若林正恭『社会人大学人見知り学部卒業見込』読んだ
先日の白饅頭さんの記事で紹介されていたこの本のことが気になって読んでみたのだ。
著名なお笑い芸人である若林正恭さんが雑誌ダビンチに連載したエッセイをまとめたものだ。
下積み時代が長かったがM1グランプリで上位入賞をきっかけに地上波などに出演するようになり、現在も活躍中である。
タイトルの社会人大学とは8年にわたる下積み時代が終わって、ようやく社会と交わるようになったことを指している。お金が自由にならない期間が長かったためにだいぶ中二病をこじらせていたようで、社会で戸惑うさまが克明に描かれる。
連載が数年に渡ったため、最初と最後で著者自身が大きく変化しているのが面白い。成長といってもいいだろう。
例えば初めのほうに、趣味なんてねーよーと書いているが、だんだんと趣味も悪くないと気づいていくのだ。多くの人が関心を寄せるのにはそれなりの理由がある。そういう普通のことを学ぶにしたがって、めんどくささがとれていくのだ。
私自身もだいぶめんどくさい人間であるから、著者のこうした葛藤や変化はかなり共感できた。
しかし、こんな人見知りで、自尊心の高さと自己評価の低さが同居しためんどくさい人がお笑い芸人てことにちょっと困惑した。もっと目立たないことをすればいいのにと。
著者によると人見知りと人嫌いは違うと説明している。
本当は人に近付きたい、でも近づいて嫌われたくないという自意識過剰な人が人見知りになる。人見知りの人は周りに人が少ないから孤独感を勝手に抱き始める。そうなると誰かに承認してもらいたくなる。承認欲求が芽生えると表現なんぞを始める。だから、意外と重度の人見知りこそいけしゃあしゃあと人前に出て表現したりするものなのだ。
なるほどね。私は中等度の人見知りだからこうしてnoteを書いているんだな。
本書のもっとためになった部分は、白饅頭さんも指摘していたように、ネガティブを抑え込むのはポジティブじゃないってことだ。
著者は、飽きられてポイ捨てされるとか様々な不安を抱えているが、それを村上龍の『限りなく透明に近いブルー』のラストに出てくる巨大な黒い鳥にたとえている。この小説で主人公は、鳥を殺さないと自分が殺されると叫んだ。
著者が鳥に呑み込まれないために必要なことに気づいたのは箱根の露天風呂という、ネガティブからは遠そうな場所だ。箱根の温泉というとポジティブなイメージだが、なにもしていないから鳥がやってくる。鳥を追い払う方法は没頭することだと気づくわけである。
そして没頭ノートを作って、ネガティブなりそうなときに没頭できることをリストアップしたとのこと。バレットジャーナルのなんちゃらログみたいだね。
没頭した結果としてなにか素敵なものが手に入って、いっときポジティブな気分になるかもしれない。でもそのままだとまたネガティブになってしまうから、没頭を再開しなくてはいけない。
なぜならネガティブな性格はすぐには変わらないから。その性格のままでも楽しくやっていく方法を、つまり没頭できるなにかを探し続けないといけない。
というふうに考察が進んで、最終的に、自己ベストを更新し続けることという、多くの達人と同じ結論になるのであった。
そして、この手の本であありがちなのだが、あとがきが一番よかった。だからちょっと引用してみよう。
それでも、この自分の汎用な生を物語にしないと生きていけない。
等身大の自分を生きる強さをいつまで経っても身につけられない。
自惚れていないと、
卑下していないと、
生きていられない。
向いていない。なんてことはもう痛みを通り越して麻痺するほど知っている。
これが高い自尊心と、低い自己評価が同居しているってことだな。
いつかこの振れ幅が収束して、等身大というか、普通を手に入れることができるんだろうかと考えてしまった。まあきっと死ぬまでそのままなのだろうな。
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