波多野澄夫『幕僚たちの真珠湾』読書メモ

太平洋戦争の開戦過程について書いた本でいちばん読みやすく、説得力があるのが本書である。久しぶりに読んだのでメモを残しておく。

著者は防衛庁防衛研修所戦史部に勤務していたおり、旧軍の幕僚に接して、合理的で常識的市民であり、紳士であるという印象をもったという。そんな幕僚たちが非合理の極みともいえる太平洋戦争へ突進していったのか。

重慶政府との和平工作失敗、三国同盟から真珠湾攻撃に至るまで、淡々と書いてあるが、転機となるのは南部仏印進駐である。独ソ開戦と当初の独優勢との情報から、陸軍参謀本部と松岡外相はしきりに北進論を唱えるようになる。これを抑えるために、陸軍省や海軍は南進論を出すのである。政治工作の要素が強く、実行したときの外国の反応についてはあまり考慮されていなかったようだ。

ここで松岡はシンガポール攻略などと言い出して、海軍などはさらに南部仏印進駐を推さざるをえなくなる。いまの視点だとシンガポール攻略も南部仏印中も似たようなものだろうと思うが、仏印だけなら英米を刺激することはないと考えられていたっぽい。またシンガポール攻略したときにアメリカがどういう態度にでるかは、海軍は英米不可分、つまり英米両方と戦争をすることになると考えていた。あるいは対米戦争を名目に予算を獲得してきたという事情もあった。陸軍や松岡はおおむね英米可分であった模様。

参謀本部は北方問題の解決を真面目に検討していたが、南方作戦を軽視していたわけではなく、資源の確保という観点から重視していた。松岡の更迭、独ソ戦の膠着、対ソ戦についての季節的な期限切れを経て、南部仏印進駐が実行されてしまい、アメリカは全面禁輸、資産凍結という強硬な態度にでる。こうなると蘭印の石油地帯はなんとしても取りにいかなくてはならなくなる。対米開戦決意かと思われたが、近衛内閣総辞職、東条英機に大命降下し、開戦について再検討となる。

東郷茂徳外相、賀屋興宣蔵相を中心に、対米戦回避に向けて交渉案を練ることになるが、結局は参謀本部に押し切られ、ハルノートで戦争を決意せざるをえなくなる。

筆者はあとがきで、回避に向けて努力したと考えられる、陸軍省軍務局の武藤章と佐藤賢了が東京裁判で容疑をかけられたのに、開戦に向けて大きな役割を果たした田中新一作戦部長、服部卓四郎作戦課長らは起訴されていないことに疑問を投げかけている。なお参謀総長であった杉山元は終戦時に自決、参謀次長であった塚田攻は戦死している。また本書ではあまり触れられていないが、戦争回避に向けてぎりぎりまで粘った東郷外相もA級戦犯になっている。

武藤章は板垣征四郎や土肥原賢二と同じく満州事変のさいの行いの悪さがあるので仕方のないところであるが、参謀本部の幕僚らがおとがめなしというのはバランスが悪いように感じる。どうでもいいことだが、田中は戦後に下のようなふざけたタイトルの本を出している。内容は読んでいないので知らない。

戦後の行動において田中よりも論外なのはもちろん辻正信であるが、そこはあまり触れられていない。服部卓四郎は戦後GHQのもと日本再軍備の計画を練るが、現実離れしていたために警察予備隊や自衛隊創設にあたって採用されることはなかったという。最後まで現実をみることができなかった筆者は厳しいコメントをしている。

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