"カレーは熱々に限る"のか
カレーを愛する皆さま、ボチボチでんなぁという皆さま、こんにちは。今日もカレー、食べてますか。
カレーと関係を持ったことのある皆さまは、各々が各々“カレーへのこだわり”をお持ちなのではないでしょうか。
よく耳にする“こだわり”として、
「カレーは熱々に限る」
というのがあります。
熱々でないカレーはカレーにあらず。火傷しそうな温度のカレーとライスをハフハフ言いながら味わう興奮、確かになんだかいい感じがします。
そもそも日本人、熱いものを熱いうちに食う、ということへの執着が半端ではありません。
今日はこのテーマは真であるのか、証明をして参りたいと思います。
まず、「カレーは熱々に限る」を言い換え、
「熱々でなければ、カレーではない」
という命題を設定します。
数学において、「〜でなければ、〜ない」という表現は証明しづらいので、対偶の「カレーであるならば、熱々である」について、証明していきます。
https://juken-mikata.net/how-to/mathematics/meidai.html
対偶が真であるならば、もとの命題もまた真であるという、いわゆる“対偶法”を使います。
今回の命題を図示すると、つまりはこういうことになります。
まず、“カレー”に関しての定義ですが、『広辞苑 第六版(岩波書店)』による定義は以下の通りです。
粉体で熱々、という状態はなかなか再現しづらいので、ここでの“カレー”は、①の「カレー粉」ではなく②または③に近いものであると言えるでしょう。
以上から、“カレー”の定義は「スパイス類を用いて作った主にソース状の料理、またその料理と共に食す米飯などの主食を含む食事」であるとします。
次に、“熱々”について定義します。
(『広辞苑 第六版(岩波書店)』)
ここでの“熱々”は、“カレー”という物体を対象にその状態を表すものですから、単純に①が当てはまると考えられます。
カレーなどの水分を多く含む食材を熱する際、到達できる最高温度は100℃程度です。
以上から、ここでの“熱々”を「約100℃」と定義します。
以上を踏まえて、「カレーであるならば、熱々である」に対して条件を満たす例を挙げてみます。
“熱々”という状態を感知するのは我々の舌及び口腔内の粘膜ですので、ソース状のカレー部分と米飯などの主食部分がそれぞれ単独、もしくは同時に口腔内に到達した時点の温度が“熱々”であるかどうかが判定基準となります。
「できたての欧風カレー」
ルゥ部分、ライス部分が共に沸点近くの温度である場合、これは条件を満たす例と言えます。
では、「カレーであるならば、熱々である」に対して条件を満たさない反例はあるでしょうか?
「ネパール料理のダルバート」
“ダルバート”は、ダル(daal=豆スープ)とバート(bhaat=米飯)の合成語であり、それにスパイスで味付けされた野菜などのおかず、漬物などがセットになった食事のことです。
カレーのような、スパイスを多く用いた肉類の煮込み料理が一緒に供されることが多く、米飯、ダル、おかずや煮込み料理をよく混ぜ合わせた状態で口に運ぶのがベストな食べ方とされています。
ここで注意したいのが、ネパールの“手食文化”についてです。
カレーやそれに類似する料理を日常的に食べる文化圏は、指先で食べ物を直接掬って食べる“手食文化”の圏内に重なる場合が多くあります。
一度、指先で食べ物を掬って食べる想像をしてみて下さい。熱々の料理では、とても触れられないですね。
手食文化圏の料理については、現地っぽさが強ければ強いほど“非・熱々”であるという図式が成り立つのです。
特にこのダルバートという料理は、カレー状の煮込み料理、米飯ととも食すおかずや漬物類が作り置きの常温、あるいは低温のものであることが多く、それらを混ぜ合わせて食べた場合、“カレー”部分にあたる煮込み料理や米飯がいかに“熱々”であっても、口に入る瞬間に全体の温度は下がってしまいます。
つまり、これは命題の対偶「カレーであるならば、熱々である」の反例となり、もとの命題「熱々でなければ、カレーではない」もともに偽であるということになります。
「熱々でなければ、カレーではない」は“偽”である
以上により
「カレーは熱々に限る」は真ではなく、偽である
ことが証明されました。
しかし、“熱々カレー党”の皆さまはこんな小手調べの証明では納得しないかもしれません。
では、仕方がないので何故“熱々”がおいしいのかについて考察してみましょう。
我々が口にする食品の“香り”は、食品に含まれる揮発性の油分によるものが大きいのです。特に、いわゆる華やかなスパイスの香りは、(もちろん水溶性のものもありますが)油と温度によって引き立つものが多いため、必然的に温かい方が、カレーの風味をより豊かに感じることが出来るという訳です。
また、ライスに関しても、炊き上がったライスはデンプンがα化した状態と申しまして、いわゆる日本人の好むふっくらモチモチとしたおいしさが持ち味です。
しかし、冷めてしまうとライスはパラパラになったり硬くなったりしてしまいます。
では、ここで新たな視点を取り入れてみましょう。
人間の味覚は5℃以下、および沸点近くの場合、その中間の温度よりも働きづらくなると言います。
つまり、カレーを味わう際、沸点近くまで熱してしまうと、我々の舌はそのおいしさを検知できないということになるのです。
あるいは、こんな意見があります。
「カレーに合うライスは硬めの粒立ったものである」
カレー好きの皆様は、カレーにとってベストな米の炊き方を求めて苦心した経験が一度はおありなのではないでしょうか。
カレーの起源に近い土地では、インディカ米と呼ばれる細長く粘りの少ないパラパラとした米が主食として食べられています。
“硬めのライス”、“インディカ米”ともにカレーに合うとされているライスの良さは、先述の「ふっくらモチモチ」とは全く違う文脈にあります。
カレーと合わせる場合、米粒のひとつひとつにカレーがよく絡むことがおいしさの条件となり、ライスの性質としての「硬め」「パラパラ」がその鍵となるのです。
このように、カレーとひとくちに申しましても、そこにはあらゆるジャンルが存在し、それぞれがそれぞれに“おいしく味わうポイント”を持っています。
つまり、「カレーは熱々に限る」はある角度から見るともっともらしいが、それは全てに通ずる価値ではないということが言える訳です。
カレー党の方は皆様、カレーに関するこだわりをお持ちだと思います。そのこだわりは皆、個性的で尊いものです。
一方で、時折こだわりを少し逸れた、その先の世界を覗き込むことも、自身のカレー観を研ぎ澄ます一歩になるかもしれません。
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