摂食障害の始まりから終わりまで (第六話(最終章):社会への復帰)
みなさん、こんにちは。
このノートでは、私が人生で2度経験した摂食障害のことを、
徒然なるままに当日の日記としてつづっているものです。
初めてご覧になった方は、是非第一回からもご覧ください。
さて、前回は久しぶりに友人と再会し、
こんな私を優しいハグで受け入れてもらえた経験をお話しました。
今回は、そこから少しずつ変化した「自分の容姿に対する捉え方」の部分を書いていきます。
「体型」ではなく、「人」として受け入れられる体験
実は、久しぶりに再開したダンス友達の友人から、
「一緒にナンバー作らない?」と誘われました。
ナンバーというのは、振付師がいて、その振り付けを踊る生徒・仲間たちがいて、
大人数で一つのステージを作り上げるものです。
正直、ダンス自体は毎日練習していたので、
踊ることに抵抗はなかったけど、
「大人数」で、しかも、昔の痩せている私を知っている人もたくさんいる中で、
こんなデブになってしまった私が、
振付師として、面目ない。そう思っていました。
でも、友人は
「せっかくだからすみちゃんが好きなダンスやろう」
「一緒に踊ってくれる仲間も私の後輩や先輩で、みんないい子たちばっかりだから、安心して」
と。
正直不安すぎて、とても悩みましたが、
私が一番信頼している友人が言うんだから、
心を預けてやってみようと決心し、
実際にナンバーを作ることになりました。
集まってくれたダンスサークル時代の後輩や先輩の仲間たちは、
本当に暖かい人たちばかりで、
20kg以上も太ってしまったこんな私の容姿には、
誰も何も言わず、
みんな一生懸命私の考えた振り付けを覚えて練習してくれました。
とある先輩ダンサーからは、
「すみか、またちょっと見ない間に、ダンス進化してるね」
と言われ、
それがとても嬉しかった。
私はいつの間にか、
人の変化を「容姿」や「体型」、「肩書き」でしか評価できなくなってしまっていたけど、
その人は私の「ダンススキル」の変化を見てくれた。
そうか、みんながみんな、私のように、
「痩せてるか太ってるか」で、
人の価値を決めたりしていないんだな。
初めてそこで、
「太っていても生きる尊厳を失わない」体験をしたような気がして、
私にはとても新鮮で、とても心地よかった。
そして、ダンスのステージは大成功。
家族や友人も見に来てくれて、
久しぶりに照明を浴びてステージの上で
踊る瞬間は、とてつもなく気持ちの良いもので、
自分の容姿なんて、踊ってる最中は忘れてしまっていたように思います。
今でもあのステージから見た景色や、
ステージで一緒に踊る大切な友人の笑顔は、忘れられません。
3:11〜一緒に踊っているのが、私を救ってくれた友人。
二人で踊る時、私の方を見てくれているんですよね、私は自分のダンスで必死だったけど、。
こんなふうに人の優しさに触れて、少しずつ私は傷を癒していきました。
職場復帰
長らく休職をしていた私は、
いよいよ傷病手当の給付期間が切れてしまい、
復職をするかを考えるタイミングに。
まだ過食の症状は続いている中で、
このまま復帰をしても、また病気が悪化するのではないか。
そんな不安でたくさんでしたが、
そうも言ってられない、
生きていくためにはお金を稼がないと。
その思いで転職エージェントの窓を叩き、職探しを始めました。
いろんな事業会社やコンサルの会社がある中で、
自分の経験を活かしつつ、面白そうだなと思った会社に応募をしてみました。
2回の面接を経て、無事に合格。
私はまたコンサルタントとして働くことになりました。
初めての出社。
久しぶりの満員電車。
最初はとても不慣れな毎日でしたが、少しずつこの生活にも慣れていきました。
一人でいろんな山奥の施設に行ったり、
病院に行ったり、
過食が始まってからは家とジムを往復する日々から一転。
毎日決まった時間に起きて、
朝ごはんを食べて、
決まった時間の電車に乗り、
決まった時間にお昼を食べて、
会社の人とおしゃべりしたり会議をしたり、
クライアントのMTGに出向いたり。
決まった時間に帰って、
ご飯を食べてお風呂に入って寝る。
それは、自分が想像していたよりも心地が良いもので、
まるで、
社会から「おかえり」と言われているような感覚でした。
そして、新しく入社した会社では、
私の得意とするコンサルティングの領域でたくさんの挑戦をさせていただくことができて、
本当に感謝しています。
少しストレスが溜まると、
会社を飛びててコンビニに駆け込んで、
お菓子を過食してはまた職場に戻ると言うことも、
最初の1年ほどは続きましたが、
それも気づけばだんだんと回数が減っていき、
2年ほど勤めた会社を退職する頃には、
過食の症状も、なくなっていたのです。
「完璧に治ってから〇〇する」を手放す
今振り返ってみると、
傷病手当の支給期間が切れて、
強制的に社会復帰しないといけなくなったと言うこのある種の強制力が、
もしかすると私にとっては、良かったのかもしれないと思います。
私を含め、多くの摂食障害になる人は、
「完璧主義」の性格を持ち合わせている傾向にあるので、
どうしても100点じゃない自分は許せない、
100点じゃない人も許せない、
それでどんどんがんじがらめになっていくのです。
でも、
この傷病手当の支給期間が切れたことで、
「まだまだ完璧に治っていないけれど、新しいことにチャレンジしてみる」と言う体験を強制的にできたことで、
「完璧じゃなくてもできたこと」に焦点が当たるようになり、
その積み重ねが少しずつ自己肯定感となっていって、
結果的に病気を克服することにつながっていったのだなと思います。
結局、人間が人生の中で、自分の求める「100点」になることなんてない。
ましてや、
「人が求める100点」になることなんて、
もう不可能に近い話。
だから、そこに固執しすぎずに、
高い向上心を持ちながらも、100点になるまで「できない」レッテルを貼り続けるのではなく、
中途半端でも、
太ってても、
かっこ悪くてもいいから、
その時その時の、自分ができることを精一杯やって「できた」の体験を増やしていく生き方の方が、
心にも身体にもヘルシーだなって感じました。
私に命懸けでこんな大切な人生の教訓を教えてくれた摂食障害さん、ありがとう。
さて、この6回で私の摂食障害克服までのストーリーは終了となります。
ここまで読んでいただいた皆様、本当にありがとうございました。
いつか、どこかで、誰かが、この記事を読んで、
少しでも何かを感じてくれたら、
私は幸せです。
ありがとうございました。