ワークショップ第02回『オリエンテーション』【数学部】[20210510-0516]
初めまして!J LABにて数学部部長として活動しておりますHirotoと申します.
主にJ LABコミュニティに属していない方向けに,コミュニティ内で行われたワークショップの記録を伝えるため,この記事を書いています.
最初なので少しだけ私の身分を明かすことにしますと,私は現在東京大学理科一類に所属する2年生です.進学振り分けの都合でまだ専攻は決まっていませんが,理学部数学科に進学するために日々数学をしています.
上の通り現時点では専門的な数学の研究を行ってはいないため,数学的に至らない点は山ほどありますが,どうぞよろしくお願いいたします.
1. 今回のテーマ
記念すべき第一回数学部ワークショップでは,オリエンテーションとして「オイラーの等式 e^(iπ)+1=0」をテーマの中心に据え,コミュニティの皆さんと様々な議論を交わしました.
具体的な質問としては,以下の三つをこちらからはじめに投げかけました.
・オイラーの等式に関して「わかること」
・オイラーの等式に関して「わからないこと」
・オイラーの等式に関して「美しいと感じるか否か,またその理由」
以下,話題別にコミュニティメンバーの発言を切り取って引用し,そこから今回のオリエンテーションでの私の主張へとつなげたいと思います.
※以下,個人の発言の一部分を切り取ったような引用の仕方をいたします.恣意的な情報量の削ぎ落としが行われていることに留意してお読みください.(文章の改変は行っておりません.あくまでも前後の文脈を切り取っているという趣旨です.)
2. ワークショップのログ
2.1. 数学的理解 〜わかることとわからないこと〜
2.1.1. e(ネイピア数)
さかぼう ver.抹茶
(a^x)' = a^xとなるようなa. かけ算を楽して表記したいと思っていたらいつの間にか出てきた.
Shun
eは,オイラーが対数関数y=log_a(x)の導関数を求めるときに出てくる煩雑な部分が1になるように定義した.
「微分を考えるときにうまくいくような定数」としてのeの側面を切り取っています.詳しく言えば,(1+1/x)^xのx→∞での極限(実数としてxは動かす)と言えるでしょう.
イヤープラグさざなみ
eは自然対数の底と呼ばれる。ネイピア数とも呼ばれるけど、実は最終的に発見(?)したのはオイラーだと聞いたことがあるようなないような。高校の数学Ⅲの授業で初めて紹介された。金融業界で利率の計算をしているときに発見されたらしい。値は2.71828…と無限に続く。
こちらは「利率の極限」としてのeの側面を切り取っています.詳しく言えば,(1+1/n)^nのn→∞での極限(自然数としてnは動かす)と言えるでしょう.
上の二通りの定義は,似てるようで少し毛色が異なります.
Takuma Kogawa
eは自然対数の底(本題からそれますが、定義がたくさんあるのが気になります。どれがベーシックなのか?)
Takuma Kogawa氏が指摘してくださったように,eには様々な同値な定義の仕方が考えられます.
・(1+1/x)^xのx→∞での極限
・(1+1/n)^nのn→∞での極限
・1+1+1/2+1/3!+1/4!+・・・といった級数の値
これらの中でどれを定義として採用するかは,数学書などを執筆するときは重要ですが,学習者としてはさほど重要ではありません.それよりも重要なのは,(難易度や前提知識にあまり差のない定義たちに関しては)多様な定義の同値性を理解し,その全ての定義の視点を平等に持ち合わせていることです.どの定義から出発してもいいようにしておくということですね.
2.1.2. i(虚数単位)
マッキー
複素数は全く馴染みがないんですよね。学問とは外れた“使う”という面での話ですがIはミステリアスですねー
「複素数を使う場面が日常でない!」という声はよく聞きます.その通りだと思いますし,それが実数と複素数の間を隔てている本質的な壁なのかなとも思います.形式上は実数も十分非自明な対象なのですが,それを意識しないで操作できるのはひとえに「数直線の実在感」によるものだということをひしひしと感じます.
さかぼう ver.抹茶
i^2 = -1となるやつ.
