ゴースト&レディ あの美しいラストシーンの考察。
本記事は劇団四季『ゴースト&レディ』のネタバレを含みます。すでに鑑賞された方を読者と想定しておりますのでどうぞご注意くださいませ。
では改めて。
本日はあの美しいラストシーン、降り注ぐ無数のランプの意味について考察してみます。
考察といっても、史実のナイチンゲールは「ランプの貴婦人」と呼ばれているわけで、ランプ自体がナイチンゲールの象徴です。彼女に敬意を表したエンディング、ただそれだけかもしれません。にもかかわらず、あれは何を意味しているのだろうなどと考えてしまうのも人の性。もしかしたらそれ以上の意味なんてないのかもしれないのに。
でも個人的には芸術鑑賞の考察なんて自己満足な妄想でいいと思っています。いろいろな解釈ができるシーンであれば、観客各位が自分で腑に落ちる意味付けをして、各々が納得したらそれで良いと思うわけです。1万ナンボも払ってるんですから。それぞれが気持ちよく感動したらそれでええじゃない、という。そんなスタンスですわたし。と言いつつも、自己満妄想をするにしても、そうだと思い込むに足る何かしらの根拠(台詞とか歌詞とか)にはすがりたい。というわけでいろいろ考えてみました。SNSなどでよく言われている説をなぞりながら、最後に、図々しくもわたしの説をご紹介します。
1,「ランプ=フローが救ってきた命」説
SNSでよく見かける解釈です。多くの方が支持しているようでした。確かにそう考えると美しい。この解釈をした人は、灯篭流しの風景が重なったのかもしれません。広島県などで行われている死者に祈りを捧ぐ行事です。
あるいはチェンマイのコムローイ祭り。名前は知らなくても映像を見たことのある人は多いと思います。ラプンツェルのランプのシーンのモデルと言われることもある、そうあれです。
ロウソクの灯りに命を重ねる感覚は人類共通らしく、このような風習は世界各地で見られます。ロウソクの火を吹き消すと寿命が切れる世界線が登場する「死神」という有名な落語がありますが、原作はグリム童話だそうです。ランプの灯りに命を感じるのは自然な気持ちなんですね。(ちなみにコムローイは豊作を祝うお祭りだそうです。ちげーじゃねえか)
2,「ランプ=星」説
あれは夜空に輝く星を表現しているんだ、そう考える人も多いようでした。これまた美しい解釈。たしかに「星」という言葉は作中に何度も登場するキーワード。前述の台詞や歌詞を根拠にするという点でいいますと合点のゆく気がします。エイミーはフローのことを「あなたは一番星 空高く瞬く〜」と歌っているし、グレイも「瞬く星 夜空にある限り〜」と歌っています。夜空に星がずっと輝いている=二人の絆は永遠!という推理もありかもしれません。あるいはクリミアへ行こうのシーンでも「星の見えない夜でも〜」と星が出てきます。看護団は恐れずに戦地へ向かって行った、彼女たちの活躍もあって、最後には”星の見える夜”になった・・・とか。うん、これも素敵な解釈。
3,「ランプ=星(亡くなった人たち)」説
2の説の派生的な感じですが、ラストシーンでフローは天国へ旅立ったので、=お星様になった、と考えた方もいるようでした。ランプは星を表し、さらに星は死者を表していると。夢があっていいです。星になって、空からずっとグレイを見守っていたと考えると、最後にグレイが「フロー、見てた?」と語りかけるシーンが独り言ではなくなる気がして深い。
4,わたしの説
最後に、おこがましくもわたしの説を。最初に書いた通り、芸術鑑賞の考察なんて自分が楽しむための勝手な妄想でいいと思っています。でも根拠は欲しいからあれこれ考えてみたというだけ。わたしはすべての説を尊重しており、否定しません。
と十分に炎上対策の前置きをしたうえで。
わたし個人としては『ゴースト&レディ』の作中に、ランプと命を結びつける拠り所を見出せなかったんですよね。命の炎を燃やす、という趣旨の歌詞が1回あったくらいでしょうか。もちろん作外でならば、紹介した通り灯籠流しとかコムローイとか、ランプの灯り=命 のイメージはめちゃめちゃありますが、この作品でそのあたりの描写はされていないと思いました。もっとシンプルに「暗闇を照らすもの」「苦しむ人を励ますもの」、その辺りを強く感じました。
一方で、ランプを星やフローに重ねるのは分かる気がしました。ランプはフローの象徴ですし、星というキーワードも沢山出てきますし。ただ気になったのはランプが「無数」にあること。1個だけなら、嗚呼あれはフローなんだなぁとか思ったと思うのですが、いっぱいある。それに、最後に夜空のシーンを演出したいなら、普通に星を出せばいいと思うんです。でもそうじゃなくて敢えてランプ、なわけですよね。ということはやっぱりあれは、星じゃなくて、素直にランプ、なのだと思うわけです。
じゃあ、あのランプが意味しているものは何なのか。
総合的にみて私はこう結論づけました。
「あのランプは、私たちである」
は?
どんな読解力してんだ?ってお思いになる方もおられるかもしれません。でも私はこれが一番しっくり来ています。もっと正確にいうと「ランプ=現代の看護師たち」です。
以下、勝手な解説です。
こんなとこじゃないかなと。
クライマックス、フロー大熱唱の羅針盤の歌?(曲名わかんない)「私が死んでも 誰かが歩くでしょう この道を」であったりとか、その後のアンサンブルがフローを讃える歌(曲名わかんない)「看護を志す若者を 導いてきた」であったりとか、終盤はフローと現代を生きる私たちとのつながり、絆を感じさせるような歌詞や台詞が多かったような気がしました。「苦しみの暗闇を照らす灯火」として、私たち(看護師)は今も明るく輝き続けている、フローの意志が受け継がれている、そういうことなのかなと考察しました。
あってるあってないなど気にするのは野暮なことです。冒頭記した通り、もともとそんなに深い意味すらないかもしれないですし。「タダ綺麗ダナート思ッテヤリマシタ。byスコットシュワルツ」。いや全然あり得る。笑
おわりに
「人生は素晴らしい、この世は生きるに値する。」
ご存知、劇団四季の創始者、浅利慶太氏の名言。劇団四季の作品すべての共通テーマ。『ゴースト&レディ』も例外ではなく、この言葉通り「明日も頑張ろう」と勇気をもらえるような作品。よし、わたしも明日も頑張るぞ!
チケパトを!
以上です。