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モチベーションの維持のためには他人と比較しないことが大事

いきなり意識高いことを言うと、モチベーションの維持も仕事のうちである。やる気が出ないなどというのはプロ失格である。なので私はしょっちゅう失格している

冗談はさておき、日々淡々と有意義かつ丁寧に暮らしていくためにはモチベーションのある程度一定に保つことは必須である。長期的にみれば大きく進歩するにはそのような積み重ねが大きく寄与する、たぶん。

モチベーションを維持するには成長を可視化するのが手っ取り早い。だから多くの場合、ベンチマークとかKPIなどと呼ばれるものを設定することになる。英語学習者ならTOEICや英検がポピュラーだ。

ベンチマークは必要なのだが、こういうものは偏差値に代表されるように他人との比較になっていることがしばしばである。相対評価はわかりやすいし、就職などに使われる資格試験ならば相対的な立ち位置も測れるようなものでないと企業としても利用しにくいだろう。

他人と比較して落ち込んだりマウンティングしたりするのは最低である。短期的にうまくいったとしても、外的な評価に依存する努力や達成感は長続きしないし、自らの内発的動機と結びついていなければ幸せになれない。

他人と比較しないことはSNSの時代においてはますます重要になる。FacebookやInstagramでは他人のキラキラして脂ぎった写真が洪水のように流れてくる。それらを素直におめでとうとか、元気にやっとるなあと思えない人はみないほうがいい。まあ付き合いの都合で閲覧せざるをえないことも多いんだけどね。

そこで自分とは関係ないと思うことがそうしたキラキラ系SNSとうまくつきあうコツなのだが、それもやりすぎると他人に無関心になってしまうので諸刃の剣である。もちろん他人に無関心でなにがいけないのかと問われると返す言葉がないのだが、、、

うん、まあ他人に無関心でもいいよね、迷惑かけなければ。そして昨日の自分を参照点にして自分史上最強を目指すのがいいだろう。言い尽くされたことではあるけど、これが今のところ自分なりのファイナルアンサーである(今のところならファイナルじゃないやろというツッコミはなしでお願いします)。

東大卒プロゲーマーときど氏の自分史上最強になるための日々の実践は本当に参考になる。日々無駄なく生きるだけでなく、理不尽さの中には合理性もあるはずだという洞察はさすがというほかない。

理不尽なことは生きていくうえで避けられない。避けられないし丁寧な暮らしの重大な阻害要因になる。うまくやり過ごしたり、立ち向かったりするしかない。もしかしたらアホと戦わないといけないときもあるかもしれない。

理不尽なことをいかに主体的に引き受けていくかというのは個人的には喫緊の課題でもある。

これについては近日中になにか書くと思う。

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はむっち@ケンブリッジ英検
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