谷本
2乗すると-1になるやつ
代数的な定義です.高校ではこやつの存在を仮定して,複素数体についての演算や利便性を議論しました.個人的には,R^2に積を入れることなどによる"複素数体の手作り体験実習"を高校でも扱ってほしいなぁと思っています.複素数体の存在を所与のものとして受け入れようとするからこそ,「iの存在が理解できない!」などという感想が生まれるのだと感じています.
さかぼう ver.抹茶
かけ算が回転になる.ぐるぐる.
イヤープラグさざなみ
数学Ⅲで複素平面を習ったとき、iをかけることは、複素平面上で大きさを変えずに偏角をπ/2プラスする操作に相当した。
幾何,解析的な一大側面である「回転」です.
「回転を論じる」とは「角度を論じる」ことであり,「角度を論じる」とは解析的には「三角関数を論じる」ことであります.では三角関数とはどのように定義されるのか....πについて見ていきましょう.
2.1.3. π(円周率)
谷本
円周/直径
Shun
円周率
さかぼう ver.抹茶
円周を内側と外側から正多角形で囲んで,角を増やすとこれに近づくらしい. 円周率を初めて習ったときは,現実の図形を測定することで円周率が出てくるようには思えず,円周率=円周/直径という定義に馴染めなかったので,この求め方を知ったときは割と感動した気がします.
イヤープラグさざなみ
円の直径と円周の長さの比である。数学Ⅲで弧度法が導入された。
Takuma Kogawa
πは円周率(全然関係ないですが、小学校では円の面積を半径×半径×円周率と習いますが、なぜこのような式になるのか教えられた記憶がありません。高校以降ではケーキ状のパーツに切って並べて極限を考えたり積分したりといった方法がありますが…)
πとは円周率,つまり「円周の長さ/直径の長さ」である.なるほど確かに,上のeとiに比べれば私たちに身近な定数と言えます.弧度法も円周の長さから定義される概念として高校では扱われています.
それでは,「円周の長さ」とはどのように計量するのでしょうか.現実の測量の話ではありません.R^2(俗にいうxy平面)での話です.計量線型空間としてのR^2では二点間の距離(長さ)しか定義されていません.一般に「曲線の長さ」とは少し面倒な概念です.他にπを定義する道はないのでしょうか.
あります.三角関数を級数として,角度に依存しない形で定義し,cosの値が0になるような最小の正の点の2倍としてπを定めれば良いのです.どちらにせよ,「級数の議論」か「積分の議論」は避けられません.一番簡単だと思われがちなπが,思った以上に面倒なブツであることが感じ取っていただけたかと思います.
いんげん侍
恥ずかしながら円周率の定義すら怪しいです
上の議論を概観すると,大学以降の数学に触れていない人からすれば円周率の定義が怪しいのはむしろ当然とも言えるかもしれません.
2.1.4. 0と1と+と=
0に関しての回答
さかぼう ver.抹茶
1の前.
Shun
加法の単位元
1に関しての回答
さかぼう ver.抹茶
0の次.
Shun
乗法の単位元
+と=に関しての回答・・・なし
これらに関する回答が非常に少なかったことは,想定どおりでした.中心テーマを「1+1=2」にしていれば嫌でも触れざるを得ないため,1にも+にも=にも触れてくださったのだろうと思うのですが,今回のようにeやらiやらインパクトの強いものたちに紛れると途端に存在感を消すのだなぁとしみじみと感じました.
2.1.5. 指数関数(複素関数として)
わからないこととして以下のような意見が出ました.
せきとprime
l乗の計算
さかぼう ver.抹茶
指数にiを持ってくるという発想がよくわからないです.
なにかしらのいい感じの関数があったのでとりあえず代入してみようと思いつく以外には,-1をなにかして分解した結果iが出てくるか, 対数の関係を指数の式に書き下して導出するのかなと思いました.
イヤープラグさざなみ
i乗というものがわからない。π乗もわからない。i乗に関してはどういう操作を表しているのかがわからないし、どうしてそうしようと思ったのか、そのモチベーションもわからない。(自然な(?)流れで出てきたものなのかもしれない。ごめんなさい、ほとんど何も知りません。)
Shun
i乗とπ乗.初めてこの等式を見たとき虚数乗と無理数乗に面食らったが,数学では概念を拡張するよくあることなのでその後深く考えなかった.
eの肩に乗っているものに面食らっている方が多かった印象です.
i乗に面食らうのは想定内だったのですが,π乗にも面食らっていただいた人がおり,私としてはとても嬉しく思いました.後でも述べる通り,このワークショップの隠された目的の一つとして,「実数のやばさに気づく」という目的を設定していました.そのやばさの片鱗をしっかりと感じ取っていただいた人がおり,非常に喜ばしさを感じました.
