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生まれて初めて軽井沢に行ったのである
やむを得ない事情により軽井沢に初めて行ったのである。多分不要不急ではないと思うが、何が必要で何が不要かに線が引けるのかよくわからない。しかし他人の行動に不要不急などという人間は、お前の存在が不要なんだよ!と言われても文句をいうべきではない。撃っていいのは撃たれる覚悟のある者だけだ。
関西から軽井沢に行く経路はいくつかあるが、Delta Variantとかいうものが幅を利かせていると言われる東京を経由して行った。電車で行くなら最も便利だったからだ。
全く恐ろしいことだ。こういう行動が感染を増やしてしまうのだろうが、まあ自分1人くらいいいかと思った。
しかし多くの人々が自分1人くらいいいかと思って行動した結果がこれではないのか?デブの医者は他人の行動に口出しする前に自分の体型を何とかして医療にかかる負荷を減らすべきなのに、自分1人くらい太っていても大勢に影響はないと思っているのだろうか?
などという哲学的思弁を繰り広げているうちに新幹線は軽井沢駅に到着していた。
軽井沢といえば皇室の皆様などやんごとなき方々が避暑に赴く場所というイメージがある。そういう敷居の高さと、例えば箱根と比較した場合の、関西からの行きにくさから、今まで行ったことがなかったのである。
人の流れを増やすことがこのご時世に良いことかどうかは別として、軽井沢には人がたくさんいた。みなさん日本国憲法で保証された移動の自由を行使しているというわけである。
私は星野リゾートのホテルみたいな何かに宿泊していた。政治的に正しい、というか消毒されたという印象の宿であった。もちろん彼らとてこの情勢下で生き残るためにそうせざるを得ないのであるから、特に批判があるわけではない。
敷地内に、内村鑑三記念・石の教会とかいうものがあった。
石がいっぱい使われていたので石の教会という名前は納得できたが、どの辺が内村鑑三なのかはわからなかった。
ただし内村は軽井沢で何かlectureのようなものを定期的に行っていたようで、ゆかりのある人物ではあるようだ。
しかし私は内村鑑三どころではなかった。軽井沢が中山道の宿場町であることを知らなかったのだ。恥ずかしい。島崎藤村の『夜明け前』がとても好きで馬籠にも行ったのに、、、まあ木曽路じゃないからな軽井沢は、、、小説の中では下諏訪を過ぎたらすぐ板橋だったしな。。。
なので中山道って思ってたよりだいぶ北回りなんやなあと思ったりもしたわけである。つーか、こういう主要な街道の宿場町でなければリゾートとして発展するわけないよね。
そして軽井沢から1つ京都寄りの宿が沓掛だったっていう。
この加藤泰の傑作は何度も何度も観たのに、こういう地理的関係を全く把握できていなかった。
知ってると思っていて実は知らないことは結構ある。いや、なぜ知っていると思ったのか謎なくらい何も知らない事柄もある。全く自分の脳みそは当てにならないと思うのであった。
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