真夜中の庭 昭和四十年代の子供向翻訳怪奇小説
小学校に上がってからの繙書の中心は、御他聞に漏れず亂歩の少年探偵と峯太郎の翻案ホームズ。前者は『怪奇四十面相』、後者は『消えた〔蝋〕面』The Adventure of Blanched Solider から読み始めたためか、贔屓は『宇宙怪人』や『夜光怪獣』Hound of the Baskervilles 等に限られ、今日なほ本格探偵譚にはさして食指が動かない。幼少の砌より映画で培はれた超自然への執着は往時も強く、これらの作にも同趣の感興を求めてゐたのだから、色々読み散らかしていく内に飽きてしまふのも、当然の成行と言へた。
昭和四十七年の浄夜に齎された新たな聖典が、別乾坤へと踏み入る契機となる。 「少年少女世界恐怖小説」第七巻『なぞの幽霊屋敷』(ジャクソン 仁賀克雄訳 朝日ソノラマ)を一読、小学四年生は、怪奇と幻想と恐怖の三語を験灼(あらた)かな呪文の如く尊び、幽霊や吸血鬼の跋扈する真夜中の庭で月の光に身を浸したのだった。
私が読み始めるのと時を同じくして、怪奇小説の出版は隆盛を極めた感がある。東京創元社「世界恐怖小説全集」と早川書房「異色作家短編集」は既に見かけないとは言へ、創元推理文庫「怪奇小説傑作集」を筆頭に、幾多の短編集や『吸血鬼ドラキュラ』等の古典が新刊屋の棚を賑わせてゐた。何しろ、「アーサー・マッケン作品集成」も薔薇十字社本も簡単に入掌できた頃のこと。子供向きの抄訳から完訳へと容易く移れたのも、この黄金の時に身を置いた幸運の賜物に他ならない。いづれも白木茂の訳業、「黒ねこ」でポオ、「呪われた人形」でブラックウッド、「冷房をおそれる男」でラブクラフトの名に接した筆者は、小学生には充分に晦渋な『ポオ小説全集』(創元推理文庫 昭和四十九年)に取り組み、創土社『ブラックウッド傑作集』(昭和四十七年)の漆黒の表紙を撫でたり、帯に刷られた「怪奇幻想文学最大の巨匠」の文句に胸躍らせてゐた。
大家のみならず、「奇妙な味」の作家達や探偵作家クリスティの小品を読んだのも、子供の本が最初だった。ブロックやマシスンの作品を指して、もう誰も「奇妙な味」とは呼ばないだらうが、彼等の中でも取分けカール・ジャコビの存在は、小さな愛好家の唯一手近な文献だった「怪奇小説傑作集」解説でも言及が見られなかったから、思はぬ拾ひ物の嬉しさがあった。この細(ささや)かな通史を手引に未読の作を探し回るのに躍起になり、自然と揃物の端本にも手を伸ばし始める。例へば、「海底二万里」と「ジャン・クリストフ」が一冊に収められた小学館「少年少女世界の文学」(昭和四十五年 初版未見)をメリメの二篇、「イールのビーナス」と「シャルル十一世の幻想」のために家人にねだったのである。因みに買はせるには些か工夫が必要、読みもしない名作物や、文庫版が順次刊行され始めた星新一とかに紛れて購へば、アポリネール『異端教祖株式会社』(鈴木豊訳 講談社文庫 昭和四十九年)なぞの危険な書目も目立たずに済んだ。もとより、これも前掲文庫の解説を熟読した余禄、今から思へば澁澤龍彦との出会ひも同文庫四巻、仏蘭西篇が最初だったのだらう。未だに読んでゐないが、メリメで言ふと「ロキス」や「ジウマーヌ」といった題名だけはしっかと脳裏に留めるのみならず、これらは子供が手に取るのは罷り成らぬ「悪書」とはうすうす感付いてはゐた。ある時、「ホフマン全集」の一冊を未だ早いとばかり棚に戻された痛恨事があってから、余計に警戒を強め、かやうな小細工にも注意を怠らなかったことを思ひ出す。岩波文庫『牡猫ムルの人生観』は版が絶えて久しく、『黄金寶壺』も再刻されるには間のあった当時、お蔭で那須達造訳の「かがみにうかぶ影」と、一世代前の講談社版童話全集で読んだ「くるみわり人形とねずみの王さま」しかホフマンを知らなかった。尤も、退屈の余り途中で諦めた書巻もユイスマンス『彼方』(田辺貞之助訳 創元推理文庫 昭和五十年)をはじめ少なくはないから、大方は読んだところで判らなかっただらう。
中学生ともなると、勢ひ蒐書も熱を帯び、創土社に新刊の教示を度々乞ふたり、「ドラキュラ叢書」(国書刊行会 昭和五十一年)の内容見本を送らせたりして、悦に入ってゐた。井田一衛主人自らが詳述したと思しい返書に、案内書の代はりと気を遣ひ帯を同封してくれた創土社は、今でも好きな書肆の筆頭に位する。片や、「企画以来実に十六年、ついに実現した世界最大最高の怪奇叢書」と謳ひ上げた「ドラキュラ叢書」の内容見本には心底、感心した。実際には封筒に入れて送って来たが、縦三つ折の内ひとつの面には宛名欄が刷り込まれ、一方の端をもう一方に折り込んでの郵送を企図した跡が窺える。恐らく、面食らった読者が無闇に鋏を入れ、折角の趣向が裏目に出るのを危ぶみ、取り止めたのだらう。この三つ折を縦に開くと、墓石を描いた碑文に「刊行の辞」が認(したた)められ、更に左右に捲ると、棺が十一並ぶ。各々に第一期十巻の宣伝文が記され、残るひとつは第二期以降の予定書目を伝へてゐた。序に書いておくと、この内、予告のレイ『幽霊の書』(昭和五十四年)やホイートリの諸冊は別に無事上木されたものの、ストーカー「屍衣の女」「白蛆の巣」、ローマー「魔女王の血」等の未刊書目は、他社でも邦訳を見ないのが残念でならない。
ところが、内容見本の出来の良さとは裏腹に、一巻と二巻、二冊同時刊行の筈が、本屋に並んだのが平井呈一訳『黒魔団』一冊切の上、画家の気遅れを如実に感じさせる決して褒められない表紙絵には辟易させられた。それまでに石原豪人や生頼範義の迫力ある筆致や、司修の瀟洒なコラージュに飾られた諸冊を愛蔵してゐたから、子供ながら自然と目は育つ。装本や書誌への目配りも、この蒐書の過程で身に付いたのだらう。
いつしか子供の本とは疎遠になったものの、古書肆通ひも覚え、「新青年」の作家達にも惹かれつつあったから、さして不満には思はなかった。少し前、「幻想と怪奇」三号(歳月社 昭和四十八年)に十一歳の少年の投書が掲載されたり、紀田順一郎訳『M・R・ジェイムズ全集』下巻(創土社 昭和五十年)の帯に自筆の感想を寄せた子がゐて、同じ小学生の身、当時から気に懸ってはゐたが、今でも時折、真夜中の庭に遊ぶのだらうか。かく言ふ私の庭は勿論、これら数十冊の中に秘められてゐる。(平成庚牛葉月 庚辰皐月改稿 〔…〕は忌まわしき電腦網用嘘字体)
正仮名 約2690字・四百字詰7枚 予告なく割愛する場合がありますので、御諒承を。
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