その一方でこんな回答をしてくださった方もおりました.
蜆一朗
高校数学では, 指数法則を成り立たせるようにうまくべきを定義したうえで, 指数の概念を自然数から有理数まで拡張します. さらに教科書では, 無理数に対するべきを「その無理数を近似する有理数をべきに持つ数の極限」として定義しています (たとえば √2 ≒ 1.414… なら 2^{√2} は 2^1, 2^{1.4}, 2^{1.41}, 2^{1.414}, … という数列の極限として定める). こうして実数全体の上に指数関数が定義されます. また, 複素指数関数は, e^z = Σ_{n=1} ^{∞} z^n/ n! という複素数 z の無限級数として定義されます. これは, 実数の関数 e^x のマクローリン展開 e^x = Σ_{n=1}^{∞} x^n/ n! を拡張したものと見ることができます. そして, 三角関数 cosz, sinz を複素指数関数 e^{iz} の実部, 虚部としてそれぞれ定義します.
私の言うべきことを全て言ってくださいました笑.
「初等関数の複素関数への拡張」というのもテーマのうちの一つだったのですが,それを完璧に解説してくださいました.ワークショップには本当に多様な人々がおり,いい刺激になりました.
2.1.6. その他一般的なこと
わかることとして以下のようなことを挙げてくださいました.
せきとprime
この式はオイラーが考えだしたものであること。
幾何、代数、解析の三つのそれぞれ独立した分野が集約した式だということ。
GZ
オイラーの公式は、指数関数・三角関数のマクローリン展開(x=0 周りでのテイラー展開)を利用することで導出可能
詳細まではわからなくともなんとなく雰囲気が掴めている方が多く,オイラーの等式の知名度を再確認しました.
Shun
(授業の練習問題で形式的ではあるが)オイラーの公式はf(θ)=cosθ+isinθの両辺をθで微分して右辺をiで括ると変数分離形の微分方程式df/dθ=ifが得られ,これを解くことで導出したことがある.
制御工学の授業で,ラプラス変換をするときにこの公式を使って三角関数を指数関数に書き換えると積分計算を楽できることを学習した.
ていりふびに
オイラーの公式にπを代入して得られる式だと理解しています。オイラーの公式自体は統計学では特性関数 (φ_X(t))、僕の専攻だとスペクトル密度関数(f(λ))などででてきます。ただ複素関数や複素積分などを詳しく理解していなくても計算だけなら高校でならうような積分の延長でできる範囲も多いので勉強にはそこまで困りませんでした。例えば、特性関数に関して言えば積率母関数(実数関数)の変数部分を形式的に it に書き換えるという簡便法がとられることがあります(この部分の証明には複素積分の知識がいりますが...)。実際多くの統計の教科書ではガウス積分の箇所を除くと複素積分に触れられていません。
マッキー
実は不動産の分野ではeもΠもよく使うんです。賃料算定の基礎モデルは大体自然対数を変数に置きますし、測量では言わずもがなΠは大活躍です。
様々な分野からの知見を紹介してくださいました.クドイですが,本当にジェイラボコミュニティは幅が広いですね.
翻って,わからないこととして以下のことを挙げてくださいました.
Yujin Yonehara
その等式が発見された歴史的な流れと、定義なのか定理なのか…のような細かい言葉
蜆一朗
学部 3 回生の頃に理学部生向け (総合人間学部配当の講義は教職の講義とバッティングしたためこっちにしました) に開講されていた「関数論」の講義を取ったとき, 上に長々と書いたことを教えてもらいました. 数学科の人とそれ以外の学科の人で, オイラーの公式に対する価値観や扱われ方は大きく違うと思いますので, 工学系の学部でどのような扱われ方をしているのかは気になります.
yuuma
どういう経緯で発見されたのか
せきとprime
オイラーが何故この式を考えだしたのか
Takuma Kogawa
等式ではなくオイラーの公式そのものがどのように発見(開発?)され、どのように応用されているのかもわかりません。少し話題になっているi^iについては、学部教養の物理でそれを求めさせる宿題が出たように記憶しています。たぶん電磁気あたりだったと思いますが、よく思い出せませんし、i^iそのものにどのような意味があるのかもわかりません。
歴史的な経緯や,特殊な状況下での運用方法に関して興味を抱いている方が多かった印象です.
