかどうかは別として、そういう人間の頭の中をのぞいてみたいという欲求は常にあるのだ。そしてこれは単なる自己啓発本ではない。なんせみすず書房だからである。どおりでなかなか進まないわけだ。

本書で何度となく強調されるのは、心を今この瞬間に置くということだ。なにやら瞑想みたいだが、集中力が高まると1秒が数百コマに感じられるとか、瞑想の達人と同じようなことも書かれている。

もちろんそこに至るまでの道のりは簡単ではない。初学者は基礎的なスキル、知識を体が覚えるまで叩き込まないといけない。極めていくと無意識にできるようになったり、余計な部分が削ぎ落とされてエッセンスだけを意識したらいいようになる。そうして意識が極めてシンプルな要素だけに向かうようになると、時間がとてもスローに感じられる、というようなことが書いてあった。

複雑なことでも毎日鍛錬していると、いつの間にか、あれ?こんな単純なことだったの?というあっさりできるようになることがある。最初のややこしい枝葉末節は必要なくて、最初から本質だけ学べばよかったと思うが、まあそういうことではないのだろう。本質にたどり着くために枝葉が必要だったのかもしれない。ガンバリズムである。

単純化やルーティン化は、マンネリは紙一重だ。最初は苦労したこともルーティン化していく。そしてそのルーティンに振り回されて、創造性を発揮できなくなる。

そこで著者がいう負の投資が必要になる。さらなる飛躍のために一時的にパフォーマンスが低下することを受け入れるのである。しかし、ルーティンならば漸次的に変えていけばいいが、シーズンの大事な試合を落としてしまうようなパフォーマンスの低下は受け入れられるのだろうか?私の業界でいえば、いま手術手技の向上に取り組んでいるので、あなたの手術のリンパ節郭清が甘くなったり、手術時間が長くなったり、出血量が増えたりする可能性がありますと患者さんに言えるだろうか?

その答えは本書には書いていなかった。ただどんな達人でもそこは悩むとこっろだということはわかった。それだけでも私にとっては収穫だ。みな同じ人間なのだ。

しかし、当然ながらホモ・サピエンスという点では同じでも、どういう人間かという点では大きく異なっている。本書のクライマックスは太極拳の世界大会で、超人にしか語れない境地が展開されるのであった。

そういうわけで私はこの本がとても気に入ったので、英語版のAudibleも購入したのであった。


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