エドガー賞受賞作『真珠湾の冬』読んだ
今年は去年ほどは小説を読まないだろうと思っていたし、1月は一冊も読まなかった。でも今月は少しくらいは読んでみようと思ったのである。
アメリカ探偵作家クラブとかいう団体にエドガー賞を授与されたというミステリーを読んだのだ。
エドガー賞はエドガー・アラン・ポーから名前を取っているらしくて、『真珠湾の冬』もたしかに面白い作品であった。さすがハヤカワさんである。
物語は1941年11月26日、主人公である刑事が惨殺された若い男女の捜査にかかわるところから始まる。
11月26日といえば、いわゆるハル・ノートが東郷茂徳外相に手交された日であり、また連合艦隊機動部隊が真珠湾に向かって単冠湾を出港した日である。
そんな不穏な時期に主人公の捜査は、ウェイク島、ミッドウェー島、グアム、マニラ、香港と、太平洋を横断する歴史ロマンへと発展するので、そりゃ面白いわけである。
捜査の過程で主人公はいろいろなものを失っていくのだが、その失われたものに対する適切な距離感がかっこいい。ハードボイルドである。もちろん全てに対してクールに振る舞うわけではなく、最後まで未練を断ち切れず、執念を燃やし続ける事柄もあるのだけどね。
個人的に考えさせられたのは、途中で登場する日本の外交官高橋である。彼は東郷茂徳の部下という設定なので、日本の始めた戦争を憎んでいる。しかし外交官であるから、自分の信じていない大義のために働くほかなく苦悩する。
なんだかこの3年間の自分の立場とちょっと似ているなあと思ってしまったのだ。
ユダヤ人を殺せと上から命じられたらユダヤ人を殺すのが正しいのかもしれない。民間人居住地を爆撃せよと言われたらそうするのが現実的な生き方なのだろう。でもそれはおかしいのではないかと思う人はたくさんいたはずだし、多くの人々が苦悩してきたのだろう。
高橋もその娘と姪も、平和主義者でコスモポリタンである。ちょっと前の私なら出羽守と呼んで馬鹿にしていたであろう。
いわゆる宮中リベラルみたいなものであまり好きな人種ではなかった。
だが今は馬鹿にすることができない。素朴な排外主義、Xenophobiaをこの3年間たくさん見てしまったからだ。そういう人々が愚かな戦争を始めたのだし、愚かな防疫を実行し支持してきたのだ。
そのような二項対立をこんなミステリーで明確に意識させられるとは想定外なのであった。
些細なことで一つ印象に残ったのは、主人公の弟が幼い時にスペイン風邪で亡くなっていることである。
スペイン風邪で大量の人間が亡くなっているのだが、文学作品ではほとんど取り上げられないと上掲書で指摘されている。
本書でもさらっと弟がスペイン風邪で死んだとしか描かれていない。作者は祖父と大伯父の昔話を大いに参考にしたというから、彼らの近縁でスペイン風邪で亡くなった人がいたのだろうなあと想像したのであった。