私はあまり数学史的なことに明るくないのですが,教養としての数学史の重要性を感じました.
2.1.7. 所長のご意見
にしむらもとい
・わかるもの
定義から大きく離れないこの程度までの基礎的な議論は、与えられたものを追って言語的に理解することはできます。でも、それ以上高度な数学的道具立てを念入りに準備して深入りするモチベーションは持てないままここまできたのも事実です。高度な数学が社会に寄与していることは理解しています。
・わからないもの
歴史的背景から数学教育が行なわれないことが僕にはよくわかりません。また、実際問題そこに興味を持つ人もほとんどいないことも僕にはよくわかりません。何の因果か僕も高校生に数学の入試問題の解き方なんてものを教えたりしていますが、加工食品をベースにした電子レンジ料理教室を開いているような気持ち悪さがずっとあります。とりあえず操作を覚えるところから始めた方が効率がいいことは理解はしています。
数学教育と数学史について触れてくださっています.これからのワークショップではできるだけ数学史的側面にも触れるようにしたいと考えています.そのためにも私が数学史に触れなければ...
2.2. 美しさとは
美しさに関しては,非常に多様な意見が出ました.
さかぼう ver.抹茶
個人的には数式の美しさというのがよくわかりません.
どんな定理・公式がありえるか,というのは,数学をはじめるときのルールを設定した段階ですべて決まってしまうように思います.可能な定理が多すぎるので,その中から人間に対する認知負荷あたりの情報量が大きいことが好ましいと感じると理解しています.
谷本
僕はこの等式を見て美しさを感じません。が、、オイラーの等式が十分にわかっていない僕からしたら、この質問は、たとえば読めない異国語の詩を見せられて美しいか美しくないか聞かれているようなものですね。気が向いたら精進します。…とは言ったものの、僕は数学に美しさが存在することを疑っています。
イヤープラグさざなみ
美しいというのは、異なる分野のオールスターが集結した時の感動のようなものを指しているのかなあ。少なくとも私はそれを感じられる境地からは程遠いです。
GZ
初見ではなんとなく直感的にですが、綺麗だなという感はありました。等式にまつわる話を聞くたびにこの式を数学的に美しく感じるようになりました。ですがこれはおそらく単純接触効果に近いものである可能性が高いと自分は考えています笑 なぜならπ^ieでもi^πeでも自分にとっては大した問題ではないと感じてしまうためです。これは自分がこの式に数学的な魅力を感じているというよりは、この数式にオイラーの情熱と才能を感じ取っているからだと思われます。....それか単純に深層心理の数学の苦手意識の表れかも
ていりふびに
自分は特定の数式に対して美しい等の感情を持ったことはないと思います。高校生の時も1+2+3+4+…=-1/12のような一見不思議な式を見てもまあそういう風になる理論があるんだろうなぐらいの感覚だったと思います。ただ自分が非連続な発想で解いた問題には思い入れはあります。ここでいう非連続とは教科書や参考書に乗っている公式、考えをベースにしたパターンを使わないということです。結果的に後で調べたらパターンに落とし込まれていたりはしましたが自分で思いついた解法には愛着があります。まあこれは数式に限らずただの思い出のような気がしますが...w。
美しくないという意見が多数でした.未知のものに対して,神秘的な美しさを覚えることもあれば,それすらも感じず無の境地に至ることもあると思うのですが,後者の方が多かったようです.
