森本あんり『不寛容論: アメリカが生んだ「共存」の哲学』
色々と忙しくてなかなか進んでなかったこの本を週末一気に読んでしまった。
数ヶ月前にニー仏さんが取り上げていて気になってわりとすぐ購入したけど、けっこう時間がかかってしまった。
扱われるのはロジャー・ウィリアムズという、イギリス生まれの神学者である。英領アメリカで、プロビデンス植民地を築いたことで有名である。そこに至るまでの熱いロジハラおじさんぶりはニー仏さんのnoteに書いてあるのでぜひご参照いただきたい。
個人的に面白かったのは、英領アメリカの雰囲気、イングランドとのやり取り、先住民との交流(とロジハラ)などであった。独立革命前後やそれ以降について書かれた本は多いけど、それ以前についてはあまりないので勉強になった。
本書の前半は寛容と不寛容の総論である。序盤に、寛容度の低い日本と中国は宗教を重視しないというアンケート結果が紹介される。異質なもの、好きじゃないものだから寛容性が必要になるのだが、著者は日本的な寛容は、無寛容ではないかと指摘する。異質なものに普段直面していないから寛容か否か考えなくてもよいというのが無寛容ということになろうか。そして異質なものに出会うと一気に不寛容に傾くというわけである。ただし自分の存立が危うくなっても寛容でいられるか難しいところではある。
それではピューリタンはどうだったかというと、puritanicalという単語からわかるとおりあまり寛容でなかったということになっている。イギリスでは批判者であり迫害を受けていたが、ニューイングランドに渡ると建設者とならなければいけなかった。
徒手空拳で建設していかなければいけなかったので、ピューリタンは寛容ではやっていけなかった。協力して切り開いていかなければいけなかった。そしてゼロから社会を創るのだから寛容である必要もなかった。メイフラワー契約もその一例である。
当時の英国は貧しく、ニューイングランドへの植民も民間事業となるほかなく、国王は特許状を出すだけだった。したがって当地への植民は自発的な契約に基づくものであったので、従わない者は放り出すという不寛容の極みも可能であった(ロジャー・ウィリアムズもマサチューセッツから放逐されている)。また英国法はある程度は尊重していたが基本はやりたい放題であった。こうした精神は合衆国憲法にも生きているのである。
いちおうキリスト教世界で寛容が問題になるのは宗教改革以降ということになっている。カトリックとプロテスタントの対立だけでなく、プロテスタント内部での対立も激しかった。ルター、カルヴァン、ツヴィングリもけっこうご無体なことをしているのである。英国では仲良く迫害されていた、ピューリタンとクエーカーやバプテストもニューイングランドでは対立していたのである。
こうした血で血を洗う事態を経て寛容が確立されていったのであるが、中世には寛容という観念は深化していたという見方もある。カトリックの高位聖職者は全世界に布教することを目指しつつも、そんなことは不可能だとも認識していたので、そこに寛容さが宿る余地もあったのだ。現実的な判断もあったわけである。しかしここには異教徒を容認する寛容さはあっても、身内に対しては厳しくなるという面もあるのだが。
ロジャー・ウィリアムズはこうした異教徒の信仰を是認するわけではないが、容認はするという寛容さを、不寛容さに満ちたニューイングランドで発揮したわけである。それ故にめちゃくちゃなことを言う人も容認するはめになって、最終的にはいろいろと悩んだようである。批判する側から、建設する側に回ると誰でも苦労するのだ。
彼の寛容の精神はプロビデンスを含むロードアイランドの歴史にもみられる。アメリカ合衆国の初期の歴史をみているとロードアイランド州を除く、という記述にしばしば出会うのはそうしたことであろう。
また合衆国憲法にも信教の自由、政教分離という形で(6章3項、修正1条)、信じる自由、信じない自由というロジャー・ウィリアムズの精神がみられるのである。