髙橋透『サイボーグフィロソフィー』読んだ
積読解消シリーズ。
なんでこの本を読もうと思ったのかもう忘れてしまったが、たぶん攻殻機動隊のことが気になったからだと思う。『スカイ・クロラ』については、押井守による映画化に言及はなく、森博嗣の原作にしか触れられていない。
本書は2008年の出版でありずいぶんと陳腐化している。言及されている夢のようなテクノロジーは現在に至るもほとんど実現しておらず、妄想の域を出ていないとネタバレになってるのがつらい。
そのことがよくわかるのが、『攻殻機動隊』についての論考である。
士郎正宗の原作、押井守の映画、神山健治によるアニメシリーズを比較しているところにそれがよく現れているように思われる。
作品として優れているのは言うまでもなく、士郎と押井のバージョンである。これらを鑑賞すると、人間と外界の境が溶けていくような感覚を覚える。あるいは自分のアイデンティティが揺らぐような感覚だ。
一方で神山健治のシリーズは、サイボーグが西部警察やってるだけである。より多くのオーディエンスにアピールするにはそれが正しい。だがそれゆえにアクチュアリティが高い。
笑い男や個別の11人は近い未来に実現しそうである。
それに比べると士郎や押井の描いた世界なんて、30年経った現在でも妄想である。
2008年以降には色々なことがあった。そのころ想像したことが陳腐化したのもやむをえないだろう。
個人的には木澤佐登志さんが新反動主義を日本に紹介したのが大きかった。テクノロジーが現実にもたらしそうなこと、テクノロジーが労働者を解放する未来などなど、サイボーグだのman-machine interfaceだのといったことよりもよほど刺激的だった。
全世界的にはコロナウイルス騒動があった。テレプレゼンスは現実に人が集まることの代替にはなりえないということが証明されてしまった。少なくとも近いうちにそんなことはおこりそうにない。
あるいはウクライナ戦争だ。
電子戦のようなことはやってるんだろうけど、重要な局面は、地面で人間や戦車や大砲のバトルである。ポエニ戦争あるいはその前からなにも変わっていない。人間は土から離れては生きられないのである。
またAIが実用段階に入り、同時にその限界も見えてきたのも大きいだろう。
もちろん将来的にはAIの進化により特異点を超えてくることはありうるし、それの備えて思考を整えておく必要があるなあと『ゲンロン13』に掲載された東浩紀さんの論考を読んでいてぼけっと考えたのだ。
ビッグデータとかAIがあれば人間とかうものに頼らず、最大多数の最大幸福を実現するような統治が可能になるという思想にはどうしても危うさを感じてしまう。私は根っからのリベラリストであるから、自由で平等な主体が解消されていくことにはどうしもて違和感がある。
そういう違和感をルソーから解説してくれている。つまり『一般意志2.0』の続きである。
特殊意志の集合にすぎない全体意志と、一般意志がどうちがうのかとか、そもそも一般意志についてルソーは明示的に述べていないとか、あるいはよく知られているようにルソーがわりとめちゃくちゃな人だったとか。
この『一般意志2.0』の続編はまもなく『訂正可能性の哲学』という書籍として出版されるらしい。
楽しみですね。
東さんの書籍をおさらいしておかなくてはならないね。
ちなみに今みたら『一般意志2.0』がKindle unlimitedになってた。