バックれMk-II
美しいか美しくないかと言われたら美しいかもしれない…文字が少なくて簡素だから美しいんですか?(お願いだから嫌いにならないでください)
せきとprime
初見ではなんとなく直感的にですが、綺麗だなという感はありました。等式にまつわる話を聞くたびにこの式を数学的に美しく感じるようになりました。ですがこれはおそらく単純接触効果に近いものである可能性が高いと自分は考えています笑 なぜならπ^ieでもi^πeでも自分にとっては大した問題ではないと感じてしまうためです。これは自分がこの式に数学的な魅力を感じているというよりは、この数式にオイラーの情熱と才能を感じ取っているからだと思われます。....それか単純に深層心理の数学の苦手意識の表れかも
Shun
解析学,幾何学,代数学というそれぞれ別の分野で定義されたものがシンプルな式で纏まっていることに美しさがあるのだと思う.ただ,オイラーの等式に触れている本や人がこぞって美しいと語っているのでその影響で自分自身が美しさを見出しているだけであるとも思う.数式が美しいという感覚は正直よくわからない .数学科に進学する方は数式を美しいと感じる人が多いという勝手なイメージがあるので,工学等の応用ではなく純粋に数学を学んでいる方に数式の美しさについて教えてくれる機会があればなと思う.物理学者は対称性に美しさを見出して数式を作っている,と素粒子標準模型のドキュメンタリーで聞いたことがある.
Takuma Kogawa
美術館で絵画をみて「よくわからないけどきれい」と思うレベルであれば、この等式も美しいと感じると言えなくもないですが、率直にいえばなんとも思いません。一口に美しいといっても、それを思った人の持つ文化的、学術的知識や背景によって意味合いが変わると思います。
マッキー
なんとなく綺麗な気はします。英語たくさん使ってるからでしょうか。経済学では全然別のオイラー方程式という式が出てくるのですがそちらは全然美しくないです。
どちらかといえば美しさを感じている方たちの意見ですが,手放しで美しいと述べている人は少なかったです.真摯に向き合えば向き合うほど「何が美しいんだ?」となってくる,そんな気質の式なのだと思います.
蜆一朗
今までの世界で成り立っていたことはそのまま成り立つようにしながら, さらに適応できる範囲を広げることに成功した「理論」に対しては「うまくできているな」「きれいに整備されているな」という感覚を覚えることはありますが, 公式や定理をそれ単体で見てもきれいだとか美しいとかいう感覚にはなりません.
ていりふびに
自分は特定の数式に対して美しい等の感情を持ったことはないと思います。高校生の時も1+2+3+4+…=-1/12のような一見不思議な式を見てもまあそういう風になる理論があるんだろうなぐらいの感覚だったと思います。ただ自分が非連続な発想で解いた問題には思い入れはあります。ここでいう非連続とは教科書や参考書に乗っている公式、考えをベースにしたパターンを使わないということです。結果的に後で調べたらパターンに落とし込まれていたりはしましたが自分で思いついた解法には愛着があります。まあこれは数式に限らずただの思い出のような気がしますが...w。
専門的な数学をしてきた方々の意見です.数学との「適度な距離感」を感じました.僕は専門的な数学をしているわけではありませんが,この式に抱く感想としてはお二人の意見に似通っていると感じます.詳細は最後の章にて述べます.
野澤
歯科領域にも数学的なものではありませんが、数値を意識しなければならない場合が時々あります。
上顎前歯部:中切歯(真ん中の歯) 側切歯(2番目の歯) 犬歯(3番目の歯) における治療で、黄金比を利用する場合です。
上記3本の歯牙の幅の比率が1.618:1.0:0.618 が理想的とされています.
黄金比の記載は名前は忘れましたが、たしか数学者の著作だと学生時代教わった記憶があります.比率は人種によって多少違いますが、シンメトリーに黄金比に沿って排列している歯牙は美しく見えます。新潟のような田舎でも時々審美領域にこだわりのある患者さんがいまして黄金比を参考にしています。
趣旨と違う話になりました。お許しください。
自らの専門的知見に絡めて議論してくださいました.「黄金比」が歯科領域で実用化されていることに驚きました.「黄金比」「フィボナッチ数列」もオイラーの等式に匹敵するレベルの知名度を誇っているため,これからのワークショップで扱うのもアリかもしれません.
