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西部邁『死生論』を読んで。伝統を規定するのは未来である

西部邁の本を読んだ。

これを選んだ理由のひとつは、自分が死を意識する年齢になってしまったことである。

そしてもう一点。私は西部が自死を選んだ理由については理解していたが、側近に自殺幇助の罪(下手したら殺人罪までありえた)をかぶるリスクを負わせることはなかったのではないか、もっとましなやり方があったのではないかと思っていた。しかしよく考えれば、西部ほどの人物がそのリスクを熟慮していなかったはずがない。そして側近たちもそうだろう。彼らは全てわかったうえで決行したのではないか。だとすれば私はなにも理解していないということになる。

というわけで、本書を読み始めたわけである。出版は1994年、自死を決行する24年前である。

内容は、死を意識することでよりよく生きられるといったありふれたことから、死の恐怖とはなんであるか、それを克服するにはどうすべきかへと発展していく。読んでいて非常に面白かったが、西部がなぜあのような迷惑のかかる自死を選んだのかはわからずじまいだった。

以下、読んでいて思ったことなどをつらつらと。

死の恐怖とは、唐突に精神の活動が途絶することへの恐怖といって差し支えないであろう。人間と他の生物を分かつものがあるとすれば、この精神性にあるだろう。よって人間らしい死を迎えるためには精神によるセルフコントロールが利いているうちに死んでしまう必要がある。自死といってもよいし、意志的な死といってもよい。またこの意識があるゆえに、人間は他の生物とは比べ物にならないほど環境を搾取してきた。意識を失ってまで生きながらえるのは他の生物に申し訳なくはないかと西部は問う。まあそういうものなのかもとも思うし、同意しない人の気持もわからんではない。

西部は意志的な死を可能とするために、自殺のイメージトレーニングをし、家族とも話し合っていたようだ。

だが本書における西部は安楽死も拒絶している。絶対的断絶がもたらす苦痛の感覚はなくなりはしないのだと。安楽死となづけてなかったことにするのは、弱さではないかというのである。また尊厳死なるものがありうるとしら、

それは死の恐怖を克服して死を選び取るという精神作用にたいしてであって、死の安らかさそれ自体にたいしてではない

という。これもそういうものかなあと漠然と理解した。

避けがたくやってくる死を、主体的に選ぶ行為にこそ人間性が宿るという考え方もまあ理解できなくはない。

あるいはみな等しく死ぬという厳然たる事実が不平等が受け入れられてきたというのも興味部罹った。

不平等によってつらぬかれた社会が歴史として持続してきたのはなぜか。それは、「死における平等」というものがあったからではないのか。死を迎える恐怖は金持であろうが貧乏人であろうが同じである。

一部のお金持ちはこの平等さが耐え難いらしいというのは、そういうことを頓着しない病原体への狼狽ぶりからも伺えるであろう。

西部は保守主義者であったから、恐怖の克服を伝統に見出そうとする。自分の前の世代から引き継いだもの、それをもとに表現したものが、なにがしか未来に引き継がれるのであればそれでよいし、自らを伝統の乗り物とみなせば死ぬことにたいしても気楽になれるのではないかと。

伝統がそんなに大事かというと、やはり大事であろう。意識はかなりの部分が言葉によりもたらされるであろうし、こうした日々使用している言語は伝統そのものである。言語がある時期に、それ以前の時代から独立に存在しているわけはないからだ。

意識そのものが言葉という伝統から生まれているのであり、そしてその伝統は私の意識が途絶したあとも続いていくと信じることができたなら、死の恐怖が幾ばくか和らぐのを感ずる。

であるならば、伝統とは過去から受け継いだものではあるが、未来によっても規定されるといえる。未来がなければ伝統を残していくことはできないし、残せないならそれは過去の遺物でしかない。だから、もちろん死に急いではいけないのだが、未来を破壊してまで生き延びようとするのはIt's not my thingである。

遺伝子の乗り物であるだけでなく、伝統(当世風にいえばミームであろうか)の乗り物でもあると意識すること。それを可能とするためには未来に対して希望がなくてはならないのだ。


この本はだいぶ前に読み終えていたのだが、読書メモを作るのをなんとなくためらっていた。
しかし最近、登山中に仲間を助けて滑落死した方のことを人づてに聞いたのだ。その人は小さいお子さんがいたらしい。そしてベテランの登山者であったから、その情況で仲間を助けることがどういう結果を招くかよく理解していただろうということだ。その人はその決断のとき、どんなことを思ったのだろうか。

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はむっち@ケンブリッジ英検
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