押井守『誰も語らなかったジブリを語ろう 増補版』読んだ
まもなく10年ぶりくらいに宮崎駿監督作品が公開されるというので、こんなのを読んでみたのである。
押井守は著作が非常に多くて、信者だった頃は全て読んでいたのだが、棄教とともに読むのもやめてしまっていた。この本もその後に出たもので、気にはなっていたが読んでなかった。最近になって増補版が出たらしい。
増補版といっても押井と鈴木敏夫の毒にも薬にもならない往復書簡がついているだけなので気にしなくていいと思われる。
内容はおおむねタイトルのとおりで、いまや宮崎駿(と故高畑勲)はかつての黒澤明ポジションで誰も批判できないので、宮崎駿、高畑勲、そしてプロデューサーたる鈴木敏夫をよく知る押井守が忌憚なく語ろうというものである。
本邦では神格化されると批判が赦されなくなることはよくあるし、逆に叩いていいポジションになると一転してボロクソに言われてしまう。
そもそもがジブリというスタジオは鈴木敏夫が編集長を勤めたアニメ雑誌『アニメージュ』の版元である徳間書店が出資して設立された。社長の徳間康快と親しかった氏家齊一郎を通じて日本テレビとも提携したのである。戦後のエンタメは全て正力松太郎に通ずるのである。
『風の谷のナウシカ』を製作したトップクラフトのスタッフをほとんど引き継いで、ジブリとしての第一作が私が一番好きな『天空の城ラピュタ』である。
押井は作画や演出の素晴らしさを褒め称えるけど、矛盾を指摘することも忘れない。大地に帰れというが主人公の乗ってる飛行機はなんなんだっていう。このての構造的欠陥は本書の至る所で指摘されている。
宮崎は軍記ものや戦闘機のフェチなのだけど、戦争反対で農本思想。ナウシカでも主人公がボリシェヴィズム全開で闇雲に戦闘的なのだが、このころはまだ鈴木のコントロールが効いていた。
『紅の豚』は鈴木敏夫がご褒美的に宮崎の撮りたいように撮らせたものらしい。いうまでもなくあの豚は宮崎自身なのだが、彼はみんなにそれがバレていると思ってないらしい。どういう自意識なのだろうね。
こんな自意識丸出しの作品がまた大ヒットしたものだから、鈴木敏夫はだんだんなにもいえなくなったようだ。それでも『もののけ姫』まではまだよかったが、『千と千尋の神隠し』以降は暴走が止まらなくなる。鈴木敏夫は制作に介入できなくなり、広告などで尻拭いする役割になる。あれだけでかいスタジオになると興行で失敗できない、、、まあどれこれも日本映画史に残る大ヒットだったんだが。
結局のところ、こういう絵を撮りたいっていう欲望で作ってるから、物語が矛盾しまくる。ラストから逆算とかはあんまりしないらしい。
しかしその絵の躍動感、リアルさ、気持ち良さは唯一無二なので、誰もが楽しんだり、感動したりしてきたのだ。
例えば、もののけ姫のシシ神の水上の動きを押井は絶賛する。たしかにあれは震えたなあ。水を描かせたら宮崎の右に出る者はいないらしい。彼はアニメーターであって監督ではないんだね。
つまり絵の力と鈴木敏夫の宣伝戦略によって大ヒットをかまし続けてきたのである。世界観の構造的欠陥なんかよりも、楽しんだもんがちである。
『火垂るの墓』は典型的である。兄貴の無駄に高いプライドのせいで妹が餓死したというなんじゃそらというストーリーなのだが、そんなことをいうのは少数派で、ほとんどの人間はボロ泣きしたわけである。いや、なんじゃそらと思った人間でも絵の力に負けて落涙してしまった者は少なくなかろう。
野坂昭如の原作は読んでいないけど、押井によると、文字だけだと兄の強情さも、妹の悲劇もそこまで感情を刺激するものではなかったらしい。だから、これこそがアニメーションの力なのだと。
ちなみに『火垂るの墓』以外の高畑勲作品のことはボロクソに批判してます。
また宮崎吾朗、米林宏昌らの作品もボロクソ。宮崎の劣化コピーとまで言っている。
つまるところ後継者育成には失敗してるわけで、ここにきて御大再登板となったのだろう。