コバ
・自分が分かるもの
・自分が分からないもの
すいません、私に分かるものはほとんどありません。。。
なので、私は「数式の美しさ」について哲学してみたいと思います。
「数式の美しさ」を哲学するためには、まず「数式」と「美しい」という言葉を定義しないといけませんね。
・まず「美しい」とは何でしょうか?
一般的に美しいという言葉は、視覚的な対象に対して使いますね。
女性に対して、美しい。夕日を見て、美しいetc.
上記の用法は、私も日常使いますし私自身、こういった対象に対して実際に美しいと感じます。
美しいという言葉を抽象的な事柄に使った場合はどうでしょう。
美しい友情。
この場合の美しいという用法に対しても私は違和感は特に無いです。
なので、美しいという言葉は、具体的な対象に対しても、抽象的な対象に対しても用いることができると言えます。
定義としては、「よいこと。りっぱなこと」つまりプラスな感情であることや、「見るもの、知る者に対して知覚・感覚・情感を刺激して内的快感をひきおこすもの」と定義できると思います。
・数式
「数式は言葉です。 計算じゃない」という有名な言葉がありますが、数式も言語と言えますね。
それに対して、日本語、英語等は自然言語ですね。
言語、それ自体は抽象的なモノで、この世界に実体はありませんが「美しい」という言葉は、抽象的な事柄に対しても使えるので、「数式が美しい」という言葉自体は成立します。
では、私はこのオイラーの等式に対して、「美しい」と感じるかというと、残念ながら感じません。。。
数式に対して美しいと感じたことは無いですし、もっと言うと哲学書、小説等の中の文章に対しても、その文章、それ自体を美しいと思ったことは無いです。(この文章はすごい!等は感じたことはありますが)
メロスとセリヌンティウスの友情を美しいと感じられる私ですが、数式、文章それ自体に対しては美しいという感情は想起しないということですね。
それに対して、他者はどうか?というのは私にとっては語りえぬモノになってしまいますが。
哲学部部長コバさんが哲学をしてくださいました.私が興味を持ったのは,以下の部分です.
言語、それ自体は抽象的なモノで、この世界に実体はありませんが「美しい」という言葉は、抽象的な事柄に対しても使えるので、「数式が美しい」という言葉自体は成立します。
抽象的なものに対して「美しい」という言葉を使うことは正当である,とコバさんは述べてくださいました.
それに対して所長のご意見は以下のようでした.
にしむらもとい
上述した内容と少しかぶりますが、世界一美しいと言われるこの数式の美しさを解説した文章やお話には僕も結構触れましたが、一般レベルでは操作的解説に終始しているものがほとんどな気がします。たまに情報の圧縮性のような視点を持つものがあるかなというくらいで、この問いの根本である「美しさ」という概念と厳密に照らし合わせている数学者の解説をあまり聞いたことがありません(僕の勉強不足でいらっしゃったらすいません)。なので、数学者はある種の厳密厨ではありますが、それも数学の世界限定なのかなと感じています。美しさというのは、原理的には感覚器由来の「感覚できる実在物」に対応する概念のはずなので、「感覚できる」実在の対応物を持たない数式のような純粋な情報に美しさなんてものは当然対応しないはずですが、一種のアナロジーとしてそこに美しさを感じる人がいるのも事実なようです。数式に真なる美しさがあるとしたら、式そのものの「見栄え」という話にしかならないはずですが、たぶん数式に美しさを感じている人の感覚はそれとも違いますね。おそらく、数式に美しさを感じる人は、そもそも数式や数学というもの自体に大きな「実在」を感じているのだと思います。実在、存在とは何か。それは、言ってしまえば、単なる「慣れ」でしょうから、長く数学に触れていればそこに実在を感じるのは当然なのでしょうね。……なんてことを真面目に書いてみましたが、ここで言う「美しさ」がアナロジーであることは明らかなので無粋な説明でした。プログラマーも「美しい」コードなんて表現使ったりしますしね。ただ、「世界一美しい」まで言われてるので、単に情報が「整理されている」以上のものはあるのでしょう。身も蓋もない表現をするなら、ここで言う「美しさ」はミステリーなんかで全ての伏線を回収しきったにも関わらず極めてシンプルなオチに出会った時の「感動」とほぼ同一な気がしています。数式が人工言語であることを鑑みても、計算された「オチの美しさ」という表現と同一ではなかろうかと僕には感じられます。数学的自然という外部世界に「まるで計算されたかのようなシンプルなオチ(神様)が見つかった!」という感動。問題は、数学的自然が果たして外部なのかというところですね。僕が数学に熱狂できない理由でもあります。
美しさとは,原理的に「感覚器を通して入ってきた実在物」に対して使われる概念である.数学に美しさを感じる人は数式に対する「実在感」を感じる能力が抜きん出ているのである.そして,それを養うには「慣れ」しかない.
