『男性権力の神話』やっと読んだ
昨日、男性特権()の話をしてしまったのは、遅ればせながらこの必読書を読んだからである。
内容は、いかに男性が差別されているかを統計や実例から丁寧に綴っていくというものである。
ちなみに日本語版の推薦文はそれ以上いけない社会学者こと山田昌弘氏である。
本書で列挙される男性差別の事例のほとんどはTwitterのアンチフェミ界隈で見慣れたものだった。
ちょうど昨日も小山(凶)さんが男性差別について明晰な記事を書いておられた。
トイレの数の話は『男性権力の神話』にはさすがに出てこなかったが。。。
しかしここで驚くべきことは、本書の原著 ”The myth of male power"の出版は1993年という事実である。もう30年前じゃん、、、
ちなみに邦訳は2014年に出ている。本邦で男性差別の告発が盛んになり始めたのはちょうどその頃である。ちょっと遅すぎだよね、我が国。
そして邦訳は久米泰介という方だ。存じ上げなかったが、マスキュリニストを名乗り、男性差別をなくすよう発言しておられるようだ。
他の翻訳書はこれとか。
著作は主に翻訳書のようだ。
できたらこれ邦訳してほしいな。
『男性権力の神話』にもどろう。
だいたい知ってることばかりだったが、男女の寿命が20世紀初頭まではほぼ同じだったそうだ。分娩にともなう死亡だけでなく、小児の大きな死因であるコレラ、腸チフスなどの感染症では男女差がないといった要因が考えられるが確かなことはわからない。
工業化は男性を孤立させるので、女性ほど平均寿命が伸びなかったと著者は推測している。
結論部分では性差別を無くすための理念などが書いてあるが、しかし結局のところ解決なんてありはしない。
女性は子供を産めるという絶大なる能力をもっている。これはとんでもないことで、Erotic Capitalの源泉である。
人口子宮ができたところで事態はたいして変わるまい。ブレードランナーの世界のように、本物の羊と電気羊、人間とレプリに区別されるだけだ。
サピエンスのオスには人間を新たに創造する機能がない。だから危険な仕事につくとか、学問や芸術を突き詰めるといった狂気じみたことをしないと(遺伝子的な意味で)生き残れない。
もちろんリスクをとった個体すべてが遺伝子を残せるわけじゃない。
村上龍に言わせるまでもなく、すべての男は消耗品だったのだ。
村上龍は、オスには消耗品ゆえの強さがあるのだとも述べている。以前はピンときてなかったが、今はよくわかる。
いざとなれば、危険をかえりみないで戦えるし、命を投げ出せる。こうした消耗品になれる能力を、男性特権ということも男性差別ということも可能であるなあと考えるのだった。