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団塊ジュニア世代はなにができるか

今朝読んだnoteについて少し書いておこう。

このツイートの画像についてである。

年齢構成がどんどん偏っていく。どうすんだこれ。

私はすごく深刻な問題だと思うが、現在、感染対策の名のもとにこの傾向を加速するようなことが行われているのでもうどうにもならないだろう。

この流れはもはや個人の力でどうにかなるものではないから、結局は個々でその潮流に対するミクロ最適戦略を追求していくしかない。もちろんそれは合成の誤謬になるほかないのだが。

そしてそういう社会で若者たちの最適な戦略とは、というのが上記のnoteの内容である。有料なので詳しいことは書かないが、30年後は途上国だって少子化が進んでおり、人間を輸出できなくなっていると想定すべきであろう。

若い世代はともかくとして、我々団塊ジュニア世代はどのように生きるべきか。いやこれは逃げた言い方だな。私はどうするかだ。

とりあえずまだ私は死ぬつもりはない。ただいつ死ぬかはわからないので、覚悟だけはしておかなくてはいけないな。

また親よりも先に死ぬのはいけないことだとは思っている。とすると親世代がなかなか死なないのは困ったことかもしれへんなあとか思ったりもする。

そういうことはすでにこのnoteに書いてあった。考えが堂々巡りしているようでかっこ悪い。

今読んでいる本で気になったことがあったので備忘録的に書いておこう。アメリカ合衆国憲法制定会議のことである。1787年5月25日にフィラデルフィアで開幕したこの会議は、9月17日最終日を迎えていた。大きい州と小さい州、生産力のある州とない州、奴隷を認める州と認めない州、各州(歴史用語としては邦が正しいが)の思惑が交錯する中、採択の最後のひと押しになったのは、齢80を越えていたベンジャミン・フランクリンの発言だった。これだけ長生きしていると、正しかったことが正しくなくなるのを何度も見てきた、この憲法草案が正しいと言い切る自信もない、でも自分が絶対正しいという気持ちを今は抑えて私とともに賛同してみないか、その気持ちはこの憲法をうまく機能させることに使わないか、と呼びかけたのであった。

アメリカ建国の父たちの時代には、80代でなお壮健な老人は少なかったであろう。ベンジャミン・フランクリンほどの傑物となればなおさらだ。尊重しなければいけなかったし、そうすることに多大なる価値があっただろう。翻って、今は本当にそういう時代なのか考えてみることも時には必要じゃないかと思ったのである。

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はむっち@ケンブリッジ英検
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