といった内容を上の中で所長は主張しています.コバさんも所長も一見異なる主張のように見えて,「実在感」に注目している点では同じことを主張しているのかもしれません.
3. 今回のワークショップのねらい
Hiroto
今回のWSのテーマ(数学的内容)は以下の5つです。
・自分の理解と向き合う。ここまではわかっていて、ここからわからないという線引きを明確にする。当たり前なことと向き合うという視点で言うならば、+と=にももっと疑いと好奇心を向けてあげてほしかった、、!
・自分の理解をアウトプットする。アウトプットする中で実はわかっていなかったことに気づくことも多い。
・初等関数を複素関数に拡張する際は、級数の形(テイラー展開の形)を定義として採用するのが手っ取り早いことを感じ取る。
・複素数に恐れおののくのと同じように、実数にも恐れおののくべき場面はたくさんある。今回の例ではi乗と同じように、π乗に関しても少し丁寧に考え直さなければならない。
・定義の仕方が多様である数学的対象はたくさんある。今回であれば、eの定義は何個かあり、それらは全てどこから出発しても変わらない。どの定義から始めるのかも重要だが、同値な定義全てを同時に対等に意識することも重要。
オイラーの等式は、皆さんの意見にもあった通り、色んな所で発生した定数が大集合している等式なので、これからのWSのテーマに繋げやすいということで今回のメインテーマに採用させていただきました。
ログの紹介の中でもポロポロと述べていましたが,今回のワークショップでの数学的狙いは以上の五つでした.中には,皆さんと意見を交わしているうちに膨らませていったものもあります.これからのワークショップは多少専門的な知識を含むため,双方向性が多少失われるかもしれませんが,ゼロにするべきではないな,と今回のワークショップで感じました.
「初等関数の複素関数への拡張」や「複素数の手作り実習」などは,これからのワークショップにて深掘りする予定です.
美しさに関して,僕の意見は以下です.
Hiroto
私は数学の研究者でもなければ、数学を美の対象として消費する鑑賞者でもありません。そこで、数学の研究者として第一線で活躍されている加藤文元氏(IUT理論の解説本を書いた人)の著書「数学する精神 正しさの創造、美しさの発見」によって語られる加藤氏の考える数学の美しさについて、以下参考程度に要約させて頂き、そこから今回のWSと繋げて語りたいと思います。
加藤氏の考える数学の美しさは以下に類別されます。
○研究者として感じる美しさ
・整合的であること
○鑑賞者として感じる美しさ
・シンプルであること
・普遍的であること
・背景に奥深さを感じさせること
・意外であること
○数学独自の美しさ
・実在感を感じさせること
・「流れ」を感じさせること(論理の時間的な流れのこと)
また、加藤氏はオイラーの等式に関して以下のように語っています。
「いわゆる「オイラーの公式」は、その驚異的な外観のシンプルさに加えて、目をみはるほどの意外性も持っている。のみならず、それはどこまでも人の心を捕らえて離さない奥深さをも感じさせる。(中略) たとえ指数函数のテイラー展開からこの等式が「証明」されてしまっても「なるほど、それだけのことか」といった感想で終わることは決してなく、どこまでも神秘的な印象を与え続ける。」
ここまで、参考程度に加藤氏の意見を要約させていただきました。ここからは私の意見です。
中学生の頃の私は無知でした。eもiも知りませんし、指数関数も知りません。そんな私がオイラーの等式に抱いた美の感情は、上の加藤氏の類別で言えば、「シンプルであること」「背景に奥深さを感じさせること」に当てはまると言えます。といっても、背景に奥深さを感じさせるのは単に私が無知だからであり、哲学の本を持ち歩くことをオシャレだと思う感情と何ら変わらない程度の感情であったと言えます。
高校生の頃の私は中途半端に無知、かつドライでした。eもiも知り、実数に対する指数関数は操作として理解できている状態でした。ちょっと背伸びをしてネットの記事などを漁るうちに、オイラーの等式の"妥当性"を納得できる程度の知識はついた私は、ナナメな視点の高二病と相まって、「そうなるように定義を決めただけやん、作為的作為的、アホくさ」に近い感情を抱いていたように思います。
大学生の私は相変わらず無知でした。しかしそれは、高校生の頃から知識量と演繹力が変わっていないという意味ではなく、1を知ると10分からないことが増えるといった意味で私はまだまだ数学に対して「無知」ということであり、高校生の頃に比べれば、遥かにオイラーの等式の「土台」をじっくり眺める胆力、稚拙ながらそれを手作りできる程度の力を手に入れていました。そんな今、私がオイラーの等式に抱く感情は、上の類別で言えば「整合的であること」「普遍的であること」「実在感を感じさせること」に該当するといえそうです。何が整合的で普遍的であり、実在感を感じさせるのか。端的に言えば「指数関数の複素関数への拡張」に私は美しさの核を見いだしています。普通に今まで扱ってきた自然数乗、整数乗、有理数乗の拡張の果て、「指数法則と連続性を保つように定義された」指数関数と、「私たちの直観的な単位円による理解に合致するよう定義された三角関数」の調和。拡張は全く自由になされるのではなく、「今までの性質を保つという縛り」があります。その縛りをじっくりと眺める力がついたことによって、高校生のころ抱いていた「そうなるように定義したんでしょ」といったドライな感情は消え果てました。もちろん、形式上の字面では級数で定義しただけなので「そうなるように定義した」ように見えるのですが、普段具体的・直観的に実生活で用いている指数関数や三角関数と合致しているという裏の意味を、自然界で生きる私たちは感じ取ることができます。そういった具体性に縛られた「手作りの人間味」こそが、私がオイラーの等式に抱く美しさの感情に1番近いです。
結論として、自然との均衡の中で人間が手を加えて作り出した産物の例として、私はオイラーの等式を美しいと感じています。
中学生のころは単なる「未知への神秘性」(大事ですが)。高校生のころは「自然との均衡(実生活での指数関数や三角関数の性質)を保ちながら数学的に拡張したという視点の欠如」。美しさについて振り返ることはすなわち数学との向き合い方を振り返ることそのものだったことを今回のWSを通して痛感しました。
何度も主張しますが、美しさを論じることは必然的に「自分」という因子を含みます。よって、今回のオイラーの等式の美しさに関する問いは「自分固有の」数学との向き合い方を浮き彫りにするという意図で発問させていただきました。一般論ではない皆さんの極めて個人的で主観的な解答は非常に面白く、自分の数学との向き合い方を相対化する良い機会となりました。皆さんにとっても、数学との接し方を再確認する機会になったとしたならば、私は嬉しいです。
要点は以下の二つです.
・自然との均衡の中で人間が手を加えて作り出した産物の例として、私はオイラーの等式を美しいと感じている.
・今回のオイラーの等式の美しさに関する問いは「自分固有の」数学との向き合い方を浮き彫りにするという意図で発問した.
数学について真摯に向き合えば向き合うほど,「美しさ」などというものについて語ることを避けるような風潮があります.私も好き好んで「美しさ」について語ったりはしませんが,今回は確固たる意志のもとで勇気を出して真正面からぶつかってみることにしました.
「美しさ」を言語化するのは野暮かもしれません.ですが,「美しさ」が各人固有のバイアスがかかった主観的な概念であるからこそ浮き彫りになる,それぞれの「数学との向き合い方」があると思います.
わかることとわからないことを分別し,自分固有の数学との向き合い方を内観すること.
これからの数学部ワークショップはこれを標語にして進めていきたいと思います.
4. おわりに
いかがだったでしょうか.この記事を読んで少しでもワークショップに興味を抱いていただけたでしょうか.
J LABには皆さんの好奇心をくすぐる題材が数学以外にもたくさんあります.
皆さんと心ゆくまで語り合える日が訪れんことを.